谷 好通コラム

2008年06月05日(木曜日)

1934.ミーちゃんとポポの物語

10数年前に、一匹のパグ犬がやってきて、
3年目に子供を産んだ。
七匹の多産であったが、
大きい赤ちゃんと小さな赤ちゃんの差が大きく、
また体色も白っぽいのから黒っぽいのまで、それぞれにずいぶん個性があった。

 

七匹全部をそのまま家において飼うわけにもいかないので、
二匹を置いて五匹を出すことにした。
まず三匹。
いつもお世話になっている動物病院の先生に頼んで
「パグ犬が欲しい人」に、一匹3万円で斡旋してもらう。
ペットショップで買えば10万円はするそうなのだが、
ペットショップに買ってもらう金額は3万円ぐらいなので、それでいい。
まったく知らぬところへ行くわけなので丈夫で幸せにかわいがって欲しいと、
体も大きく丈夫そうで色も白く器量良しの子犬を選んだ。

 

次に二匹は、
妹の住む鹿児島に送る。
妹の家と知り合いの家に引き取られるのだが、
いずれも屋外で首輪をつけて飼われることが分かっていたので、
特に体が頑丈そうなオスが選ばれた。

 

残った二匹は、
体が一番小さくて、いつも母親のオパッイ争いに出遅れていたチビ一匹と、
体はでかいが顔が真っ黒で、一番器量が良くなさそうな一匹。
手元で育てるのはこの二匹に決定し、
オッパイ争いに負けていたチビが「ミーちゃん(メス)」。
顔が真っ黒のちょっとブス犬が「マーちゃん(メス)」と名づけられた。
母親は「モンちゃん」という。
妹の家で飼われるオスは「ポポ」という名だ。

 

もらわれていって直に、
妹の知り合いに引き取られたオスは(名前は忘れた)
農作業用の軽トラックに乗せられていた時、
走っている車から落ちて死んでしまったという。
ずいぶん可愛がられていたようで、
その知り合いの人の悲しみは大きかったと聞いた。
「侘び」の手紙が来たが、
「これもその子の運命であって仕方のないことです。」と答えたようだ。
意外なところに死はあるものだ。

 

動物病院の先生はすごく優しい人で、
個人的な付き合いの中でもその人の人間性はよく分かっていた。
だから、いい人に斡旋してくれたに違いないが、飼い主は知らせないルールになっている。
だからその後、あの三匹がどうなったのかは分からない。

 

母犬の「モンちゃん」は、最初は子供の面倒を良く見たが、
子供たちが大きくなってくると、
だんだんあらゆる面でライバルとなってきて、
子供たちの存在がうっとおしいのか、自分と子供たちと同じ扱いをされるのがイヤで、
自分を特別扱いすることをいつも望んでいたようだ。
チビのヒョロヒョロした「ミーちゃん」は、
体が小さい分、気が強く、エサの取り合いにはいつも真剣であり、
他の二匹といつも同じ量だけ食べた。
でかい体の「マーちゃん」は性格がおっとりしていて、
真っ黒な顔でパグ犬としてはブス犬でも、みんなに可愛がられた。

 

三匹とも家の上に上がることも庭に出ることも自由で、
何の束縛もなく、自由でこれ以上の幸せはないように見えた。
鹿児島の妹の家にもらわれていった「ポポ」は、
田舎の家なので家の中に上がることは許されず、
犬は犬らしく庭先に犬小屋を建ててもらって、鎖に首輪で繋がれている。
でも、朝晩はおじいさんや息子に散歩に連れて行ってもらい、
それが楽しみな楽しみな日課であった。
外で暮らしているので暑い時もあれば寒い時もある。
でも、寒い時には寝床に湯たんぽを入れてもらって、大切にされている。
大きくてがっちりした体型のオスのポポは健康そうであった。
それでも、外で鎖に繋がれているのは気の毒にも思えた。

 

10年以上経って、
一番初めに死んだのは「マーちゃん」であった。
老犬になっても一番元気が良かった「マーちゃん」は、
子宮に腫瘍を持ち、手術したのだが気管が確保できずに死んだ。
突然の死は悲しかった。
それから数ヵ月後、
今度は母犬である「モンちゃん」が老衰で眠るように死んだ。

 

最後まで残ったのは、
子犬の時チビでヒョロヒョロしていて一番弱そうだった「ミーちゃん」
そのミーちゃんはチビのくせに、
いつもみんなと同じだけの量のエサを食べていたせいか重度の糖尿病にかかり、
白内障で視力を失って、一年ほど前に発作を起こした。
発作は深刻で、意識はほとんどなく体もまったく動かず、
エサも食べずに点滴で命をつなぐだけになる。
厄介な床擦れの傷が出来て痛々しい。
そんな状態で何週間か、何度かの危機を迎えて、とうとう、
動物病院の先生が「点滴を外すから、家に連れて帰ってやって。」と言った。
もうだめだ。ということだろう。

 

家に引き取られた「ミーちゃん」を見ているうちに、
母は一つの決断をした。
「エサを食べさせてみよう。」
そのままにしていても死ぬだけ、
あれだけ食べることに執着していたミーちゃんに最後のご馳走のつもりで、
軟らかくしたエサをあげることにした。

 

久しぶりのエサの匂いを嗅いだミーちゃんの反応は劇的であった。
それまでいつ死んでもおかしくない様子だったのに、
俄然、張り切ってエサにかぶりついたのだ。
それは、それは凄まじい勢いで食べまくり、とうとう大皿いっぱい食べてしまった。
みごとな完食である。
とても今まで危篤状態とは思えない出来事であった。
それから、先生に処方してもらったインスリンを打ちながら、
毎日2回、そのたびに湧き出てくるような食欲で、出されたエサを必ず完食した。
何週間かすると横になっていたきりの体も、
自分でお腹を下にして寝れるようになり、首を起こしている。
寝たきりの時に出来た床ずれの傷も治りはじめて、
とうとう完治した。
そのうちに前足で体を起こすようになって、
どうしても麻痺が治らなかった後ろ足も少し動かすようになってきたのだ。

 

オシッコもウンコも人の手を借りないと出来ないし、
相変わらず目は見えないが、
腹が減ってくるとかすれた声で「ウォン、ウォン」と吼え、
エサを請求する。
寝ていることが多いが、
誰かの動きを察知するとすぐ起きて「腹が減った」と吼える。
奇跡のような復活である。
まさに、信じられないような復活である。

 

奇跡の復活を得たミーちゃんは、1年経った今も
朝と夕方には、かすれた声で「ウォン、ウォン」と「腹が減った」と元気である。
みんなが会社に行ったりして誰もいなくなる時は、
いつもの獣医さんの所へ、
入院と言うよりも「託老所」に行く感じで預けられる。

 

一方、久しぶりに見た「ポポ」は、
さすがに老犬になっていて、
足がちょっと不自由になってきたが、いまだに散歩は大好きで、
途中で休憩を入れながら、いつものように散歩を続けていると言っていた。
外の環境の中で、男臭さをムンムンさせながら元気である。

 

体が一番小さくて、
頼りなくヒョロヒョロしていた「ミーちゃん」は、
目が見えずとも、歩けずとも、家の中の陽だまりでウツラウツラしながら
糖尿病でインスリンの注射を受けつつも、食欲の塊となって元気である。

 

ポポとミーちゃんを見ていると、
一体、何が幸せなんだろうと考えてしまう。

 

先に死んだマーちゃんはパグ犬としてはブスであったが、
性格がおっとりしていて、みんなに好かれ幸せそうだった。
麻酔中にあっさり死んだ。
母親のモンちゃんはわがままで、
自分の子供に嫉妬しながら自己主張し放題で幸せそうだった。
眠るように死んでいった。

 

座敷犬として飼われる場合が多いパグ犬なのに、
外につながれて生きているポポは、それでも自分の家をもらって、
みんなに愛されて、毎日の散歩で元気で明らかに幸せそうである。
一時、植物犬にようになってしまいそうであったが、
持ち前の旺盛な食欲で見事に復活したミーちゃんは、
大好きな食事のあと、満腹の寝顔がとても幸せそうである。

 

一体、何が幸せなのだろう。
長生きしているポポと、ミーちゃんを見ていると、ふと、考えさせられてしまう。

 

ご飯を食べ終わって幸せいっぱいのミーちゃん

 

 

外で元気いっぱいに育ち、老犬になってもなお散歩が大好きなポポ。

 

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2008年06月05日(木曜日)

1933.日本民族の前にアメリカ市民として

何年か前、
最初にアメリカに来たころ、まず人種の豊かさに驚いた。
白人がとりあえず一番多いが、
黒人も、アジアン、ヒスパニック、インド人と
ありとあらゆる人種が、人種の違いを感じさせない自然さで混在している。

 

そんな状態の所にいると、
人種なんて人間の個性の一つでしかないことに気付く。
いずれかの人種間に優劣の差などあるわけがなく、
見た目の個性が違うだけだ。

 

今や飛行機の発達で世界のあらゆる場所が十数時間で結ばれ、
ほとんどの国がノービザで入れるようになり、
婚姻や出産によっていずれの国籍をも名乗れるようになり、
アメリカのようにある程度アメリカ国内で真面目に働くと永住権が得られる。
一定の条件さえ揃えば、いずれの国の国籍をも取れるようになってくると、
何世代かが経った後には「人種」なんて概念そのものがなくなっていることは確実だ。

 

エントロピーの法則に持ち出すまでもない。
人類が霊長類から抜け出てから100万年ぐらいか(?)
それから地球の各地に散った人類が、
たまたま住み着いた場所の気候に適合した遺伝子を濃くして、
骨格や皮膚の色が違った個性を持つようになり、今に至る。
人種とはたまたま住んだ場所の気候が違いに順応した結果だけの違いなのだ。
人とチンパンジーの遺伝子の違いは2%ほどしかないと何かで言っていた。
ならば人種の違いなどDNAの違いで言えば、
多分、1万分の1ほどの差もないのではないか。
それは同じ人種の中の個性の違いのDNAの違いほどもないのではないか。

 

歴史が記されるようになってから3,000年くらい。
人種という概念そのものが消滅するのに、
多分あと100年もかかるかどうか。
いまさら人種差別とかチャンチャラおかしい。
ましてや同じアジア人ならば外見の違いすらもまったくない。
差別感を持つのも、被差別感を持つのも、そろそろ時代遅れだ。
アメリカに来るとそんな感を強くする。

 

アメリカでは韓国人と中国人が急激に増えているそうだ。
韓国も中国も民族意識が高く
ナショナリズムを強く持っている民族である。
アメリカの中でもそれを感じることが多いそうだ。
しかしそんな民族的な意識がアメリカの中で消滅するのも時間の問題ではないか。
アメリカとはそういうところであろう。
あらゆる人種と民族が混在して経済的な活動を行っている国においては、
ナショナリズムは持っていても意味のないものになっていくだろう。

 

トニーさんのように約30年前にアメリカに住み着いた人たちの感覚を見るとそう思うし、
特にその娘さんのようにアメリカで産まれた人には、
アメリカ市民である意識は持っていても、
自分が日本民族である意識はまったくないに等しいだろう。
日本民族である前にアメリカ市民であるし、
アメリカ市民である前に人間であるのだろう。

 

かつて昔の日本は、
特に、かの大戦の時、日本は「神国」であり、
唯一神の宿る国として強烈な民族意識を持っていた。
しかしそれは、
太平洋戦争、第二次世界大戦、大東亜戦争、いずれの呼び方があろうと、
人と人が殺しあう人間として最低の行為を権力者として正当化するために
民族意識が利用され、あるいは、そのように鼓舞されていただけのように思える。

 

もっと大昔、
日本の戦国時代がそうであったように、
日本国内のいくつもの地域の権力者、豪族同士の争いとして、
同じ民族の中で殺し合いが行われてきた。
その場合、いずれもが戦う正当な理由をもち、悪いのはいつも敵であった。
それはヨーロッパでも同じであるし、韓国でも中国でも、
同じ民族の中での激烈な殺し合いが権力者の都合によって行われ、
アメリカにおいても南北戦争があった。
それが、
兵器の絶対的な発達と
移動手段の発達で戦争のスケールと単位が大きくなり、
今の国家の単位での戦争になってから、
今まで殺しあってきた同士が、「民族」というくくりでまとめられ、
同じ民族としての意識を高揚されてきた。
民族意識とは作り上げられてきた人為的な意識であったのではないか。
民族によってそれぞれの文化があって、
それはそれで守られていくべきものであろうが、
民族間で憎しみあったり、差別をしたりするような理由はまったくない。
ナチがゲルマン民族を優位な民族とし、ユダヤ民族を憎むべき民族としたように、
日本は神の国、最も尊い民族であり、他民族が劣等であるとして侵略の理由にしたように、
民族意識は、たびたび権力者のプロパガンダの道具に使われる。

 

そういう見方も出来るのではないか。
かつての戦争では、“民族”は戦争の理由になった。
その残りカスが、民族的な差別、被差別の形でわずかに遺物として残っているだけだ。

 

すべての人種とすべての民族が混在するアメリカで、
それぞれの民族意識よりもアメリカ市民としての意識でまとまっている姿を見ると、
血族を基とする民族意識が、
たまたまその地域で住んでいただけのわずかなDNAの傾向(違いではない)だけであって、
そんなもので結束するのはあまり意味を感じないし、
お互いが憎み合うことも必要ない。
ましてや殺しあうなどまったく意味がないことに気が付く。

 

核兵器の発達で地球全体を何回も滅ぼすだけの破壊力を持ってしまった人類は、
もう、そうそう簡単に世界的な戦争は出来なくなった。
どちらも勝てない戦争、
両方とも必ず全滅するという戦争は、
権力者として戦争をする意味を持たないからだ。
あっても局地的な通常兵器を使った制御された戦争だけが存在し続けるが、
それも、
インターネットという
世界中のあらゆる人と一瞬の内にアクセスできる手段を世界中が持ったからには、
民族間の唯一の違いである言語の違いをいつか克服する時、
偏った民族意識が消滅すると共に、
民族意識を利用した権力者のためのプロパガンダが効力を失って、
地球レベルでの本当の平和を手に入れるのだろう。そう信じたい。

 

憎むべき民族間の違いなど誰かの都合ででっち上げたられたものであって、
もともと憎み殺しあうべき違いなどどこにもない。
アメリカで、あらゆる民族が、たまたまその国に集まって、
民族が何であろうとまったく関係なく、アメリカ市民というくくりで生活し、
戦争もしている。
考えてみると、
アメリカは民族的なプロパガンダなしで戦争をする珍しい国だ。
世界平和を謳い文句にして、でも、しっかり経済的な理由もあって、
戦争をする。しかも志願兵だけで。
なぜこんなことが出来るのか、私は、もうしばらく考えなくては理解できない。

 

 

ロスの街には「ジャカランダ」の花がいっぱい咲いている。
元々ブラジルの木だと聞いた。
写真で見ると一見「桜」のようにも見えるが、
花がピンクではなく、「紫」なのだ。
葉っぱがほとんどなく花だけがびっしり咲くのは桜と同じだが、
花が紫になると、ピンクの花の桜とはまったく違う印象である。

 

 

すでにアメリカ国籍をとって名実ともにアメリカ市民であるトニーさんと、
とりあえず永住権を取ろうと頑張っている英語ペラペラの里美さん。

 

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