谷 好通コラム

2008年11月06日(木曜日)

2056.被害者としての幸せとは?

「行列の出来る法律相談所」という人気テレビ番組がある。
1年ほど前であったろうか、
満員電車の中で「この人、痴漢で~す。」なんてやられたら時、
どうするのが一番か。という質問がレギュラーの弁護士たちにされた。

 

「取調べで何を言われても、
しっかりと自分の主張を曲げずに真実を言い続ける。」
というようなまともな回答が大勢であった。
しかし、
何とかいう「笑わない弁護士」が、
「逃げるのが一番だ。
身に覚えがなくても、痴漢だと言われたら、もう逃げるしかない。」
と言った。
みんなびっくりして
「弁護士が逃げろなんて言っていいの?」と言うが、
“笑わない弁護士”は続ける。
「のこのこ駅員室に行って申し開きをしても、まず解決することはない。
自分は被害者だと言った者が強いんです。
社会は、加害者だと名指しされた時点から言われなき罪でも、
否応なしに社会的制裁を始める。
特に痴漢はやっていなくても無罪を証明する術がまずない。
逃げるしかありません。」
そんなことを言って、みんなを脅かせた。

 

そのころの、腹いせのいたずらで痴漢にでっち上げられた会社員が、
無罪を言い渡されるまでに会社を解雇され、離婚までされて
社会的に抹殺された悲劇が多発する社会問題を背景にした発言であったのだろう。

 

 

あるいは、通行量が多い道路で
赤信号なのに横断歩道を堂々と渡る人がいる。
「横断歩道で歩行者をはねたら、自動車が悪くなる。
ならば俺は被害者になる。轢けるものなら轢いてみな。」そんな感じだ。
自分が弱い立場であることで被害者としての自分を逆に加害者的に正当化している例。

 

 

世の中には本当に悪い奴がいて、
自分勝手な動機で人を傷付けたり、盗んだり、騙したりする犯罪者は多い。
そんな犯罪者から一方的な被害を受ける人も多くいる。
お気の毒にも、そういう方こそまさしく本当の被害者だ。

 

しかし「私は悪くない。」「悪いのはお前だ。」の自己主張で、
通常の生活の中でのゴタゴタの中で、
いつも自分を被害者にしたがる人もいる。
些細なことで自分は被害者であると、ことさらに騒ぎ立てたがる人もいる。
いろんな人がいるが、自分をいつも被害者だと言いたがる人は、
残念ながら、いる。

 

「私は何故かいつも“ぶつけられる”事故によく合う。」
と言う人がいる。
そんな人の車に一緒に乗せてもらうと非常に怖い。
十字路で自分と交差する方が一時停止ならば、
何のためらいもなく全速で突っ切るし、
明らかに信号が黄色になっている交差点で右折車が動き始めていても、
「直進が優先だ」勝手な解釈でむしろアクセルを踏む。
(この場合は右折車が優先。)

 

たとえばの事故で、過失割合が3:7になって
少しでも相手の分が悪ければ、
自分にも過失があったことを棚に上げて
「ぶつけられた」と言う。
自分が被害者だと言う。

 

多分こういう人はずっと被害者のままでいるのだろう。
自分は悪くないのだから、自分は改める必要もなく、
今まで通りの運転をし続けるのだから、
これからもずっと「ぶつけられて」被害者であり続けるのだ。

 

あるいは、被害者である自分にしか自分の正当性を見つけられない人がいる。

 

本来、人は人に対して貢献することによって、
あるいは役に立つことによって、感謝され、
人から自分の存在を認められることによって自分の存在を確かめ、
その結果、報酬を得る。
それが正常な社会というものではないだろうか。

 

自分を被害者としてしかその存在の確認出来ないとなると、
得るものは害であり、賠償でしかない。
賠償で幸せになるわけではない。

 

 

自分が望まない形で本当に被害を受けた人、
たとえば、愛するわが子を殺されたお気の毒な親が、
テレビのインタビューなどに答えて
「二度と私たちのような不幸な人間を作らないように、犯人を厳罰に処して欲しい。」
という言葉をよく聞く。
また薬害訴訟などで、勝訴して賠償金を得ても、
「お金をもらっても、二度と健康な自分の体は戻ってこない。
これで幸せになったわけではない。」と。

 

被害者はその意味で誠に気の毒な不幸な人だ。
賠償金をもらったり謝罪を受けても、
それで幸せになるわけではない。
お気の毒にも、少なくともそのことについてはずっと不幸であるのだろう。

 

幸せな被害者はあり得ない。

 

しかし何かにつけて自分を被害者であると言いたがる人もいて、
被害者としてものを言うと実に雄弁になって、
活き活きする人がいる。
そういう人は、自分が被害者であることに生き甲斐を持っているかのように見えるが、
それが生き甲斐であっても、やっぱり被害者であることに変わりなく、
被害者は本来的に、少なくともその部分においては不幸なので、
そういう意味では、
被害者でありたがる人は幸せにはなれない人であるのかもしれない。
あるいは不幸な自分であることにしか自分を見つけられない人は、
元々不幸なのかもしれない。

 

 

自分はあらゆることについて被害者ではない。
自分は自分の選択によって、
自分の運命を作って行くのであって、
人から自分の運命を作られる被害者でも、不幸な人でもない。
不運にも一方的に自分に降りかかる不幸があったとしても、
その要因が、ほんの少しでも自らにあれば、自分は被害者ではない。
まったくの被害者なんて、そういるものではないのだ。
自分の不幸を誰かのせいにして、自分は被害者であり続けるなんて、
バカバカしくって面白くないし、楽しくない。
いつも人を恨み、憎んで生きていくなんて、つまらない。

 

自分は、人の役に立ち、人に感謝され、報酬を得て、幸せな人になりたい。
そがいい。

 

 

今日の朝一番の飛行機で中部空港から仙台に向かった。
飛行機はボンバルディアDHC8-Q400、プロペラ機である。
プロペラ機なので高度は約6,000m。ジェット機の半分程度の高度しかない。
だから、下界が非常によく見えてラッキーである。

 

南アルプスの山々が赤く染まり、富士山が遠くに見えてきた。

 

 

多分、北岳ではないだろうか山頂付近に雪がある。

 

 

逆光なので、山が黒く影になって見えるが、よく見ると冠雪しているのが分かる。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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