谷 好通コラム

2008年12月18日(木曜日)

2090.知らせることの愛情

ある男性スタッフと車で移動中に面白い話をした。
「私は、私から彼女に電話をすることがほとんどありません。
彼女からは電話がかかってくるのですが、電話がかかってきても
『・・・で、何の用事なの? 何も用事がないのだったら忙しいから電話切るよ。』
って言っちゃうんです。いかんですよね。」

 

私は言った。
「そりゃそうだ。彼女の電話番号を教えな。『早く別れた方がいい』って言って上げるから。」

 

「はははっ、いやいや、勘弁してください。」

 

このスタッフは実直で働き者の若者だ。
自分と付き合ってくれている女性をないがしろにするような人間ではない。
その若者は間違いなくその彼女を愛している。

 

多分、コミュニケーションの意味を偏って持っているのではないか。
特に用件ないような電話は「無駄話」であって、
無駄話は、無駄話なので、無駄でしかない、と。
ある意味では豪傑であるし、ある意味ではクールでもあるか。

 

恋人という次元では、
私自身がはるか昔の事になるのであまりよく解らないが、
コミュニケーションとは、
ある事柄を人から人へ伝える事だけではないと思うのだ。
むしろ、ある事柄を人と人が“共有する”ことなのではないだろうか。

 

たとえば、彼女が彼氏に電話をして
「今日、こんなことがあって、それで私はこんな風に思って、こんなことを言った。」
などという話は多いが、
これは、ただ単に今日の自分を話しただけで、
それを伝えて何か困った事を解決するために相談をしているわけではないし、
ましてや何かを依頼しているわけでもない。
ただ単に話をしただけだ。
何を目的にそんな話をするのかは、
自分の経験を話し、それを彼氏と共有したいだけなのだろう。
そして出来れば彼氏にも彼氏の今日を話してもらって、
それを自分の事、お互いの事として共有したい。
お互いに自分の持った時間と事柄を共有していたい。
そして、場所は離れてはいても共に生きていたい。
そんな切ない気持ちをその彼女との話から感じた。
本来、コミュニケーションとはそういうものなのではないか。

 

人は「人」という文字通り1人で立っていることはできず、
誰か人と支え合っていかねば生きていけない生き物だ。
“支え合う”ということは、もたれあうことではなく、依存し合うということでもなく、
ましてや一方的かつ寄生的に頼ることでもない。
お互いがお互いの時間と思いを共に持ち、
お互いの人生の部分的に共有し、
お互いを確かめ合って支え合うことではないだろうか。

 

イヤ、何もそんなややこしいことを考えずとも
仕事のことで考えたほうが簡単だ。

 

仕事を進めていくに当たって、
「報告」と「連絡」は常に行うものであり、判断に迷うようなら相談する。
「報・連・相」の習慣が非常に重要であることは常識だ。
ところがそれをほとんど行わない人もいる。
「別に困っていることもないし、助けて欲しいこともない。
“任せて”おいてくれれば、ちゃんとやるから、いちいち連絡などしなくても大丈夫。」
そんな感じなのだろう。仕事が出来る人に多い。
そして「自分を責任者にして任せたのだから、いちいち報告しなくとも信用して欲しい。」とも。

 

この論理には決定的な矛盾と破たんがある。
キーワードは「信用する。」「任せる。」「責任者」「知らせる。」の四つの要素。

 

上記の「自分を責任者にしたんだから、いちいち報告しなくとも信用して欲しい。」を、
四つの要素に分解すると、
「責任者」という、仕事を「任せる」ポジションにしたのだから、
いちいち「知らせ」なくても「信用」すべきだ。
となる。
しかし、
人が人を信用するのは、
その人のことをよく知っているからであろう。
たとえば、初めて会った人から「俺が信用できないか。」とすごまれても困ってしまう。
知らない人を信用するなんて出来るわけがない。
あるいは、知らせない人を信用できるわけがない。
なぜならば、その人のやっていることを知らないのだから。
知らせないその人が、何を、どこで、どうやっているのは知らないのだから、
「知らない」のに「信用して」仕事を「任せる」ような「責任者」にするのは、
経営者あるいは上司としての責務に無責任であることであって、放任でしかない。

 

その人と、その人のやっている事を「知っている」から「信用」するのであって、
「信用」出来るから、仕事を「任せる」ような「責任者」にするのである。
論理は「信用」から始まるのでなく、
「知る」から始まるのだ。
最初の「知る」がなければ、何も成り立たないのだ。

 

その人が「何を目的に」「何を計画し」「どういう状況の中で」
「何をいつ、何処で何をして」「相手はどう反応し」「どういう結果」になったか。
その人からの「報告」と「連絡」がなければ、実体は何も解らない。
何も解らないまま、信用して仕事を任せることは間違いであり、
責任者にすべきではない。
報告と連絡を密にすることは、そのことによって「知っている」ことになって、
「知っている」から「信用」し、信用しているから仕事を「任せ」、
仕事を「任せる」ことが出来るので、
「責任」を持った仕事のポジションである「責任者」にすることが出来る。

 

「自分を責任者にしたんだから、いちいち報告しなくとも信用して欲しい。」
この論理は、「報告をしない=知らせない。」のに、
「信用して欲しい」という矛盾があり、
その矛盾を「あなたが自分を責任者にしたのだから」という責任転嫁で解消しようという
論理的な破たんがある。

 

仕事という組織の関係でも、仲間関係であっても、
お互いがお互いのやっていることを「知らせる」ことで共有し、
「信用し」「任せ」「責任を持ち」お互いが持っている力を発揮することが出来る。

 

恋人関係であっても、お互いが「知らせ」その生活を共有することで、
「気を配り」「思いやり」「愛する」ことになるのではないだろうか。

 

人は、その文字「人」の形のごとく、1人では生きていけないのだから。
お互いに支えあって生きなければならないのだから。

 

若いスタッフに言った。
「毎日必ず、何かを写メールで撮って意味もなく送って上げたらどう? すごく喜ぶよ。」
意味がなくても、毎日のその人の生活の1シーンをお互いに共有するのは
すごく素敵だろうと思ったのだ。

 

私は出張がいくら多くても、朝晩の電話で
決して出張生活が苦痛ではないし、電話をすることも苦痛ではない。
面倒な時はアルが・・(^_^)

 

 

手作りで作っていた“知らせる”小道具「受注カウンター」。
買うだけが脳ではない。
心をこめて自分で作るところに価値があるのかもしれない。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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