谷 好通コラム

2009年06月10日(水曜日)

2227.はたして人は利他的存在になりえるか

生物的進化の頂点を極めた人類は、
文明の蓄積によってその影響範囲を極限にまで拡大し、
自滅をも伴う破壊力を持った。
それは原子爆弾、水素爆弾であり、
最終的には自らをも含めた生態系の破壊である。
人類が絶滅する可能性がそれぞれの要因に対して確率的にゼロではないので、
[考えうる無限の時間/A(≠0)=100%]となり
無限の時間の中で確率的には人類が絶滅する可能性は100%。
しかし、すでにエントロピーの法則によってそこから逃れる術は確率的にはゼロだ。

 

だが少なくとも“有限”な時間においては、
人類は地球上に種として残る方法はある。
可能性としては十分にある。

 

問題は人類の方向を決める人々が、
“利他的”な価値観を知性として持ち得るかどうかにかかっている。

 

 

複雑な地球上の生態系の中で、
すべての生き物が生存競争という利己的な存在に見えるが、
それぞれの存在が、実は、必ず他の生き物の存在を支えていて、
全体の系としてみた場合、
どんな存在も、残らず利他的な存在といえる。

 

一つ一つの種が自らの種を守る方向では、
あくまでも利己的に見えるが、
それぞれの種が、全体の生態系の中では利他的な役割を持っていて、
その種そのものが生態系全体を支えているという意味で、
一方的に利己的であろうとしても、
本来的に利他的な存在であることを拒否できない。
存在そのものがすでに利他的であるのだ。

 

その自然の節理の中で、
人類だけが知能の発達と科学の蓄積という唯一無比の進化を遂げた。
そのことによって、
人類は、自らの肉体的な能力をはるかに超した強大な力を持ち、
他の存在に支えられなくても一方的に増殖する力を持って、
生態系を支える利他的な存在であることを拒否できる力を持った。
つまり”利己的な存在”として完結する力を持ってしまったのだ。
一方的な利己的方向性をもって、生態系を破壊できる存在にまで進化してしまった。

 

地球全体を大きな生き物であるという考え方がある。
(これを「ガイヤ」と言うそうだ)
地球の生態系全体が生き物、ガイヤと考えた場合、
それを構成しているすべての種としての生き物たちは、
それぞれが利己的な存在であると同時に利他的な存在としてガイヤを支えている。
しかし、
一方的な利己的存在としての成り立つ力を得た人類は、
他の種を一方的に駆逐して、
生き物の体の中で一方的に増殖する「利己的なガン細胞」のごとく
ガイヤ全体の生命を危うくしつつある。

 

しかしガン細胞には知性がないので、
宿った生命を殺してしまうと、
ガン細胞そのものも存在できず死んでしまうという宿命を持っているが、
人類というガイヤにとってのガン細胞的存在になりうる人間には知性がある。

 

人類は利己的な力を持ってガイヤ全体を殺せば、
そこに生きる人類も滅びることを、知性として知っているので、
知性として“利他的”な存在になることが出来れば、
ガイヤを殺さず、自らも存在し続けることが可能となって
種の保存という生き物が本来的に持っている目的を果たすことが出来る。

 

人類以外の生き物は、その存在そのものが宿命的に”利他的”な存在でもあるが、
人類はその圧倒的な知能という力が、
一方的に利己的であり得る力を持ってしまったので、
その力を奔放に発揮し続ければ、ガン細胞のごとく、ガイヤの死と共に人類も滅びるが、
知性として、自らが“主体的に利他的存在”であろうとする方向を持つことが出来れば、
人類は、繁栄と共に、
地球上に存在し続け、主体的にガイヤを構成することが出来る。

 

人間は、自分勝手な利己的価値観を持つ人間は人類を滅ぼす因子であり、
他の人のために働けるという利他的価値観を持つ人間が
人類を存在として生き続けさせられる因子となる。

 

とすると人類全体という観点からは
利己主義は人類絶滅を進める危険な因子であり、
利他主義が人類を救いガイヤを救う救世主的な因子であると言える。

 

たとえば宗教的に言えば、
利己主義は悪魔であり、利他主義が神であり仏であることになる。
とすると、存在そのものがすでに利他的であるガイヤを構成する人間以外の生き物は
すべて神であることになる。

 

とすれば、人間はその思考の中に悪魔と神が同居していて、
自らがどちらの存在になるかは紙一重の違いでしかない事になる。

 

凡人である私は、どちらを選ぶか。
人類はどちらを選ぶか。
今日、五年ぶりに会った人のことを思い浮かべながらそんな想いに耽った。

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2009年06月10日(水曜日)

2226.寝床から起きて来れない人

自分自身に厳しいのか、甘いのかは、紙一重の差でしかないと思う。

 

前夜に遅くまで酒を飲んだ朝など、
睡眠不足に二日酔いが重なって、
もう少しだけでもいいから寝ていたい、布団から出たくない、と心底から思うが、
そこを頑張って起きるか、
嘘でもついてサボってしまうか、
そんな程度の差でしかないと思うのだ。

 

あるいは、
風呂に入っている時、特にぬる~い湯に入っていると、
頭がトロ~っとしてきて、風呂から上がりたくなくなる。
そのまま入り続けているときっと体に良くないな~と思っても、
つい、もうちょっと、もうちょっと、なかなか上がれない、
そんな時に「よいしょっ」と掛け声でもかけて、立ち上がるかどうか、
自分に対する厳しさなんて、そんな程度の差しかないと思うのです。

 

とても大切な事をやるか、やらないか。
溺れている人を助けるか、ほおっておくか、
暴力を受けている人を助けるか、見て見ぬ振りをするか、
するべき仕事を今するのか、今度にするのか、
やれば実現できるだろうが、出来ない場合の懸念もある時、思い切ってやってみるか、
懸念を理由に、やらない事を正当化するか。
そんな重大な決断を、
自分に厳しく行うのか、甘く逃げるのか、どう吹っ切るのか。

 

朝、眠さを断ち切って起きる。
そんな種類、そんな程度の「吹っ切り」と大して変わらないと思う。

 

朝、なぜ、みんな起きるのか。
起きないと学校に行けないし、仕事にいけないから、
仕方なしに起きるのだろうか。

 

その行動をしないと、ひどい目に会うから、行動するのか。
痛い目に会うから行動するのか。
あるいは損をするから行動するのか。

 

ほんのちょっとした行動でも、
その行動を起こすための動機は必ず必要だ。
その動機が「ひどい目とか痛い目にあいたくない」とか「損をするから」とか、
「マイナス要素がこうむるのがイヤだから」というマイナスの動機は、
行動に対して非常に弱い。

 

「このまま寝ていて仕事に行かないと、クビになっちゃうから」という動機では、
「無理して起きる事の不幸」と、
「クビになっちゃう不幸」とを天秤にかけた時、
ひょっとしたら
「仕事をクビになっても死ぬわけじゃないし、このまま寝ている方が幸せだ。」なんて、
布団の中で眠り続ける幸せが、
仕事を失う不幸に勝ってしまうこともある。

 

今日、東京で新人の面接を賀来部長が行っていたが、
今日もまた、朝一番の面接の人は現れなかったと言っていた。
これで六回連続、その日の最初の面接の人が現れないという妙な現象が続いている。
東京、愛知、札幌で、私と賀来部長で、六回連続である。

 

まさか「起きれなかった」というのが
大切な面接を黙ってすっぽかす原因であるとは思えないが、
六回連続のスッポカシの内、連絡が来たのはゼロ、
こちらから電話をしても、すべての人が電話に出なかった。
留守電に入れても、返事がかかってきたことは一度もない。
こんな無責任ぶりを見ると、
こんな人達には「起きれなかった」が「面接に行かない」理由になり得るのだろう。
信じられない事だが、そうだと思う。
自分にあまりにも甘いとしか言いようがない。

 

しかし、これが遊びに行く日だったらどうだろうか。
「眠たいけど、起きれば、楽しい遊びが出来る。」と、誰でも躊躇なく起きるだろう。
「起きると楽しいから」というプラスの動機は、実に強いのだ。

 

仕事においても同じようなことが言えて
「この仕事をやると、キチンとやるとお客様が喜ぶから」とか、
「仕事を一生懸命やって結果を出すと、誉められるから」とか、
「目標を達成すると給料がぐんと上がるから」とか、
プラスの動機で行う仕事は、
頑張れるし仕事も楽しくなる。

 

しかし、このプラスの動機も表裏一体の面があって、
プラスの動機の裏返しに、
「この仕事をキチンとやらないとお客様に叱られるから」とか、
「仕事をサボって結果が出ないと、叱られるから」とか、
「目標を達成しないと給料がガクンと下がってしまうから」とか、
プラスの要素とほとんど同じようなマイナスの動機も同居している。

 

要はプラスの動機を持って仕事をするには、
その結果において誉められ、
喜ばれ、褒賞される確証がその人にあればいいのだ。
あるいはそういう会社であり、誉め上手の経営者であればいいのだ。
逆に、いつも叱かられ、疎まれ、罰を受けてばかりいると、
仕事にマイナスの動機しか持てなくなってしまう。

 

信賞必罰と言うが、
「信賞」があれば、それが大きな動機になるので、
小さな動機にしかならない「必罰」はむしろ無用であるとなるのだろう。
要するに誉めろということだ。

 

このことはよく書かれているし、論理的にも非常によく解るが、
果たしてそうばかりであろうかと思っている。
自分に甘い、
つまり、容易な事では寝床から起きて来ないような人には、
誉め言葉も有効なのかなと思うことがある。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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