谷 好通コラム

2009年10月20日(火曜日)

2332.シフトダウンは、アップの何倍も難しい

サーキットを走っていて一番面倒なのがシフトダウンである。
「加速」はアクセルを床に踏みつけるだけ。
シフトアップも至極簡単。
加速しながらスピードに合わせてギヤを2→3→4→5→6と順番にシフトアップする時
クラッチをポンと踏んで、と言うより蹴って、
シフトを一段ずつ上げていけばいい。
アクセルはほぼそのまま全快で、
クラッチを切る瞬間にちょっとだけ戻す程度だ。

 

しかし、コーナーが迫って
コーナー直前でブレーキングしながらシフトダウンする時はちょっと面倒だ。
ブレーキングはコーナーの手前のどのタイミングで始めるのか、
その時のタイヤの状態や、路面の状況、
バトルしている場合は前後の車との関係で、微妙に変わってくる。
ブレーキをかける時は、ほぼフルブレーキで、
重心が前に移動するので後輪がグリップを失い、
リアが左右に振れるのをコントロールしながら、シフトダウンしていく。
シフトダウンの要領は、
右足の“つま先”でブレーキペダルを踏みつけながら、
左足でクラッチペダルを踏んでクラッチを切る。
クラッチを切った直後、右足の“かかと”でアクセルを押してエンジンの回転を上げ、
下のギヤにつながった時点の回転数まで上がったところで、
左手でギヤを下の段にシフトし、(右ハンドルの場合)
左足を戻してクラッチをつなぐ。
この一連の仕事(ヒールアンドトゥー)を1秒以内で行い、
必要な下の段数まで何回か連続して行う。

 

そうしながら右手一本でハンドルを操作し、
コーナーに進入するラインを正確にたどっていく。

 

直線でスピードを上げていくのは、気持ちいいし、
ハンドルほぼ真っ直ぐにコントロールしていれば良く、
シフトアップは誰でも出来る楽な作業で、
レース中においては、ほぼ休憩時間に等しい。
もちろんその間に水温、油圧などのメーターをチェックし、ピットサインを確認するが、
それでも、やっぱり休憩ではある。
ここで腕の差が出てタイムが変わる事もない。

 

シフトダウンは、
“コーナー”という難しくGもかかって厳しい局面を迎えるために、
スピードを落としていく間に、確実にこなさなければならない作業だ。
ブレーキングに始まってコーナーを巧みに素早く抜ける行程は、
腕の差が如実に出て、タイムの差が一挙に開く場面でもある。

 

企業の経営にも似たところがあって、
景気が良くてどんどん成長のスピードが上がっていく時は、
誰がどんな経営をしても企業はたいてい成長するし、
経営もそれほど難しくはない。
だから企業間での差も出にくい。

 

しかし減速経済の中で、
世の中全体が減速し縮小していくような局面においては、そうは行かない。
景気の良かった頃についてしまった景気のいい習慣は、
それが出来ないような経営状態になっても、
誰かが断ち切らない限りダラダラ続くし、
不要になった部署や人員もどこかで思い切らないと、そのまま存続する。
現在が過去と違った状況になっていても、
今までがそうだったからという理由がまかり通るのがむしろ常識的である。

 

スピードが落ちてきたら、
シフトダウンしてエンジン回転を維持しなければ
エンジンがパワーバンドから外れてトルクを失ってしまうことを分かっていても、
シフトダウンは、シフトアップよりもはるかに多くの手間とテクニックが必要で、
その先に待っているコーナーの厳しさがあるので、
シフトアップしか経験してこなかった経営者はどうしていいのか分からず、
ブレーキを踏むことすらためらうことが多いが、
それを躊躇していれば、間違いなくスピンするか、コースアウトして、
レースを失ってしまうのだ。

 

会社の経営とは、成長している時よりも収縮する時にこそ難しさがあり、
多くの場合、難しいシフトダウンをためらって、
会社自体を失ってしまうことも多いようだ。
そんなことを考えさせられた今日であった。
ヒールアンドトゥーは出来る人には何でもないが、
教わってやろうとしても、なかなか簡単には出来るものではないのだ。

 

 

今日は神奈川の相模原でキーパーPROSHOP研修会。
相模原では「快洗隊上溝店」を使って行っている。
会場が狭いので定員は24名と決まっていて、
だから、ここでは合計3回開催される事になっている。
それだけ沢山の方々に参加していただいているということで、ありがたいことです。

 

 

新横浜から名古屋に新幹線で帰る時、
新横浜駅のホームの売店で、
崎陽軒のシュウマイ6個入りの小箱と缶ビール一個を買った。
小腹が空いた時に、ちょうど良い大きさなのだ。

 

 

ところが、この写真を撮ったあと、爪楊枝でシュウマイを一つ取ったら、
箱が少し動いてバランスが崩れ、シュウマイが、小箱ごとバサっと床に落ちてしまったのだ。
「ありゃ、しまった」と小声でつぶやいたら、
近くにいた女性のパーサーさんが、
「あっ、落ちちゃいましたか。ちょっと待って下さい。おしぼり持ってきますから。」
と、かなり大きな声を出してバタバタと向こうへ走っていった。

 

落ちたのは小さなシュウマイが5個だけなので(1個は口の中)
さっさと拾って紙袋に入れて終わったのに、
またバタバタと戻ってきたパーサーさんは、
「・・・せっかく・・おしぼり持ってきたのに・・」という感じで、がっかりした様子だった。

 

パーサーさんは間違いなく良い人なのだが、

 

 

ああ、はずかしかった。

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2009年10月20日(火曜日)

2331.今日は研修会、花巻会場

今日、起きたのは朝早かった。(日付が変わったので正確には昨日)
午前7時45分発の飛行機に乗るためだ。
JALの中部⇔花巻便は、
私の好きなジェット機MD-90が就航している。
バイパス比の大きなターボファンジェットが静かなうえに、
機体のリアの部分にジェットエンジンが装着されていて、
離陸時でもほとんどジェットの爆音が聞こえないくらい静かな飛行機で、
私はこの飛行機が大好きだ。
MD-90の製造会社「マクドネルダグラス」は、何年か前にボーイングに吸収された。
吸収後もMD-90は「ボーイング717」なんて小馬鹿にしたような名前をつけられて
一応、製造し続けられたが、それもすぐに中止になった。
だから、新しい機体が出てくる事のない飛行機なのだ。

 

10,000m上空から日本アルプスが紅葉し雪を頂いている様子が見える。
秋を深く感じる時だ。

 

 

今日のキーパープロショップ研修会は「岩手県花巻市」

 

プロショップの登録数が1,000軒を越え、今月中には1,100軒を越す勢いだ。
と言っても、プロショップの軒数を追っているわけではない。
間違いのない技術を持ち、正しくコーティングを施行できる店舗を確実に作りたいと思い、
一軒一軒の登録を進めてきた結果が、とうとう大台を超え、
むしろ増加のスピードが上がってきていることは、ありがたいが、
数ばかりで質が落ちてくることを心配する思いもある。

 

いずれにしても、これだけの軒数になってくると、
研修会も最初の頃とはまるで違う様子だ。
昔は、研修会と言っても親睦会のような色合いが強かったが、
今はまさに真剣そのものの研修会らしくなってきている。

 

研修会は、参加の1人1人にきちんと情報と技術を伝えることが目的であり、
一回の研修会の定員を狭い会場では25名、広い会場でも40名とした。
それでも、参加者の希望で集中してしまう場合もあり、
先日、愛知の中央トレセンでは60名の研修参加者に対して、
快洗隊のスタッフが10名以上研修兼手伝いで入って、やっとであった。
こんな感じで研修を進めても、全部で30回以上の開催になってしまうことは必須だ。
平均35名×30回でやっと全員参加になる。

 

第7回の全国を回っての今回の研修会も
今日の花巻が何回目の研修会であったかは、もう数えていない。
一回一回を気合を入れまくってやっていくことはもう無理で、
普段の仕事として淡々と開催したほうが、
むしろ、参加者の人にきちんとしたことが伝えられる。と考えたのだ。
だから「今何回目、あと何回」と数を数えるのはやめた。
淡々と、お伝えすべき事を、伝え、すべての参加者に最もお役に立てる研修会にしたい。

 

東北も仙台での開催だけでなく、
東北の北三県、岩手、秋田、青森の人たちのために花巻での開催が出来るまでになった。
ありがたいことである。
皆さん真剣に研修会に参加され、熱いものを感じる。

 

午後5時、私の出番がすべて終わり、そそくさと飛行場に向かう。
午後6時10分、花巻→中部行きの飛行機に乗るためだ。
本当は、花巻から今日の内に東京に行っておいて、
そのまま明日の神奈川・相模原での研修会に参加する予定であったが、
カリキュラムを少し工夫すれば、花巻空港から中部への最終便に乗れることが解り、
急遽、今晩は愛知の家に帰って、
明日の朝、新横浜までを新幹線で行くことにした。
東京での宿泊費を考え、私が随時に飛行運賃の割引を使えることを計算すると、
どちらの経路でもほとんど経費は変わらず、
しかも、家に帰れること考えると迷うまでもない。
飛行機で愛知に帰ることにしたのだ。

 

私はホテルに泊まるのが本当に嫌いになっている。
長年の事だが、歳を取って、家が恋しくなったのか、ホテル嫌いになってしまったのだ。

 

「いわて花巻空港」に到着して搭乗手続きのカウンターに行く。

 

「いわて花巻空港?」
従来の「花巻空港」が移転して、
今までと違う所に「いわて花巻空港」を造ったのだそうだ。
そういえば、朝、飛行場に到着した時、懐かしいと思わなかった。
花巻は何年ぶりかであったので、
飛行場に到着したら、以前の飛行場の風景を懐かしいと思うはずだが、
そう言えば思わなかった。
新しい空港になっていたのだ。

 

「いわて花巻空港」は、立派である。
一体いくらかかったのだろうか。
残念ながら、東北新幹線が盛岡、八戸と開通し、
東京から、速い新幹線「はやて」ならば2時間27分で盛岡まで到着するようになったら、
東京から飛行機で行く人はまずいない。
現に「花巻⇔羽田」の便はもうなくなっている。
とすると、花巻からは大阪、名古屋、札幌の便が残っているだけ。
(他にローカル便があるかもしれないが調べられなかった)

 

その数少ない便も、名古屋便が来月から無くなるそうだ。
すると一日往復三便の大阪伊丹便と、一日往復二便の札幌便だけの空港になってしまう。
私が知らないだけでもっとあるのかもしれないが、
少なくとも私が知っている限りでは、一日に五便が発着するだけの空港だ。
そんな少ない需要に対して、
空港の係員はひととおりの人が一日中空港で勤めるわけだから、
とんでもない不採算であるはずだ。

 

「何考えているのだろうな、お役人さんたちは。」
と考えながら、カウンターに行くと、
名古屋(中部)行き18:10発の案内表示に「欠航」と赤字で書いてある。
「欠航っ?」
カウンター女性
「はい、四時ごろに欠航が決定しました。中部空港で機材の整備に入りまして、欠航です。」
私、
「整備って、こわれちゃったの?飛行機が。」
カウンター女性
「はい、、、、」

 

で、結局、また会場に戻り、
岩崎所長に盛岡まで送ってもらって「はやて」に乗って東京まで来た。
今は東京のホテルの中。

 

せっかく家に帰れると喜んだのに、
ぬか喜びに終わった。
期待をしたからこそ落胆も大きい。
期待していなければ別に落胆もせずに済んだはずだが、
変に期待してしまったので、大きな落胆をすることになってしまった。
がっくりである。

 

 

今日の会場、
閉校となった元女子高が公共の色々な施設になっていた。

 

 

午後5時くらい飛行場へ向かう時、どよんと曇っているのに夕焼けで空が赤い。

 

 

立派、超立派な新「いわて花巻空港」

 

 

本文にはまったく関係ないが、
新しい三種のコーティングデザインシート。
ものすごくかっこ好くて、目立ちます。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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