谷 好通コラム

2009年10月28日(水曜日)

2338.吉野家の豚丼が意外に旨い

昨日は「しゃぶしゃぶ」の話だったが、今日は「豚丼」の話

 

何年か前、牛海綿状脳症(BSE)の問題でアメリカから牛肉の輸入が止まった時、
アメリカ牛を原料として使っていた「牛丼の吉野家」は、
「アメリカ牛以外の牛肉では牛丼の旨さが出せない。」として牛丼の販売をやめた。
その当時、私たちは
「アメリカの牛肉が安いので高い牛肉を使うと採算が合わないのだろう。」
と思ったが、しかし吉野家は
「吉野家の牛丼はアメリカ牛でしかこの味を出せないからだ。」
と言い張っていたが、
「そうかなー」と、冷ややかな目で見ていたことを憶えている。

 

しかもBSEの問題は長引いて、
何年か吉野家は「牛丼の吉野家」なのに、牛丼なしで営業を続け、
代替品として出した「豚丼」もあまり旨くなかったので
評判は悪く、客足は完全に遠のいた。
店舗を見ても明らかに客が入っていない。
「いつまで吉野屋は意地を張り続けるのだろう。」と私たちは野次馬根性で見ていた。
吉野家は売上の激減で経営が一時は真剣に危ぶまれたくらいだ。

 

それが一年か二年前か、アメリカ牛の輸入が解禁になって、
吉野家が牛丼を再び販売し始めた時には
吉野家には行列が出来て、テレビ局がニュースとして取り上げたくらいだ。

 

あの一連の騒ぎが、吉野家にとって結果として「吉」であったのかどうかは知らない。
知らないが、私は吉野家によく行く。

 

何かの拍子に、
吉野家にあったメニューの写真で「豚丼」が旨そうに見えた。
何年か前、牛丼がなくなった頃に食べた豚丼は旨くなかったが、
そういえば吉野家の豚丼は旨いと誰かが言っていた。
「前の豚丼とは変わったのかな。一度食べてみるか」
食べたら旨いではないか!
牛丼よりこれは旨い。
そう思ってから、
私は吉野家で「豚丼」を食べるようになった。
あるいは家で晩飯がない時などは
吉野屋に寄って「豚丼」と「牛皿」を買う。
「牛皿」をつまみにしてビールを飲み、「豚丼」を食べる。
これがまた旨い。

 

吉野家はBSE災難で一時経営危機に陥ったが、
災難が去ったあと見事に復活した。
その間に、
「豚丼」をかなり研究したのだろう、非常に旨い「豚丼」を作り上げた。

 

復活した時、吉野家には「旨い牛丼」と同時に、「旨い豚丼」が出来ていた。
そのおかげで、私は、月に3回の吉野家が、月に5回に増えたような気がする。
牛丼だけならば月5回は飽きるが、
豚丼もあるので、今日はどちらを食べようか選択するようになって、
月5回吉野家を食べても飽きない。

 

吉野家は
BSEという災難があったから、
必死になって「旨い豚丼」を作り上げた。
BSE災難がなかったら
吉野屋に「旨い豚丼」はなかっただろう。

 

一つの成功に束縛されたり、
アグラをかいていたりすると、
新しいものは出来上がらない。
時代が大きく変化していく中で、自らも新しく変わらなければならない時、
今までの成功や常識に束縛されていたり、
アグラをかいていたりすると、
時代の変化に即した自らの新しい変化を作り出すことは出来ない。
新しい時代への変化とは、ある意味では災難であるかもしれない。
そんな時、災難の中で「旨い豚丼」を作り出した吉野家から学ぶことが多いと思った。

 

 

最近大ファンの吉野家の「豚丼」旨い!

 

 

もちろん、牛丼も旨い。

 

 

昨日は北神戸でキーパープロショップ研修会。
熱い熱い人たちの熱気で狭い会場があふれていた。

 

 

北神戸は研修会は熱かったが、気温はやっぱり低かった。
今日は福岡。
福岡の気温は暑く、温度順応が追いつかず、
ちょっと体調を崩してしまったのは残念である。

 

もちろん福岡の皆さんも熱い。熱い。

 

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2009年10月28日(水曜日)

2337.老舗が迷い込んだ迷路

一見裕福そうな家が続く住宅街にあるその店舗は
松阪肉で有名な老舗(しにせ)の「名古屋の出店(以降名古屋店という)」である。

 

何十年も前、三重の本店には、私も一度だけ行ったことがある。
初めて食べた特上の松阪肉の網焼きは、
2cm以上の厚みがあるにもかかわらず、箸だけでやすやすと切れる。
完璧に霜降りが入っているからなのだろう。
あまりにも美味く、私の牛肉に対する概念を打ち砕くに十分な贅沢であった。
金額がいくらであったのか憶えていないが、
自分ではとても払えないような高額であったことは憶えている。

 

その老舗が名古屋市内の比較的新興の住宅地のロードサイドに店を出していたのだ。
百人は楽に入れるだろう大型店でものすごく上品な造り。

 

今日はちょっとしたことがあってその店に3人連れで食事に行った。
もちろん、前もってインターネットで調べ、
その店が、私が知っている昔の本店の値段のようには高くないことを知っていた。

 

電話で予約を入れる。
「今日7時半に予約できますか?」
『はい、7時半ですね。ちょっとお待ちください。』
『お待たせしました。お席をご用意”できます”ので、お電話番号をいただけますか。・・・』

 

その老舗の三重の「本店」はたいそうな人気だったので、
名古屋店も混んでいるのだろうと思ったが、
店に着いたら、五十台は入る広い駐車場に停まっているのはほんの数台だけ、
「あれっ、へんだな。」と思ったが、そのまま店に入る。

 

受付けから席に通される途中、
「足が下ろせる席がいいのですが、」
『大丈夫です。イス席ですから、・・』
・・・・・・
日本料理の店では一番良い部屋は床の間のある和室の個室と決まっている。
そうでなくとも個室はいくらでも余っているはずだ。ガラガラなのだから。
私たちはなぜ最初からイス席と決められていたのだろうか。

 

 

席に着いてから案内してくれた人に聞いた。
「タバコは吸えるのですか?」
『いえ、全館禁煙になっております。
おタバコは廊下に出ていただいて右に喫煙室がありますので、お使いください。』

 

ちょっとムッとして、
「エー、じゃ、やめよう。他に行こうかな。」
意地悪な言葉を言うと、その案内してくれた男性は、
『はい、わかりました。』と、ニコニコと笑顔で言う。
その表情には「申し訳ない。」とか
「えっ、そんなことをおっしゃらず」なんて感じは全くない。
そう言われることに慣れているかのようにニコニコしている。

 

「いや、我慢します。」
いまさら他の店に行くほど私の空腹は待ってくれない。
ちょっと意地悪で言っただけだ。
それにしても一番がっかりする返事であった。

 

 

メニューを見ると、安い。
インターネットで安いメニューがあることは知っていたが、
昔の本店の値段を知っているので、
高いものはインターネットには紹介してないだけで、
別に高いメニューもあるのだろうと思ったら、
そんなものはなく、ただ安いメニューがあるだけのようだ。
安いと言っても、
一番高い一人5,000円のしゃぶしゃぶコースは決して安くはないが、
三重の本店ならば最低でも1万二千円。
中クラスのメニューなら1万五千円から2万円はするだろう。
それを思うと安いと思ったわけだ。

 

メニューの写真を見る限りでは特上の霜降り松阪肉である。
「しゃぶしゃぶ」か「すき焼き」のコース。
あの老舗の「本店」ならば「網焼き」が定番のはずだが、
この店ではそういうメニューはないという。

 

では、とりあえず「しゃぶしゃぶ」で。
しゃぶしゃぶの肉は肉全体が白く見えるほど霜降りになっている。
でも野菜は白菜が芯ばかりであった。
何か意味があるのだろうか。

 

出されたしゃぶしゃぶを、ひととおり食べて、
コースに入っている「うどん」をお願いした。
すると『お肉はもうよろしかったですか?』と肉の追加はないでしょうかと言った。
私は肉の次の「うどん」をお願いした。
だから、肉の追加はない。

 

私は「この店は、お客様が嫌いなんだろうな。」と思った。

 

大型店で、実に品がよく、
その店で食事をする事自体がステータスになるような店舗である。
しかも安くて、いい肉を出している。
その店舗にお客様がまったく入っていない。

 

その老舗の名前は充分に有名であり、
それだけで客が呼べるはずだ。
店舗の質感も十二分であり、地域の人に充分に認知してくれているだろう。
集客という意味では申し分ない。

 

それで、お客様が入っていないのは、リピート客が出来ないということだ。
つまり、一度来店されたお客様が何度もその店を利用していない。
なぜリピートしないのか。
そこにこの店の致命的な問題点があるのだろうと思った。

 

 

まず、電話で予約をした時。
「今日7時半に予約できますか?」
『はい、7時半ですね。ちょっとお待ちください。』
『お待たせしました。お席をご用意”できます”ので、お電話番号をいただけますか。・・・』
これだけ暇な店なのに、
今晩の予約を申し込まれて
電話を待たせて、空き席の確認など必要ないだろう。
予約をいただいたら
すぐに『はい、ありがとうございます。大丈夫です。』だろう。
『お席をご用意“できます”ので・・』ではなく、
『お席をご用意させていただきます・・』だろう。
いかにも繁盛店のような言葉を使いながら、
実は暇な店であったことに、非常に違和感を持った。
歓迎の気持ちがない。
忙しい本店ではあの言葉でも良かったが、この店は暇なのだから、あの言葉は変だ。

 

店に行ったら、
すぐにイス席に案内されたのは、
電話で何を注文するかを言わなかったから、安い一見(いちげん)さんと思ったからか。
それでも座敷が空いているのだから、
『お席はイス席かお座敷のどちらがよろしいですか?』と聞くべきだろう。
お客様を見ずに、お客様に聞かずに、
電話の感じで「イス席に案内すべき客」と勝手に決めてかかるのは
身勝手と言うしかない。

 

店が忙しくて
お客様に席を選んでもらう余裕のない「本店」ならば、
今日、予約をしてきた一見さんならば、当然イス席に案内されるだろうが、
名古屋店は本店ではない。暇なのだ。

 

この扱いは「あなたはイス席がお似合いですよ」と宣告され
自分は老舗有名店には歓迎されるべき人間ではないと思ってしまう。

 

なのに、
用意されているメニューがその老舗有名店とは思えないほど安い。
1,500円から一番高くて5,000円まで。(5,000円は安いとは言わないが)
せっかく、高いけど松阪肉が飛び切りうまい有名な老舗に来たのに、
非日常的な贅沢がまったく用意されていない。
「この地域の人間ではそんな贅沢なものは食べないだろう。」と思っているようだ。

 

5,000円のしゃぶしゃぶコースでも充分に贅沢だが、非日常的ではない。
この地域では、ほとんどの人が日常的贅沢の範囲でしか注文しないかもしれないが、
せっかく超有名な老舗の店に来たのだから、
それが非日常的な特別な日ならば、非日常的な贅沢をしたいこともたまにはあるだろう。
なのに、10,000円の網焼きとか、
バカ高い非日常的なメニューは何もない。本店ではそんなのばかりなのに。
私たちのような庶民でも、たまには食べてみたいと思うではないか。
あるいはメニューにあるだけでも嬉しいではないか。

 

高級ではないこの地域に合わせて、
日常的な贅沢メニューに押さえているのに、
客の希望も聞かずにイス席に座らせるという超一流店の傲慢さは持っている。

 

 

肉のあとの「うどん」を持ってきてくれるように言ったのに、
『お肉の追加はよろしかったですか?』と言われたのは、
『どうせ肉の追加なんてしないんでしょうね』とヒガミに聞こえるのは、
スタッフの方が笑顔を口元だけでは作っているけど、
決してこちらの眼を見ない仕草から、
私が歓迎されていない感じを受けたからだ。

 

タバコを吸えないんだったら他の店に行こうかな。なんて意地悪な言葉に、
責任者らしき男性が、
ニコニコと「はい、分かりました。」と即座に答えたのが、
『文句あるならとっとと出て行ってくれ。』的に聞こえ、
この店の人は、この地域の客を、嫌いなのだと思った。

 

店は豪華で、
スタッフのお行儀はすこぶる良い。
躾がよくなされているだろう。
肉は美味い。
安い。
だのに、なぜお客様はこの店にリピートしないのだろう。

 

それは、
この名古屋店が
便利な場所にあるが
店舗は豪華なだけであり、
しかしスタッフの行儀は良いだけであって、
親近感は感じない。
肉は普通に美味いだけであり、
美味い肉の割には安いだけ、だから、リピートしなかったのであろう。

 

三重の本店はどうだろうか。
不便な分かりにくいところにあるし、
店舗は決して豪華ではないが、古くていい。
スタッフは忙しいので丁寧さはほどほどだが、テキパキしていて気持ちがいい。
肉はとんでもなく美味く、絶品である。
そしてとんでもなく高い。
気が遠くなるほど高いが、
あんな特別に美味しい松阪肉はちょっとやそっとの店では中々ないであろう。
その肉を中居さんが上手に料理してくれるのだ。
ベテランのおばさんたちの話は、お上品ではないが、面白い。
値段も非日常的だが、
ボッタクラレている思いはまったくない。
だから、非日常的な何かがあった時には、
非日常的な美味さと楽しさを求めて、非日常的な金額でも払う。
「美味かったし、楽しかったけど、やっぱ、高っけえなぁー」と言いながら。
一つの最高の贅沢と言えるかもしれない。
と言いながら私は何十年も本店に行っていないが。(私には高すぎる)

 

そんな店で育った経営者が、
そんな本店の感覚で、名古屋店の店作りをした。
しかも、ここは便利な所にあって、豪華で立派な建物だ。
これで客が来ないわけがない。
と思ったが、ここは新興の住宅地。
住んでいる人にそれほどの余裕があるわけではないので、
値段はリーズナブルなものにした。
値段に合わせて、本店のような特別な肉ではない。
それでも有名老舗ならではの牛肉はある程度採算度外視のいい肉だ。
中居さんも、ベテランを揃える訳にはいかないので、
若い人を”教育”した。

 

そうしたら、
便利な所にあって、
店舗が豪華な、
スタッフの行儀が良く、
肉は美味く、美味い肉の割には安い名古屋店が出来た。

 

その老舗の取り得は美味しい肉である。
だから、普通の感覚では見事と言えるレベルの肉を出し、
それをリーズナブルな値段で出している。

 

なのに店はちっとも繁盛しない。
この地域の住民はそれを理解できないのか、
つまり本物の肉の美味さがわからないのであろうと店は思った。

 

 

お客様からしてみれば、
便利な所にあって、
店舗が豪華なだけであり、
スタッフの行儀は良いだけであって、
感じが良いわけではない。
肉は普通に美味いだけであり、
美味い肉の割には安いだけの店だから、
あえてリピートする理由がない。

 

便利な場所にある店はどこにでもあるし、
建物が豪華なのは、自分のお客さんを接待で連れて行くにはいいかもしれないが
住宅地ではほとんど関係ない。
スタッフの行儀がいいのは気持ちいいが、
教育されたマニュアルどおりのお行儀は不自然であり堅苦しくもあ
肉は美味いが、特別に感動するわけではない。
いい肉にしては安いかもしれないが、
日常の生活の中では十分に高い部類に入る。
住宅地の住民にとってはリピートする理由がない。
しかし、特別な値引きでもあれば「安いから」と行く程度だ。

 

本店での成功を体験してきたスタッフには、
この日常的な感覚が分からない。
だから、
「しょせん、このあたりの人にはこの肉の良さを分かる人なんていないのかな。」となる。

 

店の責任者、スタッフが、
お客様を馬鹿にし始め、
お客様を嫌いになってきた。
難解な迷路にとことん迷い込んだのも同然だ。

 

何かにつけて「どうせこの辺の人は・・・」という感覚で、
ものを考え、言葉を出し、行動し、どんどん顧客満足が見えなくなってくる。

 

この店は迷路から抜け出すことが出来るか。
結論から言えば、出来ないだろう。
お客様のことを嫌いになった店で、立ち直った店を見たことがない。

 

立ち直ることが出来るかもしれない方法があるとするならば、
人を全部入れ替えて、引継ぎを一切行わない事だ。
人間一度嫌いになったものを、また好きになれることはほとんどないから、
人はすべて変えるしかない。
お客様を嫌いになった人からお客様に対するネガティブな感情を引き継いでも
マイナスにしかならないから引継ぎは一切しない。
そして、人をとことん好きになれる能力を持った超ポジティブ人間を投入し、ゼロからスタートする。

 

私ならばどうするだろう。

 

快洗隊岡崎店は、スタッフ全員がお客様のことが大好きだ。
いや、快洗隊全部がお客様のことが好きだ、
その中でも特に岡崎店はお客様のことが大好きであるような気がする。
いつもトップ圏内にいて安定している岡崎店の秘密は
ひょっとしたら、こんなところに有ったのかもしれない。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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