谷 好通コラム

2009年11月25日(水曜日)

2360.「私にはビジョンがない?」

何事も「具体的なビジョンを明確に持ち、計画性を持つことが必要」だと言う。
私もみんなにそう言うことがある。

 

何日か前の夜、飲んだ。
その夜は、その翌日から次の週にかけてハードスケジュールに入る前夜であり、
体調を整えるために決して飲みに出てはならない夜であったが、
クリエイティブな人たちとの話が楽しかったので、
懲りもせず、またたくさん飲んだ。

 

一緒に飲んだ人の一人が
「谷さんのビジョンは何ですか?」と聞かれて、
私は「ビジョンはありません。」と答えたが、
酔っていたせいもあってちょっと乱暴な答えだった。

 

私には「こんな風に生きていく」というビジョンはあるが、
私自身の「私はいつか、こうなる。」というビジョンは見えていない。
というより、見えなくなったと言うほうが正確かもしれない。

 

何を理想とした方向の仕事をしているのかははっきりしている。
洗車・コーティングを通じて
多くの人が幸せになってくれればいい。

 

スタッフがお客様のためを思って、プロの技術でお車をキレイにして、
お客様が、そのキレイさに驚き、喜んで、
「ありがとう」とスタッフに声をかけてくれる。
その言葉によって、
お客様の喜び=スタッフの喜びが作り出され、
スタッフは、お客様を驚かせ、喜んでいただこうとして
一生懸命、技術を磨き、
気を配ってお車をキレイにする。
すると、お車はますますきれいになって、
お客様とスタッフの両方がハッピーになり、ビジネスも成立する。
スタッフがお客様のこと、
店のこと、仲間のこと、会社のことを考えて、一生懸命仕事をすれば、
お客様がスタッフのことを考えてくれて、
お客様の喜び(CS)とスタッフの喜び(ES)が共存して、繁栄するビジネスを作り出す。
そんな「人のため」を考えることですべてがうまくいくような職場を作りたい。
そんなことが出来たら最高だと思う。

 

決してきれいごとではなく、
それが実現できたら、ビジネスとしても最強だと思うのだ。

 

こういうことを「ビジョン」と呼ぶかどうかは分からない。
しかしビジョンとは、もっと明確に形あるものだろう。
これはむしろ行動指針などと呼ぶべきものではないだろうか。

 

 

会社を経営していくには「中期経営計画」というものが策定され、
その計画にのっとって会社としての行動が決められ、
随時、その進捗状況と計画を比較してズレを修正しながら、
中期計画を更新していくのが経営のセオリーである。
中期計画とは、たいていの場合、三年後までの計画を指すが、
私は不心得ながらその計画をほとんど意識したことがない。
悪く言えば「行き当たりばったり」となるが、そういうことではない。

 

経営計画とは、「快洗隊店舗を3年後までに○○軒増やして▽▲軒にする。」とか、
「売上を年率○○%アップさせるために、
商品戦略を新たに構築して、マーケティングの手法を×■△に変更する。
そのための経費が○○%上がるので、経常利益は○○%増加するはずだ。」とか、
それぞれの要素についてこと細かく分解して計画しそれを積み上げていく。
たしかに、これを作っていると間違いなく実現するような気持ちになるのだが、
実際はそうは行かない。
一年という短いスパンで考えても、
会社を取り巻く外的状況も刻々と変化するし、社内事情も一定ではない。
たった一年の間にも予想もしなかったチャンスも数々出てくるし、
思いもよらぬ困難が不意に出現することもある。
何一つとして決して計画通りにはいかない。それが普通だ。

 

2歩上がって1歩下がることもあれば、
1歩上がるつもりで始めたことが、気がつけば10歩以上も昇ってしまっていることもある。
逆に1歩昇るつもりが、あっという間に5歩ぐらい滑り落ちることもある。

 

いつも、今いる場所と状況を見て、予定を自由自在に変更して、
ベストの行動を取らなくてはならない。
予定を優先して、状況の変化に気づかなかったり、
新しい状況に適合できなければ、
どんなビジネスであろうと上昇方向には成り立たないだろう。

 

だから感覚的に
「予定通りなんていかない。その時点での状況次第だ。」が染み付いていて、
今の状況に目を見張り、状況の変化に適合することを最優先する。
すると、中期経営計画はただの参考程度となって、
計画を立てた三年後は、計画とはずいぶん違った結果が出ているものだ。

 

すると、目指すべき終着点としての形を持ったビジョンはさっぱり見えなくなっていて、
目指す方向と行動さえ間違えなければ、
「何年後にあるべき姿」は見えなくても、
持つべき価値観にも基づき、行ける所までは行けるだろうと思うようになる。

 

それに、絶対的な事実として、
生き物である「人」には必ず死が訪れるものだ。
それも、たぶん、それは不意に訪れるのだろう。

 

人生の最終目標を形を伴って目指すならば、
多くの場合、不意の死によってその最終目標には届かないだろうし、
ほとんどが「志半ばにして、途中で終わってしまう」となるのではないか。
だから、最終目標まで行かなければ実現しないようなビジョンは持たずに、
その経過が、「十分に生きた」と思えるような生き方にしたい。

 

その時に備えて、
最終的な形あるビジョンは持たずとも、
自らの価値観に従った方向に仕事をして、精一杯生きていけば、
必ず来るその瞬間に、「十分に生きた」と思えるような気がする。

 

だから単に「ビジョンはありません。」と言った。
言った後、ずいぶん考えて、どういう意味であるのか自分でまとめてみて、
「あ~、こういう意味だったんだ。」と一人で納得した。
自分でもその時、意味をはっきりと意識できなかったので、
私に「ビジョンはありません。」と言われたあのクリエーターも、
たぶん、どういう意味か分からなかっただろう。

 

 

昨日、広島県福山市の「快洗隊新涯店」でキーパープロショップ研修会を開いた。
第7回の研修会シリーズが始まってもう二ヶ月が経つ。
9月下旬に始めた頃は8月のキーパー選手権の表彰はリアルであったが、
二十数回目の11月の昨日では、
8月の選手権の表彰はあまりにも遅すぎる。
次回、つまり12月から始まる第5回キーパー選手権の表彰は、
何か方法を変えなくてはならないだろう。

 

そして、今日は新涯店のテレビ会議の道具を使って、チーフ朝会に出席。
午後10時過ぎから四国に渡って大急ぎで横断し、快洗隊の二軒のFCさんを訪問。
急ぎすぎたので、かえって時間をもてあましながら松山空港でこれを書く。
たった一泊であったが、
最近の私には一泊の出張が気持ちの限界になっているようだ。
たった一泊で、早く家に帰りたいと思うようになった。
年取ったかな?

 

 

一昨日、愛知の快洗隊11店舗のチーフが「飲み会」を企画したので、飲んだ。
刈谷店の浅野チーフが幹事らしい。なかなかやるもんだ。

 

 

瀬戸大橋を渡って、

 

 

時たまある紅葉を見ながら、

 

 

高松の「天雲さん」の「快洗隊・中森大橋店」へ。

 

 

高松から松山へ走って、
藤村石油さんの快洗隊・松山くるぴか君本町店へ

 

 

松山空港から、ボンバルディアDHC8-Q400で、中部空港へ。帰る。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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