谷 好通コラム

2010年03月09日(火曜日)

2445.反発を覚悟しながら、あえて「イルカ」の話

哺乳類が元々何から始まったのかは知らない。
しかし6,500万年前の小惑星の衝突によって絶滅した恐竜に変わって、
今、地球上でもっとも反映している動物の一つだ。

 

何十億年も前、生き物は海に発生していつのころか陸に上陸した。
陸上で進化発達した生き物で最も進化したのが哺乳類である。

 

イルカは鯨の仲間で哺乳類の一種。
地上の動物であった哺乳類が、「海」での生活に特別に適応進化して、
また「海」に戻っていった。
イルカはグループで生活する知能の高い動物だ。
だから、イルカを食料とする日本人は残酷だと世界では評判がすこぶる悪い。

 

今年のアカデミー賞で映画『ザ・コーヴ』が長編ドキュメンタリー作品賞をとった。
和歌山県大地町でのイルカ漁の様子をドキュメンタリーでつづった映画だ。
かわいいイルカが大量に網の中に追い詰められ、
モリであろう棒で刺されて、
入り江の中を血で真っ赤に染めるシーンは衝撃的である。

 

知能の高いイルカを、
友達あるべきイルカを、残虐に集団殺戮し、
その肉を食べる日本人は、どう見ても野蛮である。
それが世界中の人々に強烈にイメージ付けられるのは明白だ。

 

と、ここで反発を覚悟で反論。

 

人間は元々雑食だ。
縄文時代以前は狩猟生活であり野生の生き物を獲って殺して食べてきた。
その他に木の実や根菜などを採り、魚などを獲って食べてきた。
雑食といっても基本的には肉食であったと言えるのかもしれない。
それが弥生時代に入って人々は定住生活になり、
穀物などを栽培して主食としてきた。
それでも相変わらず蛋白源の確保として狩猟は続いていた。
昔から今もそうであるように人間は「肉」を食べる生き物なのである。

 

しかし、それはイノシシであり、鹿であり、鳥であったので、
それらは知能が低いから獲って殺し食べても残酷ではないと言うことかもしれないが、
今も普通に食べている家畜の多くはかなり知能が高い。

 

ニワトリですら人になついてペットになるくらいだ。
昔、私が若いころ、露天で買ってきた「ひよこ」は「ピー子」といって
家族によく慣れていた。
家族以外の人が来ると警戒するが、家族が歩くと後をついて回り、
家族と家族以外の人を見分けているようだった。
(ピー子はアパートの隣部屋の猫に噛まれて死んでしまった)

 

牛は非常に頭のいい動物で、
飼い主の家族の中でも一番強い人であるお父さんをよく見分けて、
その人の言うことは聞くが、お母さんとか子供のことは馬鹿にして言うことを聞かない。
感情も、表情も実に豊かだ。
馬もそうだろう。
背に乗る人の技量を見透かして、
下手な人が騎乗すると、ちっとも指示に従わないそうだ。

 

その牛や馬は何のためらいもなく殺して、
馬刺しで生肉を食べたり、
牛はステーキでレアだ、ミディアムだと焼き具合を指定しておいしく食べる。

 

私は牛にはなりたくない。
牛の一生はきわめて残酷だ。
食べられる目的で生まれ、
生まれたときから鉄柵の中で食べられる目的で育てられる。
「霜降り肉」が上等なので必要以上に食べさせられて肥満になり、
成体になったら、食べられるのが目的で売られ、
トラックの荷台に鼻輪を縛られて、立ったまま何百キロも運ばれる。

 

鼻輪はそれを引っ張ると牛は痛いから言うことを聞く。
トラックで運ばれている様子は、横一列に並べられ、
トラックがブレーキを踏んだりアクセルを踏むたびに体が倒れそうになり
鼻輪がひどく引っ張られて、
牛は大きな目を見開き悲鳴を上げている。
牛にとっては拷問そのものだ。
食べられるのが目的のまったく救われない死の行軍。

 

食べられるためにセリにかけられ、
屠殺場で、並べられ、仲間が順々に殺される音を聞きながら順番を待ち、
でっぱりが着いた大ハンマーで一撃に眉間を打たれ即死する。
死んだ遺体は処理場に運ばれ、大量の血を出し、解体される。
その血は一日何万リットルにもおよび、
誰にも残酷さを感じさせることなく廃棄物として扱われ、捨てられる。
冷蔵庫につるされた枝肉は、
もう完全に食べ物であり、
それを見た人は「うまそうだなぁー」とつぶやく。

 

牛肉とは、とても頭が良く人に良くなつく牛の肉だ。
しかも牛にとっては残酷なやり方で、人間から同情されることもなく、
当然のこととして食べられる。
家畜だから当然なのか。
食べられるために生まれ、育ち、死んだのだから、食べられることが当然なのか。
それは人間の言い分であって、
牛にとっては、むしろ惨酷なことではないか。
牛を自分に置き換えて考えると解るだろう。
どんな目的で生まれようと、自分自身にとっては関係ない。
死にたいとは思わないし、食べられたいとも思わない。生きたいはずだ。
自然に生きる野生動物も家畜も関係なく生きたいと思うはずだ。

 

 

私は牛肉が好きである。
豚肉も、鶏肉も、魚も大好きである。
私は肉食である人間の一人であるから。
肉食動物が肉を食べること自体は自然の摂理であって残酷なことではないのでないか。
むしろそれが自然そのものの行為であろう。
それが哀れな家畜であろうと、野生の動物であろうと。

 

 

イルカは実にかわいい。
私も大好きである。
だから、イルカを殺す光景は惨酷であると感じるし、見たくない。
牛が殺されるのを見たくないのと同じように。

 

しかし、牛を食べる人を誰も残虐な野蛮人とは思わないが、
イルカを殺し食べる人にはそう感じるのは、
雑種の犬が死んでいる光景よりも、
自分がペットとして飼っている種類の犬が死んでいる光景の方が、
よりかわいそうだと思う感情と同じようなものではないだろうか。

 

私は牛肉を食べる。豚肉も鶏肉も、羊の肉も、魚も食べる。
鯨は小さい時から食べてきた。
今出された鯨肉が実はイルカであったとしてもそんなには驚かないかもしれない。
しかし犬や猫は食べない。イルカも分かっていれば食べないだろう。
サルも食べない。感情の問題である。
地球の生態系に影響のない動物ならば、その肉は食べるかもしれない。

 

私は雑食動物である人間であり。だから肉食もするから。

 

感情としてイルカ漁はやめて欲しいと思う。
自分の持っている感情としては、かわいそうと思えてしまうから。
しかし、
自らの感情に沿わない者を、野蛮だと決め付けるのは、いいこととは思えない。

 

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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