谷 好通コラム

2011年05月15日(日曜日)

2787.孤独の一人旅に思わず「富士山、さようなら」

世の中、一生懸命やれば必ず報われると言うものではない。
頑張っても、頑張っても、結果が出ないこともある。
そんな時は、あ~~~~~あっと、ため息つくか、
わが才能の無きこと、あるいは衰えを潔く認めるしかない。

 

とうとうビリになってしまった。
午前中に公式予選を行なって、私は8台中の8位。ビリだった。
今年のゴルフGTIカップは、5台のゴルフ6と3台のゴルフ5の参加で、
わずか8台が出走することになっている。
大震災の影響とは関係ないと思うが、
今年のレースは全体に出走台数が減っているように傾向がある。
その中で、私はゴルフ5に乗り、
ゴルフ6の方が5より2~3秒早いので、6は全部前にいる。
後ろにいるゴルフ5の3台中の3位、つまりビリだった。

 

昨年の富士戦では、
予選が1分12秒5だった。
今年の予選は1分11秒2だったので、およそ1秒3速くなっているのだが、
(昨日の練習走行よりはずいぶん良くなった)
他の選手が速くなっているのか、
台数が減ったので半自動で私のポジションが決まってしまったのか。
何にしてもビリとはきびしい。

 

予選は20分間あるので約7・8周周れるが、
タイヤが温まり、
なおタイヤ表面がフレッシュな最初の2周、3周目にベストが出やすい。
私は2周目と3周目にアタックしたが、
3周目の最終コーナーで失敗してしまったので、
2周目がベストとなった。
4周目、5周目もアタックする価値はあったが、
無理して余分にアタックしてもタイムが上がる確率は低く
決勝でのタイヤを温存する意味で、実質的に3周目で引き上げてしまった。

 

みんなが速くなっている今年で、11秒2では、
下手するとビリになるかもしれないと思ったが、肝心な決勝を優先したわけだ。

 

・・・・
・・・・
・・・
あと1時間で決勝のコースインである。
どうなることやら。

 

・・・・・
と、ここからは、
・・・・・・・
決勝が終わり、帰りの新幹線の中。
一緒にレースに出た畠中君と、いつものメカニック小林君、そして大石さんは、
レースが終わった二台の車を公道を走れるようにタイヤを換え、
荷物を片付けてくるまで帰ってきてくれる。
なのに、私は新幹線で一足先に帰るのはいささか申し訳ないが、
色々都合があってのことで、本当に申し訳ない。

 

 

さて、レース決勝の結果。
ゴルフ6のクラスで出場した畠中君は、
予選は五台中の四位と振るわなかったが、スタート直後の第1コーナーで、
前の予選順位上のゴルフ6のインを突き、三位に浮上。
その後、100Rを不安定に行くゴルフ6をヘアピンでもう一台追い抜いて、
一周目で二位に浮上した。
そして、そのまま見事に二位でゴールしたのだった。
サーキットの場内アナウンスも興奮気味であったと、あとで聞いた。

 

 

その頃、私は、
最後尾からスタートし、
第1コーナーで、前を行くゴルフ5のインを差してやろうと気負っていたが、
スタート直後からジリジリと前の車と距離が離れ、
デッドヒートする機会はまったく無く、
そのまま一周に1秒ずつ引き離されて、
10周のレースが終わった時点では前の車と約10秒離されて、
最後尾、ビリの一人旅であった。

 

こんなレースは初めてだった。
レースは競争のはずだが、競う相手もいず、
初めから終わりまでずっとビリのまま、一人ぼっちで孤独に走る。

 

恐れていたこのパターンにとうとうはまってしまったのか。

 

私は「これで俺のレースは、とうとう終わった。」とブツブツ言いながら走り、
コースを走っていて時折見える富士山に「さよーならー」と大きな声で言ったら、
少しジンと来た。

 

情けない、ぶっちぎりのビリである。

 

昨年の富士のレースでは、
前を行く倉持選手と熾烈なデッドヒートを繰り広げ、
結局、私が勝ってゴルフ5の五台中二位だった。
タイム的にもレース中のベストタイムは私の方がわずかに速かった。
しかし今年は、きっちり1秒、彼の方が速く、
私だって昨年より、決勝タイムは一周あたり0.5秒以上速くなっているので、
倉持選手は昨年より1秒半速くなっている勘定だ、

 

それに私の車は、
シーズン前にCOXが推奨していた「0.82秒速くなるブッシュ」を着けていない。
私も物自体は買ってはいたのだが、残念ながら取り付けが出来なかったのだ。

 

そう考えると、
今度こそ私の№26ゴルフ5にもCOXのブッシュを組み込んで戦えば、
7月下旬の第二戦・仙台SUGOサーキットは、私の大好きなコースでもあり、
そうすれば、なんとか前に行けるかもしれない。

 

今回のレース中はビリ一人旅のレースに、
思わず、富士山に「さよなら」を言ってしまったが、
今は、また「今度こそは」と思うようになった。
あわよくば、その前に行って、
一生に一度の優勝もして見たい。

 

今日のレースは長崎での大切な行事に出席すべきなのを、
この日がたまたま私の唯一の趣味であるレースの初戦ということで、
わがままを言って欠席し、出場したレースだ。
ビリのままで終わり、これでサヨナラしたのでは申し訳ない。

 

7月の仙台SUGO戦に私のレースのすべてを掛ける。
なんてことを思ったのでした。

 

小林君、大石さん、畠中君、そしてわざわざ応援に駆けつけてくれた岩崎君。
昨日の菅野君、荻原君、
それから私のレースに付き合ってくれた人たち、
ありがとうございました。

 

ビリのままで私も終わりたくない。
本気でそう思ったのでした。

 

 

午前中の予選の時、
なかなか上がらぬタイムに神頼みの小林君に相談する図

 

 

富士スピードウェーの最終セクションを走っていると、
こんな感動的に富士山が見えるのです。

 

 

くっきり見えるのです。
それで、私はこの富士山に「さよーならー」と言ってしまったのです。

 

 

レースが終わってから、
私が孤独のビリ一人旅を終えて、意気消沈している隣で、
4位から2位へジャンプアップした畠中君が思い出し笑いをしている姿は、
ちょっとだけムッとするのです。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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