谷 好通コラム

2011年05月22日(日曜日)

2792.脇阪選手「さぁ、これから何かいい事あるぞ~」

今日は、岡山国際サーキットでSUPER GT第二戦の決勝日。
朝、新幹線で名古屋から岡山に向かった。
きのう東京で野崎君の結婚式があったので、
今回は、今日の決勝だけを見ることにしたのだ。

 

昨日の予選ではまた何か不具合があったのか、
我が№35「D`STATION KeePer SC430」は、
GT500クラス15台中の14位であったと聞いていた。
だから、今日の決勝を見に来るのが少々気が重かったのは正直なところ。

 

午前中のフリー走行でもあまりいい結果は出ていない。

 

サーキットに到着したら、
早速、個人的なセレモニーがあった。

 

本来なら3月18日に公開テストがあり、
4月上旬にこの岡山国際サーキットのレースがあり、
それが今年の開幕戦であったはずだったが、
東日本大震災の影響で、公開テストは中止となり
開幕戦の岡山が今日にズレ、第二戦となった。

 

公開テストがあったはずの3月18日は私の誕生日だった。
それで、チームクラフトが私にサプライズ誕生プレゼントを用意してくれていたらしい。
「脇阪寿一選手と同じヘルメット」だ。
同じメーカーで同じ型のヘルメットに、
脇阪選手のヘルメットにペイントした人が、同じカラーで造ってくれた。
しかしその公開テストの日が中止になったので、
4月の富士スピードウェー戦でプレゼントの予定だったのが、
私が土曜日の予定を変えて名古屋に帰ってしまったので、
岡山戦の今日、私にプレゼントとなったのだ。

 

ずいぶんややこしい話だが、
やっと私の手に脇阪選手と同じヘルメットが渡った。

 

文句なしに嬉しかった。

 

 

さて、レースだ。
GT500クラス15台中の14位からのスタートはチームとして不本意のはずだ。

 

午後2時からの決勝スタートに先立って、
午後0時40分くらいから「コースイン」のついでに「フリー走行」。
まず脇坂選手が車に乗り込む。

 

ピットから車に乗り込む時、
脇坂選手が不意に、両手を伸ばして、
「さぁ、これから何かいい事あるぞーっ。」と大きな声で怒鳴った。
そして、
風のように№35に乗り込む。

 

私はその言葉に、しばしキョトンとしたが、すぐに鳥肌が立つほど感動した。
「さぁ、これから何かいい事があるぞー」と、
自分をプラスの方向に奮い立たせているのだ。

 

フリー走行はまずAドライバーの脇坂選手が走り、
次にBドライバーのアンドレ・クート選手が走って、
そのままコース上のグリットに整列する。
そこから、グリット開放で、
グリット券を買った一般の観客がグリットになだれ込み、しばし見物だ。
選手と記念写真を撮る者もいれば、レースカーを食い入るように見つめる人もいる。

 

時間が経って、グリット上から一般の人が去り、
いよいよ決勝レースのスタートだ。
スタートドライバーはアンドレ・クート選手。

 

GT500クラス15台、GT300クラス22台が、
先導車の後に従い隊列を組んでゆっくり走り始める。
一周回って、先導車がコースをはずれ、
シグナルが青になると、全車、全速でスタートだ。

 

「スタート!!」

 

 

スタート直後の順位争いは熾烈であり激しいものであるが、
№35アンドレ・クート選手は順位どおりにスタートし、
一周、二周と、同じ14位で回る。
しかし不意に一台抜いて13位に上がり、また一台抜いて12位に上がる。

 

「おーっ、やった」とみんなの声が上がるが、
すぐに一台に抜き返され13位に落ちる。
そして、そのポジションで淡々と周回を重ねる。
順位は低いが、ベストのラップタイムは1分27秒3・・と、
十分に一桁の順位の速さであった。

 

レースは全部で68周。
その20数周のところで、ピットがドライバー交代の準備を始めた。
これは見に行かねばとピットに入り、隅っこに座ってじっと見守った。

 

目の前には、交代を控えた脇坂選手が座っている。
ヘルメットを被り、布製のディレクターチェアに足を投げ出して座り、
リラックスした形で精神を集中させている。
ピットの中が緊張で張り詰め、
特に、脇阪選手の周りにはピリピリした空気が漂っている。

 

しばらく時間が経ち、
ピットスタッフが交換のタイヤを支え、スタンバイに入り、
№35がいつピットインして来てもいい配置に入る。
脇阪選手は、まだ、じっとそのままだ。

 

そこへマネージャーさんが、そっと脇阪選手に何かを告げた。
すっと脇坂選手が立ち、ピットロードに向きを変え、スタスタと歩くと、
そこへ、バアッオッと№35がピットインした。
まるで、まるで映画の1シーンのようだ。

 

スイッチが入ってバネが外れたようにスタッフが一斉に動く。
エアジャッキで車が一瞬にして20cmほど上げられ
ほとんど一瞬のうちにタイヤを交換する。
クート選手が急いで車から降り、すかさずスパッと脇坂選手が乗り込む。
すべてが一瞬のできごと。

 

燃料を補給するためにノズルが給油口にガバっと押し込まれ、
急速給油が始められた瞬間、
ガソリンが飛沫になって飛び散った。
近くで聞けば、バシャーッと音がしたはずだ。
あわててスタッフがノズルを押し込み直して超高速の給油は終わった。
脇阪選手はコックピットに乗り込み、
ドアは閉められている。

 

と、その時、
オレンジ色の炎が上がったのだ。
飛び散ったガソリンに、焼けたエキゾーストで火がついたようだ。
音はしない。
オレンジ色の炎が一瞬のうちにドライバー側のドアを覆った。
と同時に、二台の消火器から白い煙のような煙が勢いよく吹きかけられた。

 

液化された二酸化炭素なのだろう。
零下何十度ものCO2のカタマリは、一瞬のうちに炎を消した。
すべてが一秒か、二秒のできごと。
みんなまったく動じる様子はない。

 

一瞬のうちに消えた炎だが、
三秒くらいで、また炎が上がる。
そこへまた消火器の液化二酸化炭素の煙を浴びせたと思ったら、
バアアアアと爆音を立てて、
脇阪選手は、№35を出発させてしまった。
もちろん火は消えている。

 

あ~~~っ、びっくりした。

 

コースに戻った脇坂選手が乗る№35は速かった。
クート選手が出したベストラップをたちまち更新して、
前を行くライバルを追い、一台、また一台と抜き始めた。

 

私たちはピットの後ろにあるテントで、テレビ画面と記録の画面を見ながら、
「すっげえ、はやいっ。・・」と興奮していた。

 

私と鈴置君は、
実際に走る№35を、この目で見たくて、
テントからコースを見晴らせる場所に出た。

 

明らかに脇阪選手はライバルより速い。
私がコース脇で見た10周くらいのうちに、三台抜いた。
一台抜くごとに「脇阪っ、速い!抜いた、抜いた。」と、
あたりかまわず大声を上げて、興奮して見ていた。
最高だ。
(あとで聞いたら、13位から8位まで上がったそうだ。)

 

あと10周くらいになった。
ピットへ戻ろう。
みんなと最後の追い上げを、応援したい。

 

そう思って、ピットのテントに戻り、
「脇阪さん、速いですね。何台も抜いたところを見ました。」
とマネージャーさんに話しかけたら、
「速かったんですけどね、今、ピットインしました。燃料だけ入れたんです。」
と言う。
「えっ? ピットイン? 燃料足りなかったんですか? 」

 

私が見たピットインで、給油の時、燃料が噴出した。
それに火まで着いた。
たぶん、噴出した分だけ燃料の補給が足りなかったということか。

 

余分なピットインのタイムロスは致命的に大きい。
№35はあっという間に14位にまで転落し、
残り数周ではいかんともしがたく、14位のままゴール。

 

予選の失敗で14位に甘んじ、
決勝を14位でスタートして、
素晴らしい走りで8位までジャンプアップしたが、
ピットイン時に給油作業の失敗の結果、
最後の最後に、また14位にまで落ちた。

 

レースが終わって、立ち話で、
チームの橋本社長が
「申し訳ありませんでした。」と一言。

 

私が「でも、先がなんとか見えましたね。」

 

「はい、勝負できるセッティングが見つかりましたから、今度は行けます。」
橋本社長は、いつもの愛嬌のある無表情で、クールに言う。

 

でも今度のレースはマレーシアのセパンサーキット。
私は行かない。ものすごく見たいと思うが、私は行かない。残念だ。

 

 

今日のレース。
何度も感動して、びっくりして、ぶったまげて、熱狂して、興奮して、
最後に、完全に負けた。

 

むちゃくちゃ面白かった。

 

「さぁ、これから何かいい事があるぞー」

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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