谷 好通コラム

2013年01月02日(水曜日)

1.2.現場を持たなかった1年4ヶ月の空白期間

27年半前に創業して、今に至るまでの間に、
私達は現場を持っていない約1年4ヶ月の空白期間がありました。

 

【1985.9】株式会社タニとして起業。共同石油高津波サービスステーション。
【1989.4】2号店クリーンベースWithオープン。洗車・コーティング専門店。
【1993.2】アイ・タック技研株式会社を設立。
【1995.2】高津波給油所の眼前に強敵が建設され、対抗して全面改装。
Linksと命名、販売数量では圧倒的に勝つが、採算割れ価格で大赤字が続く。
【1996.8】リンクスの運営断念。撤退。
【1997.3】クリーンベースWithをスクール専門施設にするため閉店。
アイ・タック技研㈱から現場がなくなる。
【1998.7】リンクスを継承の運営会社も撤退し、後の設備を借り受け、
洗車・コーティング専門店「快洗隊・刈谷店」としてオープン。
・・・・・それからいっぱいのことがあって
今では26店の直営店を運営していますが、
創業から12年目、15年前の
【1997.3】から【1998.7】の1年4ヶ月の間、
アイ・タック技研㈱は、現場店舗を失っていた期間がありました。

 

あの期間のことはよく憶えています。
1997年から1998年にかけて一回だけのあの年末年始は、
12月29日から翌1月3日まで6日間の連休を取りました。

 

会社の誰も働いていないので、ゆっくりとした気分で、
緊張感のない気が楽な6日間であったことを憶えています。
「いいな~~、こんなお正月。18歳で仕事(SS)を始めて以来の平和だ。」

 

現場がなくなってから、
日常の仕事もなんとなく平和になりました。
「もう現場を持つのはやめよう。これは楽で平和でいいや。」
そんな風にも思いました。
現場がなくなるとKeePer製品の営業活動に集中できて、
それなりには業績も上がって、
土日も休めるし、本当に平和で楽な日々でした。

 

しかし、1996年8月に私達が、
刈谷Links店で仕入れ値以下での安売り戦争に疲れて撤退した後、
店舗を引き継いだ別の運営会社が、販売数量をも落として、
1998年の3月に刈谷店から撤退したので、
昔からお付き合いのあった地主さんの要請で、
もう一度この店を借りて店舗を運営するかどうか、選択する機会がありました。
が、その店をガソリンスタンドで再度運営することはあり得ませんでした。
売っても、売っても、売っただけ赤字が増えていく
あの赤字地獄はもうこりごりだったからです。

 

しかしこの話をもらった時点で、
立地のいいこの店で、
洗車・コーティングの専門店をやり直したい気持ちもありました。

 

現場を持たないことは楽であり平和でしたが、
洗車・コーティングビジネスの可能性や、その技術、ノウハウを説いていても、
自分自身はそれを実践しているわけでも、出来ている訳でもなく、
内実の無い口先の能書きだけの安っぽいペテンの「物売り」のようで、
自分に後ろめたさと嫌悪感を持ち始めていたからです。

 

そんなマイナスの気持ちが原因だったのか、
私はその頃、いくつもの失敗を重ねていました。
ちょっと楽をすると、人間は楽して儲けることを考えてしまうのでしょうか、
今考えると実におろかな動機から出た失敗ばかりでした。
そんな具合ですから、
会社は財政的には万全とまでは言えず、
新たにまた店舗を持つのは、冒険であったことも確かです。

 

しかし、一度撤退したその店で、
新しいコンセプトのビジネスを実践する事に妙に魅力を感じましたし、
今となっては勘違いとも思えるくらいの自信もありました。
というよりむしろ、
自分がKeePerコーティングで提唱してきたビジネスを、
良い条件の中で、自分で実践して、
それで万が一に失敗したとするのなら、
それは自分がやって来たこと自体の否定にもなるわけなので、
すべてをなくしても当然であって、それでもいいと思ったのです。

 

そんなことで、再び刈谷の地で店舗を持つことを決意したのですが、
最後まで躊躇したのは、
現場を持っていない楽さと平和な日常に心残りがあったからです。
「また、疲労困憊の年末と土日もない生活に戻るのかい。・・・」

 

しかし、いつまでも平和で楽に仕事を続けていくと、
自分と会社がドンドン陳腐になっていくことを強く感じていました。

 

それで快洗隊・刈谷店をオープンしました。
最初は当然、
新しいコンセプトの店なのでたくさんの苦労はありましたが、
やって良かったことは間違いありません。
快洗隊が増えれば増えるだけ、
実績を上げれば上げるだけ、
実際にキーパーコーティングのビジネスが
ちゃんと成立し、可能性が大きい事を証明しただけでなく、
ケミカル、機械、道具の実戦的な開発の裏づけとなり、
高い品質を実現する技術にも磨きがかかり、
運営ノウハウと、販売ノウハウが蓄積できたこと、
何よりも、技術的・販売的に自信と裏づけを持った営業を展開できました。

 

もちろん、楽ではなくなったし、平和ではありません。
いつも現場との背中合わせで364日、
現場で働く人たちを想う緊張が続きますし、休みもありません。
それがなくなるのは全店が休みになる元旦だけです。(だから364日)
本当にたくさんのスタッフにご苦労をかけています。
たくさんの人が力を合わせていい仕事をしてくれるので、
いつも緊張感があります。
おかげさまで、自分もべらぼうに忙しい生活を送らせてもらっています。

 

しかし、今、思うに、
15年前の1年4ヶ月、あの楽で平和な日常のままだったら、
こんなに面白い仕事は出来なかったでしょうし、
こんな多くの仲間もいなかったでしょう。
実践を伴わない口先だけの陳腐な仕事をするようになっていたかもしれません。

 

あの1年4ヶ月を懐かしくは思いません。
楽した中で、目先の楽な金儲けを考え始め、
あのまま行ったら、とんでもない怖い事になるところだったと、ぞっとします。

 

 

 

昨日私が写真を拝借した黒木さんが、
富士山の写真の大きめのデータを送ってくれました。
なので、拡大して、ドアップにしてみました。
山が少しピンク色なのは、日の出の光の色です。

 

 

これらの写真は、
黒木さんのご自宅から歩いて5分ほどのポイントから撮ったのだそうです。
ため息が出るほど、うらやましい話です。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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