谷 好通コラム

2013年07月24日(水曜日)

7.24.弁証法的な成長がない命令と服従

本日三つ目の話です。
実は、今日はお客様にご不幸があってお別れの会に出席するため、
行きと帰りで約7時間も新幹線に乗っている時間があったのです、
朝は給料のチェックを根を詰めてやったので、
ちょうど良かったのですが、それも1時間半あれば終わり、
それから一つ目の話を書き始めました。
これを書いていると、あっという間に時間が経って、
長い列車の時間もまったく無駄になりませんし、つらくありません。

 

今回の話は「命令と服従」の話です。
前話までに議論の大切さを書いて来ました。
議論があってこそ、物事が進んでいくし、人の成長も図れるということです。

 

議論の正反対が「命令」と「服従」です。
軍隊のコミュニケーションがこれです。

 

軍隊では人間は兵器のひとつ、あるいは一部なので、
「撃てっ!」「進めっ!」と号令をかけても、
兵隊が撃たず、進まずで、
「なぜ撃つのですか。今、撃つのはおかしいと思います。」
「進まない方がいいと思います。」なんて、
議論をしているような軍隊では、負けます。100%負けます。

 

信教の自由、発言の自由があれだけ発達しているアメリカでも、
軍隊では命令に対するいかなる議論も許されません。
命令されれば服従しなければなりません。
命令と服従は、議論が入る余地がないので、
非常にスピーディーなコミュニケーションです。
戦いは早さが肝心で、
ゴチャゴチャ議論なんかやっている間はないのです。
上官が命令し、部下がそれに服従して、
即、行動する。
これは戦いの中で最も必要とされるスピードを実現する最良の手段です。

 

でも軍隊は、
残念ながら敵を殺す行為を主たる任務とする極めて特殊な世界です。

 

私達がいつものように暮らしているいつのも世界では、
命令と服従のメリットである伝達即行動の「速さ」を発揮する必要はありません。
必要なのは、合意であり、一致であります。

 

命令と服従には、
アンチテーが許されず、
議論も許されず、
だから、ジンテーセが存在しないので、進化も成長もありません。

 

テーゼ→アンチテーゼ、議論の闘い、ジンテーゼという弁証的な進化は、
アンチテーゼの存在が許されない命令と服従の関係の中で、壊れています。

 

命令と服従、
これは軍隊の中でなくても、
一般の社会の中で、
安易な方法のコミュニケーションとして一般的によくありますが、
そこには少なくとも、弁証法的な進化ありません。

 

 

 

今日は、これくらいでもうやめます。
これを書いている途中で、一仕事のあと
お酒を飲んだので、酔っ払ってしまったのです。

 

・・・・
ごめんなさい。

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2013年07月24日(水曜日)

7.24.「面白いバカな奴」か「面白い変な奴」に出世するだけです

議論の戦いこそが弁証法的な進化を生むと書いた。
これは物事の進化だけにとどまらず、人の成長にも同じようなことが言える。
自分の意見を言い、
他人からの反論を受け、
その反論に対して、
違う側面から自らの論理的な正しさ主張すると共に、
と同時に相手からの反論の中にある論理的正しさを受け入れる。
そういったやり取りの繰り返しの中で
自分の考え方、見方が弁証法的に進化する。
(ここで、あまりにも軽々しく弁証法的という単語を、
解からないまま使っていてイイのかなと心配になってきたが、気にせずに行く)

 

議論というものは人の成長に欠かさざるべきものだ。
議論とは、論理的な主張と反論が交互にあって、
お互いが自らを主張すると同時に、
相手の論理の正しさを受け入れるものであり、
議論の結果として、新たなる結論があるものを言う。

 

「ただのおしゃべり」とは、まったく違うもの。

 

何かのための議論でもなく主張でもなく、
人の悪口で自分達を慰めているだけの井戸端会議や、
友達どうしの無駄話は大好きだが、
真剣な議論になると、まるっきり発言できない者がいる。
こういう人は自らに対する反論をされる議論というものをしたことがないので、反論されれば、叱られたぐらいにしか思えず、すごく苦手なのだ。

 

「会議は参加するものではなく、参画するものだ。」という言葉がある。
会議に出席すると、意見をまったく言わない者がいる。
いわゆる参加はしているが参画していない者だ。

 

「意見を言うと誰かにすぐ潰されるので、言っても仕方がない。」
そう思っているのだろうか。
反論されたら反論し返す議論をしたことがなく、
無駄なおしゃべりばかりしている者なのだろう。
あるいは、
「潰されるような意見を言うと評価が下がるから、黙っていたほうがイイ」
とでも思っているのだろうか。

 

いえいえ、
会議で一番評価を下げるのは「黙っている奴」です。
あるいは当てれば話すくせに、当てなければ話さない奴です。

 

しかし、しゃべりすぎて評価を下げることがあるかもしれませんね。
いえいえ、大丈夫です。
その会社がしっかりと議論が出来て活気ある会議が出来ているならば、
その場で叩き潰してくれます。でも決して評価は下げません。
「面白い奴」としてみんなの記憶に残ります。
でも、調子に乗って何度も分からないことを喋りまくると、
今度は、「うるさい。だまっとれ。(かなりでかい声)」と、
こっぴどく叩き潰されます。
でも、評価下がっていません。
「面白い奴」から「面白いバカな奴」か「面白い変な奴」に出世するだけです。

 

私が知っている多くの会社の場合、
「面白いバカな奴」か「面白い変な奴」とは、
「平凡で面白くない奴」の正反対であり、
「将来大物になるかもしれない奴」というような、かなりの褒め言葉です。

 

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2013年07月24日(水曜日)

7.24.議論し戦うことは、弁証法的に進化すること

中学校の倫理社会の授業で、
ヘーゲルの弁証法とかいうものを習ったことがある。
私の頼りない記憶では、
「一つの状況とか力(テーゼ)」が存在すれば、
必ず相反する状況を求める力(アンチテーゼ)」が発生して、
この相対する二つの力は当然のごとく闘うが、
その闘いは、どちらが一方的に勝つこともなく、
「新しい状態、統合された力(ジンテーゼ)」を生みだすにすぎない。
しかし、
ジンテーゼが新たに出来上がると、
同時にそれに反するアンチテーゼも生まれて、
新たな闘いが運命的に始まる。
この絶え間ない闘いが、歴史の進化であり、人類の歴史そのものである。
・・・・・
というような論理であったような記憶がある。
でも、試験で「ヘーゲルの弁証法とは」という問題が出たら、
この答えでは、×しかもらえないでしょう。

 

いい加減な記憶でしかないし、
しっかりと勉強をしたこともないので、
わざわざヘーゲルの弁証法なんて持ち出すまでもありませんが、

 

実生活の中で、
【テーゼの存在、アンチテーゼの発生、闘い、ジンテーゼの誕生。】
こんなサイクルで考えると理解しやすいことが多いと思ったのです。

 

例えば「闘う」を「議論し戦う」に置き換えると面白いです。

 

自分が何かに対して意見(A)を持てば、
その意見に反対の意見(B)を持つ人(Zさん)が必ず出ます。
意見(A)が正しいのか、(B)が正しいのか、
お互いに議論して(闘って)、
意見(A)を持つ私は、
(Zさん)の意見(B)に同感できる部分があって、
自分の意見(A)の一部あるいはかなりの部分を変えます。
逆に、
意見(B)の(Zさん)も、
私と議論をして(闘って)いく中で、
私の意見(A)に賛同してくれる部分があって、
(Zさん)さんは意見(B)を修正しています。

 

こんな場合、
私の意見(A)と、
(Zさん)の 意見(B)は、お互いを理解して、
意見(A)でもない、意見(B)でもない、
二人の議論(闘い)を通じて、
双方が歩み寄った、共通の意見(C)が生まれます。

 

この意見(C)は、
お互いがお互いの意見を受け入れて昇華させた意見なので、
たくさんの人に賛同を受けやすい意見に進化しているはずです。

 

しかし、
意見(C)が生まれたと同時に、
きっとその意見に反対する意見(D)を持った人(Yさん)が現れます。
そこからまた議論の闘いが始まるわけです。
でも、そのうち、意見(C)と、意見(D)との議論を通じて、
更なる意見(E)が生まれ出て、また一歩進化するのでしょう。

 

これはまさしく弁証法な進化そのものですね。

 

議論は闘いですが、
どちらかに一方的な勝ちがある訳ではありません。
口喧嘩ならば、
声が大きい方か、早口か、かん高い声が勝ちですが、
それは相手がイヤになっただけであって、本当に勝った訳ではありません。

 

真剣な論理性を持った議論の闘いは、
そのどちらかに一方的な勝ちはなく、だから一方的な負けもありません。
お互いがお互いの意見を真剣に聞き、
受け入れた上で、自分の意見を相手の意見を踏まえて話します。
自分の意見が100%正しいなんて事はないと、お互いに知っているので、
相手も自分の意見を受け入れます。
すると、最初に言い張っていた意見の違いが、次第になくなっていって、
二人ともがなるほどと思うような新しい結論が出来上がります。

 

だから、いい議論とは、実に弁証法的だと思うのです。

 

議論は口頭でも、メールの上でも出来ます。
私達の会社では、
会社人全部、あるいはある一部のセクションの人、
いずれにしてもたくさんの人に、
自分の考えた意見、作品、考え方を
メーリングリストで呼びかけて、
みんなから意見を求めることをよくやります。
ダザイナーも、多くの人に使ってもらうもののデザインなどを
みんなに送って、みんなから意見をもらっていることも多くあります。

 

みんなの意見をもらうこと。
真剣に議論を戦わせること。
相手の意見を受け入れてしまうことが、
議論の相手と共に、
その議論を進化に結びつける、役に立つような議論にする事になる。

 

 

それに対して、何の進化もないのが、不毛な服従であり、命令です。
これについては長くなりそうなので、またあとで書きます。

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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