谷 好通コラム

2013年10月12日(土曜日)

10.12.私と生沢徹氏「おうちに帰りたい症候群?」

1960年代から70年代にかけてのレース界のスーパースター「生沢 徹」氏に、
キーパーLABO世田谷店でお会いし、
そのあと近くのイタリアンレストランで、
ランチをご一緒させていただきながら
エキサイティングな2時間半を過ごしました。

 

先月、9月11日のブログに生沢徹氏について書いています。
http://blog.sensya.com/president/index.php?date=2013-09-11

 

「生沢 徹」を取り上げたサイトは山ほどあります。
http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/Tetsu2.html

 

1960年代から70年代にかけて、
日本のレースの創生期であり黄金期がありました。
その頃レースが好きだった人にとって、
生沢徹はまばゆいスターであり、神様のような人でもありました。

 

仕事のつながりとはいえ、
そのスーパースターが、目の前で一緒にご飯を食べているのです。
でも意外と舞い上がっているわけでも、緊張をしているわけでもなく、
普通に話をしているのが、むしろ不思議でした。

 

ずいぶん長い話をお聞きしたのですが、
その中に、大変共感を覚えることがありました。

 

生沢徹氏はパリ、ロンドン、モナコ等々世界中に”ご自宅”をお持ちで、
ちょっと前まで一年中世界中を旅行し、
三分の二をそれらの外国の家で暮らし、
日本のご自宅で過ごすのは少しの日だったそうです。
ところが一年半前、ある海外の空港で、
急に、旅行をするのがすごくイヤになって、
あれ以来、外国に行くどころか、
東京と御殿場の家を行き来するぐらいで、
日本国内の旅行すらまったくしなくなったそうなのです。
「不思議だね。」と、笑っておっしゃっていました。

 

私も似たような体験があります。
たぶん、四五年前までだと思いますが、
私は日本国内を中心にですが、世界も含めて一年中出張をしていました。
中国にだけでも70回渡航しています。
海外へは全部で100回は越していたでしょう。
日本国内ならその何十倍もあちらこちらに行きました。
それが、四五年前、
ロサンゼルスのホテルの部屋で一日を過ごさなければならないことがあって、
急に、たまらなくに家に帰りたくなったのです。
「あーっ、うちに帰りたいっ!」と、
部屋で大声でどなり、泣けてきました。
あれ以来、出張かグン減り、海外へもほとんど行かなくなりました。

 

私がその話をすると、生沢徹さんは、目を細めて聞いていらっしゃいました。

 

私と生沢徹氏ではスケールがまるで違いますが、
これを、私は「おうちに帰りたい症候群」と呼んでいます。

 

今日、メールで送っていただいたたくさんの写真の中の一枚です。

 

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