谷 好通コラム

2019年10月16日(水曜日)

10.16.自分達が造った機械の優位性がかえって会社の命を縮めた

今は亡き私の父の学歴は尋常小学校出、
今でいう中卒のようなものだったが、
無類の勉強熱心だったらしく、就職したその会社で素晴らしい実力を着けて、
定年退職時は取締役製作部長にまで昇り詰めた。
製作会社においての製作部長とはプロパーとして最高の地位だ。

 

特許もいくつも持っていたと聞いた記憶がある。
彼と彼らが造りだした最新の技術で、
その機械の製作会社は、その世界では名だたる大会社に成長し、
名証に上場するまでになっていた。

 

60年くらい前、私がまだ小学生の頃、
伊勢湾台風のたぶん前、
バリバリの最新の技術者であった父は、
まだ国交のなかった共産圏の「チェコスロバキヤ」での国際見本市に、
会社の最新鋭の機械を出展しに、
単身、決死の覚悟でヨーロッパに出張していた。
今で言えば、宇宙旅行に行くようなもの。(ちょっとオーバーか)

 

その後の東京オリンピックで
チェコスロバキヤのチャフラフスカ選手が
体操で金メダルを取った時は「やったー」と喜んでいたらしい。

 

そんな、世界的にも最新の最先端の機械のメーカーであったその会社は
父が18年前、75才で亡くなったその頃には、
経営が相当傾きつつあったようだ。
今はもう上場を廃止していて、他の会社に買収されて、
父が取締役をやっていた頃の創業家の人は誰もいない。
会社としては潰れたのだ。

 

その会社が持っていた最先端の技術が、
二十数年前、他の機械メーカーに追いつかれる前までは、
その最先端の技術の機械は、日本だけでなく海外からも、
客先から「欲しい」と、注文が殺到していて、
造れば売れる状態で、
”営業”は、来る注文に応じていればいいだけであり、
販売のノウハウも、販売力、営業力も育つことなく
社内では「こんな”殿様商売”いつまで続くものか。」と、
しきりに噂されていたとは、
その機械製作会社に父の紹介で入社した人の言葉。

 

はたして、その会社の機械としての優位性は、
いつか、追いつかれて、無くなった時、
販売力と営業力を自ら失っていたその会社にはなすすべもなく、
短期間で経営は行き詰まり、
上場廃止の上、身売りするしかなかった。

 

私の父が決死の思いで国交の無かった共産圏の国までに、
技術者として機械を売りに行った会社が、
機械の優秀性が故に、会社としての営業力が育つことなく無くなって
あっという間に、没落して、
実際は、今は、もう無いことを初めて知って、背筋が凍る思いがした。
私の父も、自分達が造った機械の優秀性と優位性が、
会社としての営業力というあるべき力を削いでしまい、
かえって、社の命を縮めてしまったとは、夢にも思わなかっただろう。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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