2016年09月06日(火曜日)
9.06.久しぶりに横隔膜の疲労を感じながら
今日は昨日から続いて東京にいて、
しかも今日は二回のプレゼンテーションを午前と午後のダブルでやったので、
久方ぶりに横隔膜の疲労を感じました。
午後8時には名古屋に到着します。
明日は午前中に定期診療の愛知の病院に行って、
昼からまた東京に出てきて、広尾でブランディングの打ち合わせと、
翌日午後から大宮で関東最後のプレゼンテーションをやります。
今週は、東京と名古屋を行ったり来たりで終わりそうです。
ピッチリ仕事すると快感ですね。
昔のことを思い出すのは歳を取った証拠ですが、
昔は、遠くの町に出張に出てしまうと、名古屋に帰るのが面倒で、
ホテルに着替えの下着などを行き先のホテルに送ってもらったこともあります。
一週間ぐらいなら平気で日本国中を走り回っていました。
家に帰るのが面倒に感じたのは、体力が有り余っていたからでしょうか。
それもあったかもしれませんが、
むしろ、目の前に作れる仕事があるのに家に帰る手間で、
出来る仕事が減るのが嫌だったのです。
気持は今でも一緒です。
今でも仕事が大好きで、
仕事さえやらせておけば、ぶつぶつ言いながらもご機嫌です。
わたしはだめです。
仕事さえやらせておけばご機嫌なのは、ちっとも治りません。
治したいとも思いません。
それとも、好きなだけ仕事をさせてくれる私の環境に感謝すべきなのでしょうか。
久しぶりの横隔膜の疲労を心地よく感じながら。
Posted パーマリンク
2016年09月05日(月曜日)
9.05.全国2位!三台分のブースと6レーンセルフSSの位置関係
昨日の昼過ぎから、静岡県富士宮にある岡重さんに行ってきました。
「キーパープロショップエッソ富士宮バイパス店」は、
8月31日に終わった2016年夏のKeePer選手権で全国2位に輝きました。
2位に輝いたというより、優勝を逃したという方が合っているでしょう。
8月20日報までは全国のトップを快調に走っていたのですが、
終盤、台風が立て続けに来て、まったく伸び悩んでいる間に、
台風の影響がなかった愛知のサンアイ自動車さんが、
爆発的にポイントを伸ばして優勝しました。
岡重さんの「キーパープロショップエッソ富士宮バイパス店」は、
最近、素晴らしい「コーティングブース」を建てたということで、
この店舗の皆さんの健闘をたたえると同時に
そのブースを見たさもあって、私は出かけた訳です。
この存在感はすごい。
ブースは三台分であり、天井の高さもほどほどで、
イースターカーテンの付け方も良く、
エアコンはもちろん、効果大の据え置きタイプ
誇らしげなトロフィーの群れ達。すごいですね。
接客カウンターのあるゲストルームも洒落ていて、
表現方法に気を付けなければいけませんが、
まるで「”青い”キーパーLABO」です。
カウンターから作業が良く見えます。
小林さんと、夏休み中にわざわざ出てきていただいた渡辺課長。
たまたま「車内清掃中」の、工藤さん。
新鮮で、うらやましいくらいカッコ良かったです。
それ以上にうらやましかったのが、
この三台分のブースの目の前が、
細い道路を挟みながらも、6レーンのセルフのスタンドになっている事でした。
キーパーLABOは、ご来店を促すような相手がありません。
お金を使えば新聞折り込みチラシも入れられますが、
そうでなければ、外に出て行ってポスティングをするか、
Webサイトにフォトログを上げるかくらいしか外からの集客方法がありません。
それに比べて、
ブースの目の前にある6レーンの計量器にはいつもお客様がいて、
そのお客様にブースを目の前にコーティングの話をして集客が出来るなんて、
夢のようなことです。
しかもそのブースは「青いキーパーLABO」のように、
説得力のある設備であり、文句のつけようがありません。
技術者たちはいずれも、
技術コンテストの会で優勝の経験があるつわもの達です。
話し込んでしまったので、帰りに着いたのは結局夕方になってしまいました。
せっかく富士宮に来たのに富士山を獲るのを忘れていました。
Posted パーマリンク
2016年09月04日(日曜日)
9.04.二十年前の”バナナ戦争”と倒産寸前からの脱出
約20年前とは、創業してから10年後、
まだガソリンスタンドである「高津波給油所」と
洗車とコーティングに特化したガソリンスタンド「クリーンベースWith」があり、
共に所属会社は「株式会社タニ」であった。
コーティング事業も「スーパーポリマー事業部」として始まっていて、
平成5年にはこの事業部を切り離してアイ・タック技研㈱が造られ、
㈱タニとは別の部隊として全国を飛び回っていて、
私もキーパーコーティング(今のピュアキーパー)の普及に熱中していました。
会社全体としてはとりあえず順調に成長を続けている時期で、
みんなで頑張るだけの状態でした。
しかしちょうど20年前、
大変な事が起こりました。
このころのドル箱であった「高津波給油所」の目の前に、
大きな喫茶店があったのですが、
その店が閉店して、土地が売られ、
でっかいガソリンスタンドが出来るというのです。まともに目の前です。
その情報は、どこからか入ってきたかは忘れましたが、
確証度の高い情報でした。
その頃、会社の経営はかなり安定してきていましたが、
ドル場である高津波給油所の目の前に大型スタンドが出来れば。
しかも地元に強い会社です。
手をこまねいていれば、お客様かそちら行ってしまうのは目に見えていました。
そこで、考えに考えて、
敵が工事を始めるより先に今の高津波給油所を壊してしまって、
大急ぎで新しいガソリンスタンドを造り対抗しようと決めました。
つまり先に建て替えをして迎え撃つことにしました。
座して死ぬより、全力で戦おうとしたわけです。
その頃、計量器メーカーのトキコさんに山田さんという方がいて、
その方が建て替え工事に協力をしてくれました。
とにかく、
突貫工事で、敵より早く店をオープンしようと、
道路を挟んで二店のガソリンスタンドが競争で工事をやりました。
その時、いったいどんな店が出来るのだろうかと敵の工事の案内のプレートを見たら、
「会社名 ○○石油、店名 バナナステーション、・・・」と書いてあります。
バナナステーションとは、洒落たつもりの店名でしょうが、
バナナステーションであれば、
オープニングイベントの景品は『バナナ』に違いありません。
間違いなくバナナを来店客に配るオーブンキャンペーンをやるのでしょう。
敵の動きが見えれば、もうこっちのもの。勝ったも同然です。
こちらの突貫工事は、
お向かいさんよりも一週間早く店舗を開けることが出来そうでした。
こちらのオープニングイベントのメインは、
“バナナ”を中心とした、食べ物いっぱいグルメプレゼントです。
チラシ上の扱いは特には大きくありませんが、
大きな房のバナナを2,000房!用意しました。2tトラック2台分です。
バナナステーションがオープニングイベント”バナナプレゼント”をやる前に、
近所に嫌というほどバナナをバラ撒いてしまおうとした訳です。
目の前のバナナステーションの人は本当に嫌だったでしょうね。
でも20年も前の、もう時効ということで、すいません。
でも、この作戦は当たって、
こちらのオープニングイベントは超満員で、
ご来店のお客様は、
とりあえず”バナナ”ひと房と、バンとか卵をもっていきました。
それに比べて、
一週間後に開店したバナナステーションのオープニングイベントは、
それはもう気の毒なくらい静かで、明らかに失敗でした。
刈谷の町のバナナ戦争は、私達が勝ちました。
しかし、本当の戦争はここからでした。
お互いにガソリンを、仕入れ価格を割ったような低価格で売り合って、
売れば売っただけ損が出るような消耗戦を延々とやったのです。
こんなことをやっても誰かが豊かになる訳でもないのに、
目の前の敵、憎さに、果てしない消耗戦です。
今、思い出すと、
お向かいのバナナステーションの○○石油さんとは、
一度も話し合いをしていませんでした。
たった一度の話し合いもせずに、
ただ相手憎さだけの、安売り戦争です。本当におろかでした。
はっきりした数字は憶えていませんが、
たしか、6か月で、7,000万円くらい赤字を出したと思います。
そんな愚かな戦争に嫌気が差したのか○○石油さんは早々に撤退されました。
私達の勝ちです。
しかし、すぐに代わりの販売店さん、新手が来られて戦争は続きます。
負けて撤退された○○石油さんは、戦争は終わりですが、
勝って店を続ける私達は、戦争が続く訳です。
何か月か経って、結果的に、この二番手の販売店さんとの戦争にも勝って、
二番手の販売店さんも撤退されました。
「勝った。勝った。」とみんなで喜びましたが、
すぐに、”三番手”が、大手の特約店であることを知って、
資本力のある会社を相手に、次はもっと長い消耗戦になることが予想されます。
一年以上の闘いで、
こちらももうボロボロです。
このまま戦争を続ければ、倒産することは明白です。
このまま進むか、引き返すか。
せっかく二番手にまで勝ったのに。
さんざん迷った挙句、
もう、そこでやめました。
勝ったのですが、その店から出ていくことにしました。
店舗を改装してくれた特約店さんには大変申し訳のないことをしましたが、
私達は、その店から逃げ出しました。
でも、倒産寸前で、間に合いました。
赤字垂れ流しのもとの戦争から逃げ出したことによって、
かろうじて、経営を立て直すことが出来ました。
その頃、お向かいの店も締めて取り壊していました。
私は倒産寸前まで安売り競争をしたことがあります。
死ぬようなつらい思いをして懲りました。
私たちが逃げて
しばらく月日が経って、安定してから
この店を買い戻しさせていただいて、
後に「快洗隊・刈谷店」
今の「キーパーLABO刈谷店」になっています。
Posted パーマリンク
2016年09月04日(日曜日)
9.04.最初は、愛知県刈谷市山池町5丁目116-1 から始まりました。
昨日、キーパーLABO刈谷店の土地の地主さんにご挨拶に行ってきました。
今度刈谷店を全面改装するための工事が始まるので、その前のご挨拶です。
この地は我が社の発祥の地であって、
創業の本社の住所は「愛知県刈谷市山池町5丁目116-1」です。
当時の店舗の名前は「共同石油 高津波給油所」と呼んでいましたが、
「高津波」は道路を挟んだ向こう側の住所であって、
こっちの名前の方がカッコイイと思って、
山池町なのに、勝手に高津波給油所と言っていたのです。
31年前の当初の土地代は、
土地1坪当たり政府買上米価格×米一斗二升分と、
この土地で米を作った場合の小作人としての賃料を払っていました。
この賃料は、
先代の加藤兵太郎さんがお亡くなりになり、
加藤俊夫さんの代になって、
弟さんの加藤重己さんとお二人の地主さんになった時、
普通に1坪当たり〇〇円となりました。
※(私は独立してすぐ、実は、小作人になっていたのです。)
加藤さんお二人は、1年前の30周年と上場記念のパーティーにも
ご出席いただいていて、盛大であったといっぱい喜んでいただきました。
懐かしいお二人との会話は、
心が安らぐ心地良く優しさに溢れたものでした。
相手を思い合う気持ちが31年間、
私達とこの地を支えてくれたものと思います。
ありがとうございました。
元中学校の教頭先生・加藤俊夫さんのご夫妻。
弟さんの加藤重己さんのご夫妻。お近くにお住まいです。
その加藤重己さんがとんでもない物をお持ちでした。
20年前、改装とバナナ戦争?のため??の”チラシ”そのものです。
これについては、この次の話でじっくりとします。
(チラシをいただいたので、会社の宝物として大切に保管させていただきます。)
現在の【キーパーLABO刈谷店】
信頼厚い重松チーフ
強力な刈谷店再生マジックを黒木店長。
もうすぐ全面改装の工事にかかります。
「祝・一級合格!、富上スタッフ」
基常君は、今度はどんな大切な仕事を任されるのでしょうね。
Posted パーマリンク
2016年09月03日(土曜日)
9.03.「自分の店を持つにはまず夫婦で現場で働くこと」かな?
31年前、
私は独立してガソリンスタンドをはじめました。
私が友人の紹介で知った築20年の中古スタンドを、
当時、共同石油の商社系特約店に買ってもらい、
それを私がリースしてもらう形ではじまりました。(ここまでに約半年間)
店の営業は私と連れ合いの二人+若い子(だれか)です。
連れ合いは調理師の免許はありましたが、ガソリンスタンドの経験はゼロ。
しかし、独立起業するからには、
まず夫婦で働くことが当然とあると自然に感じて、
連れ合いにはかわいそうでしたが、
私の知り合いのスタンドに無理やり入れて仕事を憶えてもらいました。
その間、私は開店の準備などで走り回っていました。
後で知ったのですが、
のれん分けの仕組み、ブルームシステムで有名なCoCo一番屋は、
独立させる条件に「まず、夫婦で働くこと。」があるそうです。
独立して夫婦共に働くことが、働く人との価値観の共有に必要なのでしょう。
独立して、最初っから社長づらしたり、奥さんづらしていては、これは無理です。
経営者と働く人との価値観の共有は、
一軒だけの起業の店であっても、
1,000人もの社員の大会社であっても、まったく同じように必要です。
少なくとも、起業時、
夫婦は現場で働く人と時間と場所と価値観を現場で共有せねばなりません。
私は会社を創って10年後ぐらいから、
自分の会社が少し安定してきたので、
たくさんの若い子に、独立するチャンスを提供した期間がありました。
かれこれ10人くらいの若者の独立のスポンサーになったりして
手助けしましたが、
独立起業の第一歩を、
自分の奥さんと共に現場で働き始めた人は一人もいませんでした。
だからなのかどうか分りませんが、
起業して5年後、存続していた会社はゼロでした。すべてなくなりました。
なくなったと言っても、私の会社に吸収して実質的に救済したのですが。
その時の社長も、今はもうすべて辞めていません。
実際に会社はどれくらい存続出来ているのかと調べてみたら、
「法人設立後3年で企業の35%が倒産または解散などで消えるそうです。
法人設立後5年ではなんと85%が消え、
10年以上存続できる会社は、なんとたったの6.3%にすぎません。
余談ですが、20年続く会社は、0.3%
1000社に3社である。」とありました。
そう考えてみると、
CoCo一番屋は、何千人という独立した人たちの多くを存続させている訳であって、
これは、とんでもない成功であると言えます。
その成功の秘密が、のれん分け・ブルームシステムのルール、
「自分の店を持つにはまず、夫婦で現場で働くこと。」にあるのかもしれません。
(※このルールは、今はもう、厳密には守れていないそうですが。)
この店で二人で働きました。
私達の会社は昨日創業31周年を越しましたが、
そういう意味では、自分で言うのも変ですが、大したもんですね。
でも31年後のここまでの変化と私に着いてこれたのは連れ合いだけです。
Posted パーマリンク






























