谷 好通コラム

2002年03月21日(木曜日)

378話 山本君の場合

いくつか前の話で
今年、シビック37番に乗ってレースに出る「山本君」について少し書いた

 

彼は、山口県小郡の近く、“美東(ミトと読む)”という町の、あるお寺の息子
とは言っても、お寺の方は長男が継ぐので
彼自身は坊さんではない、現在26歳?

 

何年か前に
何かの拍子でレースに目覚めてしまい
それこそ、F1レーサーを目指して挑戦を始めた
詳しい話は忘れてしまったが
レースでは結構速かったらしい

 

一番最初は「レーシングカート」から始まった
カートの世界ではソコソコいいところまで行ったらしい

 

レースを始めて、初期の頃に優勝でもしてしまうと、ほとんどの人が
「俺は“セナ”かもしれない」と、勘違いをする
そんな人間を何人も知っている
優勝して、表彰台にあがったら
自分の才能にびっくりして
その時は、気分はすっかり“セナ”なのだ

 

私は、ちっとも速くないし、なかなか上達しないので
幸運にもそんな錯覚は持たずに済んだ (*^_^*)

 

しかし彼は、自分の才能を信じ、どこまでやれるか挑戦したのだった
上を目指したのだ
上にある頂点とは、もちろんF1である

 

上を目指すなら、当然フォーミュラに乗って、上のクラスに上がっていくのが常套
MINEサーキットならば
まず「フォーミュラジュニア」あるいは「フォーミュラ・トヨタ」
ここでの活動はほぼ自腹である、資金は自分持ち

 

そこで勝って、勝って、勝ちまくって
スポンサーの目にとまり、資金的な不安がなくなって
上のクラスに上がる
「フォーミュラ“3”」
このクラスになると本格的になって、1シーズン何千万円か、かかる
とても、強力なスポンサー無しではやっていけない

 

あとはまた、勝って、勝って、勝って、勝ちまくって
マカオグランプリで勝ってF1直行便に乗るか
「フォーミュラ日本」辺りで、また頑張って
勝って、勝って、勝ちまくって
やっと頂点である「フォーミュラ1」に上り詰めるのだ

 

山本君の場合
頂点への登り口を「フォーミュラトヨタ」で始めることにした
最初のクラスとはいえ
資金的にはかなりのものがいる
中古のレースカーを買っても、あるいはレンタルでやって行っても
1シーズン数百万円
これぐらいは確実にかかる

 

たいていの場合、借金で始めるのだ
レースに勝って、勝って、勝って
スポンサーさえ付けば、資金的な不安は無くなる
それまで頑張れば、後は楽になる
とにかく勝つことなのだ!
目指すはF1、年収何十億円の世界だ
最初の投資は、借金してでも始めるのだ

 

でも
なかなか、うまくは行かないもので
ぎりぎりの予算で始めても、戦闘力のある車に当たるとは限らない
思うように走らない車を必死に操って
トップ集団に近寄れないままシーズンが進んでいく
「こんなハズではなかった」

 

彼の場合は1シーズンで終わった
資金がもう続かなかったからだ
もちろん、あとに残ったのは「借金」

 

彼は以前
県の募集で「山口キララ博」の宣伝キャラバン隊に参加した
そしてレースもやった
就職できなかった、あるいは、しなかった
今は、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら
地元「山口テレビ」の“レポーター”をやっているそうだ
だから、テレビには何度も出ているらしい

 

底抜けに明るい彼のキャラクターが、生きている

 

F1への挑戦の傷跡も癒えて、少しまたお金を貯めたので
プロの上を目指すレースではなく
今度は「シビック」で
「アマチュアの頂点」を目指してレースを再開するというのだ
これは、わが師匠、テツ清水氏の影響が大きいようだ

 

彼の人生
これからどうなるのか
一般常識からすれば、理想的な人生の歩みとは言い難いだろう
しかし
ネバーギブアップ
一度始めたことは、チョッとやそっとでは、やめたりしない
挫折は挫折として、でも、後悔はしない
ネバーギブアップ
パワーあふれる彼の生き方に
良い悪いは別にして
私は、共感するものがある

 

 

私のキーパーレビン25番も
私のネバーギブアップのおかげで、ベコベコになってきた
まだ走れそうなので、もうチョッと付き合ってもらおうと、思っている

 

Posted   パーマリンク

2002年03月21日(木曜日)

377話 今は何でもあり

今の世の中
正に、何でもありだなあーと思ったことが、いくつか有った
既存の概念とかが、まったく通じなくなってきている

 

おとといの夕方
私は事務所で、溜まっている書類の片付けごとをしていた
そうしたら
「行政書士の○○○と申します。ご挨拶に参りました。」
という声が聞こえた
私の席は、事務所の一番“入り口”に近いところで、2面の窓に面した
文字通り「窓際」であり、入り口に近い「末席」である
だから、誰かが尋ねて来ると、すぐに分かる
受付のようなもの(実際はパーテーションに仕切られているので姿は見えないが)

 

「行政書士? 行政書士が、ウチに何の挨拶なの?」
私は物珍しくて、のこのこ出て行った

 

行政書士曰く
「近くの△×合同事務所に、今度、事務所を持ちました。
お近くですので、何かお役に立つことでも有りませんでしょうか?」

 

何と行政書士が、訪問営業に来たのだ

 

私曰く
「悪いけど、私の“いとこ”が近くの安城市で“司法書士”を開業しているので
ずっと、彼に任せているんだ
彼が死んだりしたら、君に頼まなければならないけど
あいにく、彼はすごく元気なんだなぁ~
だからしばらくは、君にお願いすることは無いと思うよ。」
と、丁寧?にお断りをした

 

彼曰く
「ハイ、でも、こちらをご覧ください。
今、国の制度で、社員の教育に関する費用を何割か、助成を受けることが出来ます。
そんなことは、現在おやりになっていますでしょうか?」

 

彼はまだ20歳台前半の若い坊や風
弱々しそうに見えたので、トットと尻尾を巻いて帰るかと思ったら
なんの、なんの
顔色一つ変えず、反撃してきた

 

そういえば、彼の言っているような事をどこかで聞いたことがある

 

私は思った
「NOVAで社員の英会話教室を受けているけど対象になるかなぁ~
あっ!そんな事より
今度始まった「快洗Boss」の技術研修が対象になるかもしれない
うまく行ったら、研修を受けられた方に、助成金を受けてもらえるかもしれない
そうしたら
皆さんにものすごく、喜んでもらえるに違いない!」

 

そのことを彼に話したら
経理の安藤さんが
「私もそう思っていました。やってみましょう。」と、言ってきた

 

そして早速翌日、まず安藤さんが役所に行って
その辺の情報を集めに行ってくれた
難しいことはたくさんあるだけど、不可能ではないようだ

 

ということで
この仕事を、“営業に来た行政書士”の彼と、安藤さんにやってもらうことにした

 

 

彼が営業に来てくれなかったら
何も無かったかもしれない、こういうことを「縁」と言うのか
また新しいブレーンが増えたように思えて
ものすごくトクした感じがした
行政書士・司法書士・弁護士といえば
国家資格を取って事務所を開いていれば、商売になるものと思っていた
私も会社を持って18年になるが
この手の営業を受けたのは始めてであった

 

世の中変わったんだなぁ~、何でもありなんだ
と言うより
今まで通りでは駄目なんだ
なんかしないと
新しい事をして行かないと、生き残っていけないんだ

 

そんなことを思ったのでした

Posted   パーマリンク

ページのトップへ ページのトップへ

  • 最近の記事

  • プロフィール

    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

  • カレンダー

    2002年3月
     12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31  
  • リンク集

  • 過去の記事

  • RSS1.0

    [Login]

    (C) KeePer Giken. All rights reserved.