谷 好通コラム

2024年02月22日(木曜日)

02.22.急にまた寒くなった東京で3件の新店候補物件を見る。

まだ2月というのに20℃を超すような気味悪い温かさだった東京が、

今日は、突然また、2月らしい寒さに戻って、

しかも、雨が降り続き、明日からの連休中にはまた雪が降ると言います。

今年の二月は本当に厳しいですね。

そんなことばかりを言っていても始まりません。

今日は朝から、珍しく東京に出ている新店候補の物件を見に来ました。

東京の物件は、ロケーションの幅が広いだけでなく

考えなければならない要素が多いので、

どうしても見に行くことになります。

そして、特に東京の物件のコストは一様に高い。

だから、それだけ当たり外れの幅が大きく、

逆に言えば、当たった時には当たりも大きいという事も出来ます。

 

今回は3物件見て、一件は文句なしの90店、

2件目は、立地は95店だが、建物が?で、図面次第と条件が合えば85点。

最後の3件目は、立地そのものが私の理解を超えていて、

こちらから出した条件が通った時には断る理由がない。

外れか大当たりかで、やって見る価値はある。

こちらが出した条件が通れば、だが。

 

せっかく関東に来たので、KeePer LABO大宮店に行った。

一年生のやまざわ君。ミネラルオフがむちゃくちゃキレイな出来上がりだった

たかいチーフと、たかのさん。

たかいさんは当然ピンで。

ますこmgと、タカイM

実はものすごい飯野店長。

 

もう一軒、見に行った物件に近かったKeePer LABO高島平店

ふじい君、きたたさん。

わたなべ君

 

たっぶり見て、保留をした。

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2024年02月21日(水曜日)

02.21. ベトベト花粉、ザラザラ黄砂、融雪剤の汚れが、すっごくキレイに

今日の午前中、今が2月であることを忘れてしまうぐらい暖かかった。

しかし、夕方ぐらいから温度が急落して

今日がまだ2月であることを、ちゃんと思い出されました。

 

ついこの間、東京でも雪が降って、

あらゆる高速道路に、融雪剤「塩化カルシュウム」が撒かれたようで、

関東のLABO店舗には、すかさず「融雪剤落とします。」の看板をだしたら、

効果てきめんでお客様からずいぶん評判が良かったらしい。

ならば、すでに襲来し始めている「花粉」と「黄砂」の汚れも
これからのシーズンなので、

早速、ポスターとチラシを作った。

何か月前、洗車の大幅な値上げをしたが、

受け入れられてはいますが、まだ、浸透しきっていません。

 

だから、こんなサービスをKeePer LABOのあらゆる商品につけてみようと

企画を始めました。

 

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2024年02月20日(火曜日)

02.20. 24話. 月末の魔術師が、ただ一度たけメイン銀行を変えた事。

二軒目用の土地を買ったが、洗車などだけで運営しなければならなった時がありました。しかしそれがきっかけでコーティングと洗車のビジネスが始まったのだから、今となっては良かったのです。しかしその後、1号店の目の前に出来たスタンドとの安売りの血みどろの戦争があって、資金的に非常に苦しく、月末に金がない時代が何年か続いたことがあります。しかし金に余裕が無くても、仕入れの支払い絶対にはせねばならないのは当然であり、また、従業員の給料を遅配でもすれば、不安が拡がって辞めてしまうので、従業員への給料は必ず払っても、何か月間か、私と連れ合いの給料だけ出せなかったことがありました。そんな時も、連れ合いは文句一つ言わずに一緒に働いてくれたが、何十年か後、経営が楽になってから「あの時は一番働いている自分達だけが給料無しで、とても悲しかった。」と言いました。

そんなに支払いには大変だったが、従業員への給料の遅配は一度もなく、仕入れの支払いも一円も削らず期限通りに必ず現金で払った。そんなことは、事業をやって行く上では当たり前だが、あの時に、自分の給料欲しさに、支払いを少しでも滞ったり、不当に値切ったりしていれば、この会社の今は、絶対に無かったと言っていい。だから、あれはあれで本当に良かったと思っています。

私はあの頃、自分を「月末の魔術師」と呼んで笑っていました。月末の何日か前から月末の支払う金額と手持ちの金、これから入る予定の金を計算して、月末までに都合をつけるべき金額を計算して、必要ならばカードローンなどで金を用意し、月末にはピタッと支払いを終えたのです。無事、支払いが済んで月末が終わった時の預金残高が15円だったこともあります。それで、自分の事を「月末の魔術師」と笑って言った訳です。

 

そんな時代には、当然借金もしなければならず、かと言って、まだまとまった借金が出来るほど会社の信用もなく、数百万円レベルの借金を細かく何度も借り入れをして、返済してまた借りる。俗にいう自転車操業であった。

そんな綱渡りの経営だった頃、○○信用金庫の次の借入れ実行日が、10日後に迫っていた時、融資担当の○○次長に「今度の融資の実行、大丈夫ですよね。」と聞いたら、その次長が、「谷さん、まだ●▽の書類を頂いてないので、止まっていますよ。」と言った。なにっ? あと10日後に実行予定の融資が、一つの書類が揃ってないので、実行の手筈が進んでいない? じゃ、何で電話ででも知らせてくれなかったのかと聞いたら、「それは・・・担当者に伝えておきます。」と言う。結果的にその足りない書類を揃えるのには少し時間がかかったので、その融資は間に合わなかった。それで仕方なく私は、自分の生命保険を担保にして、保険会社からの借金をして、やっとその危機をしのいだのです。

その何か月か後、たまたま来ていた他のある銀行の駆け出しの若い営業が「私は、この会社には未来を感じます。今ある借入れを全部清算して、私共の銀行に一本化して下さい。」という言葉に乗ることにした。

私は滅多な事では取引先を変えることはしないのだけど、心底、銀行を変える必要を感じたのです。その時の銀行とは、今でもメインバンクとして続いています。相手の事を考えず、自分の都合だけで仕事をすると、相手に取り返しのつかない迷惑をかけ、そのしっぺ返しは、いつか自分の所に帰ってくるものです。

 

あの時、この会社を救ってくれた当時の東海銀行の鈴木さん。

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2024年02月19日(月曜日)

02.19. 23話. 目には目を。バナナにはバナナをもって勝つ。

1997年 1店目のGSの目の前に巨大な商社系GSが建ち、戦争が始まる。

私がKeePerの営業・トレーニングで全国を行脚している時、起業した時の1号店、共同石油高津波給油所の道を挟んだ目の前に、商社系の大型ガソリンスタンドが新たに造られることになった。それを知った私は、指をくわえて見ていることは出来ない。対抗して、こちらも全面改装をした上で勝負することにした。

2店目クリーンベースの運営がやっと軌道に乗ったばかりだった。だからと言って指をくわえ見ていて、むざむざ負けるような事は絶対に許せない。いやだ。ガソリンの安売り戦争と景品キャンペーン戦争の始まりです。

先に始まった目の前のスタンドの工事の後から高津波給油所の全面改装の工事を始めて、絶対に先に工事を終え、先にオープンする決意で突貫工事を敢行し、目の前の店の完成一週間前に全面改装完了を奇跡的に実現した。

目の前で始まった大型SSの工事の表示に「○○石油、バナナステーション」と店名が書いてあった。バナナステーションとは今風の店名なのだろうがその店のオープンイベントの景品は「バナナ」であることは明白だ。ならば、先にこちらがオープンし、オープンイベントではトラックいっぱいの「バナナ」を広い地域の皆さんにたっぷり配った。目には目を、バナナにはバナナをである。

 

1999年 闘いに勝つも、赤字に疲弊して閉店

戦争には絶対負けないので、赤字を承知での安売り戦争を続け、相手に徹底的に勝ち、わずか二年で相手に撤退を余儀なくさせる。最初の相手を撤退させても次の運営者と戦い、2つ目の運営会社にも勝ったが、3つ目の運営会社が来る。当然、また勝つが、しかし、こちらも莫大な赤字が残り疲弊しきった。前の店の3つ目の運営会社が撤退したところで、こちらも高津波SSの経営継続を断念する。目の前の店にも4つ目の運営者は現れず廃店となり、戦争をした2店は2年がかりの戦争の果てに、両店とも閉店をした。

典型的な共倒れである。この戦いを経験する中で「安売り競争」に対する憎くしみの感情を強く持つ。

 

2000年 閉めた高津波SSを「洗車屋快洗隊」として復活開店

戦争に疲れて閉店した高津波SSを、再び借り受けて、手洗い洗車とピュアキーパーを軸とした専門店「洗車屋・快洗隊」に改装して再開店する。

「小売り」はこの会社の生命線。安売りをせずに済む形で再開店した。

この年の12月は、平均単価3,500円/台くらいで売上げ約600万円であり、

とにかく朝から晩まで果てしなく洗車が続く大変な年末であったが、地獄のような安売り合戦に比べれば気持ちのいい疲れであった。

 

実践的なKeePer営業部は、全国での販売とトレーニングを続ける。

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2024年02月19日(月曜日)

02.19. 22話.キーパーはちょっと昔まで、KeeP”re”だった。

1993年、株式会社タニのスーパーポリマー事業部を分離してアイ・タック技研株式会社を設立。と同時に全国行脚していた活動が進んだ結果、全国各地に営業所+トレセンを造る活動に繋がる。最初は仙台営業所でした。株式会社タニから分離した会社を作る時、考えた社名は「(私は)I(谷)TA(コーポレーション)C、技研は本田技研の技研に憧れていたのでその真似です。それを、昔は社名にローマ字を使えなかったので「アイタック技研㈱」とし、このままではちょっと間が抜けていると思って「アイ・タック技研㈱」としました。㈱タニとはかけ離れ、意味ありげな名前ですが、本当は㈱タニと大して変わりません。2015年に東証二部に上場する前に、会社名とブランド名を同じにするために社名をKeePer技研株式会社にしましたが、それまでのアイ・タック技研㈱は、意味的には「私は谷コーポレーション」であって、㈱タニからあまり進化していません。

 

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1995年にはサービス名を「キーパー」にしました。「キーパー」の意味は「守る(物・人・事)」「維持」「持続」でいいのですが、しかし、その時の英語表記とロゴは「KeePer」ではなく「KeeP”re”」でした。最後の二文字のスペルが「・・er」ではなく「・・re」です。本当は最初から「KeePer」にしたかったのですが、keeperですでに商標が取られていてPを大文字にするだけでは通らず最後の二文字を「・・re」にして、やっと通ったのです。Pが大文字なのはKeePerは「人間・パーソン」が主人公なのでPだけ大文字にしています。しかし、KeeP”re”でも、イギリス流ならばこれでいい訳ですし、当時、海外との取引は香港だけで、香港はちょっと前までイギリス領だったので、むしろ「KeePre」の方が自然なので、このまま20年近く「KeePre」のままでした。

それが、商標登録の「分類」の種類が拡大され、コーティングの分類で「KeePer」がOKになったので。2010年ごろ(?)正式に「KeePer」にしたのです。

            ⇩

 

更に会社名も上場前に「KeePer技研株式会社」として、今に至っています。

 

 

二十数年ぐらいも前でしょうか。

昔のKeePre ステッカーを貼って、レーシングカートにハマっていた昔の谷 好通。

 

 

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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