谷 好通コラム

2004年09月25日(土曜日)

1027.上海・深セン・香港

上海の車聖さんたちとの食事会では、飲み過ぎた。
52゜の白酒(マオタイ酒)での“連続乾杯”は、話には聞いていたが、強烈である。
しかし、あの白酒52゜の酒が喉にシミルわけでもなく、
むしろ味と香りが良く、大変おいしかったのは意外であった。

 

酔いが強すぎて、ホテルに帰ってからもすぐには眠れなかったが
それでも、次の朝はまた早いので荷物の整理をしていたら、
すぐに寝ることが出来た。たぶん午前1時ぐらいのことである。

 

23日は、まず上海から深センに飛行機で飛ぶ。
午前8時半出発の国内線。
ホテルを6時半に出発。
だから、起きたのは5時半。
前夜に飲み過ぎた時は、なかなか起きられないのだが、
不思議と自分ですんなりと起きた。
頭もまったく痛くない。
蒸留酒は次の日に残らないというが、まったくその通りで、
けっこう快適であった。

 

深センへの国内線はボーイング767。
日本国内でも一番多く使われている機体で、
中国国内線では、ときおり変わった飛行機が使われているので、
ちょっと期待していたが、オーソドックスな機体で少しがっかり。

 

深センまでは飛行機で2時間とちょっと、
飛行機は西南に向け、日本から離れていく方向に飛ぶ。

 

深センのセンは、“土”へんに“川”と書く。
日本語フォントにはどうしても無い漢字であるので、カタカナで書いている。
経済特区であり、香港と隣接している町である

 

深センでは、大きなドライブショップのような店舗を訪問した。
今年の2月の幕張でのショーで、この会社の社長が私たちのブースを訪れてくれたのだ。
店舗はでかく、5階建てのビルで、元々は倉庫であった建物らしい。

 

一階が洗車の仕上げ、コーティング、ウィンドフィルムの作業場
二階がオーディオとか、香水、アクセサリーの売り場で、
三階と四階が中古車の展示場。
五階が、この会社の事務所などになっている。

 

 

洗車は、連続洗車機を使って一回10元。
やはりこの店でも10元である。
(1元≒13.5円)
一ヶ月3,000~4,000台洗うと言っていた。

 

ワックス掛けは、お客様が自分でドライブショップに中でWAXを買ってきて、
そのワックスを使って、店のスタッフがWAX掛けをする。
一回80元だそうだ。
(台数は、この店の売り上げを公表する事になるので、これ以上は書かない。)
ワックス掛けの車の洗車は連続洗車ではなく、手洗いで洗っているそうだ。
もう一つの柱がポリッシャーとバフによる磨き。
一台600元。
意外と高いのには驚いた。

 

スタッフは全部で40人だそうだ。(フィルムのスタッフの含む?)
あくまでも想像だが、給料は多分、スタッフ一人月800~1200元ぐらいであろう。
「儲かってるね~」と私が言ったら、店の人は「もちろん」と答えた。

 

 

この店が、キーパーの発信基地となるかどうか。
よくよく話をして、じっくりと付き合っていかねばならない。
(記念写真の時、私はなぜか、ついお喋りをしてしまう。)

 

 

いずれにしても深センには非常に好感を持った。
街も道も上海よりずっときれいで、落ち着いた感じがあって、
日本的なものをずいぶん感じた。
それでも、タクシーに乗れば爆走運ちゃんは恐怖であり、
みんな信号を守らないことも上海とまったく同じである。
違ったのは、クラクションの音がしないこと。
何と、深セン・広州など華南の都市は、“クラクションを禁止”しているのだそうだ。
中国人に言うことを聞かせようと思ったら罰金が一番効くようで、
それで深センと広州は静かであったのだ。

 

 

深センでの用件を終えて、今度は香港に向かう。
香港と深センは隣接しているが、実質的に別の国である。
深センはもちろん中華人民共和国の一都市であるが、
香港は、いまだに、完全に別の国と考えた方がいい。

 

私たちが香港に入る時は、パスポートが必要であり、
IMMIGRATION(出入国管理審査、略して“入管”)での審査を通過しなければならない。
中国の人が香港に入るには、中国からの出国許可が必要であり、
香港の滞在ビザの取得も必要となる
外国に行く場合と同じで続きと許可が必要であり、
香港への入国の場合、むしろ他の外国に行くよりも難しい面すらあると聞いた。

 

中国から香港に入る方法はいくつかある。
一つは、飛行機で入る方法。
これは、私たちが外国に行く場合ほとんど飛行機で行くので、
一番オーソドックスに感じる。
出発地の飛行場の入管で出国審査を受け「出国」
到着地の飛行場の入管で、入国審査を受け「入国」となる。

 

香港に近い深センとか広州などと香港との行き来は、
多くの場合、鉄道で列車に乗って行く事が多いそうだ。
この場合は、鉄道の国際線ホームというのがあって、そのホームの入り口に入管がある。
その入管を通って「出国」したことになる。
そして、国際線用の特急列車に乗って香港を行き来する。
到着したら、そこは相手国の国際線用ホームであって、そこはまだ国外である。
(国外であって、外国ではない。まだ、どの国にも入国していないのだから。)

 

つまり、国際線ホームに立っている自分は“国外”にいて、
目の前で通勤列車を待っているホームの人たちは、“国内”にいるということになる。
(実際は、かなり離してあるので、そんな滑稽な風景は無いのかもしれないが)

 

車に乗って、渡ることも出来るそうだ。
前回の荻野部長の深セン⇒香港はバスでの国境越えで、
出国の時に、みんな車から降りて国境となっている川の手前にある建物で出国手続きをし、
10分ぐらい歩いて国外である川を渡り、越境して、香港側の入管で入国する。
ほぼ一箇所で入国と出国の手続き、ヨーロッパのようで面白い。

 

香港は正真正銘の“外国”であった。

 

今回私たちが使ったのは「フェリー」
海を渡って深センから香港に向かった。
午後6時半のフェリーに滑り込みで乗ることが出来た。

 

港の船着場の建物の中の入管で「出国審査」
頼さんも、中国からの「出国」ではまったく問題なくスムーズに出国することが出来た。

 

フェリーは快適であった。
といっても、
最初に想像していたのは、オープンデッキのある昔ながらのフェリーであって、
デッキのベンチに座って、
さわやかな海風に当たりながら、
プカーーーッとタバコをふかしたら、さぞや気持ち良かろうと思っていたのに、
ここのフェリーは、
高速艇のでっかい奴で、オープンデッキなどあるわけがなく
当然、全エリア禁煙である。
ただ、ただ、閉じ込められた船の中から外をボォ~と見るしかなかった。

 

 

香港に上陸。
さぁあて今日最後の仕事だ、と思ったら、
入管カウンターで、頼さんがもめている。
顔は時折ニコッとするので少しは安心なのだが、事はけっこう深刻なようである。
5分経っても、10分経ってもなかなか開放されない。
それでも、かなりの時間話をして、
開放された。

 

かなりもめたが、とりあえず香港に入ることは出来た。

 

頼さんは台湾人なので、
中国人のように外国に行くのに制限を受ける、というようなことはない。
台湾に里帰りするときも、いつも飛行機は、上海発⇒香港経由の⇒台北。
今回の香港への訪問もまったく問題ないと思い込んでいた。

 

事はそう簡単なことではないようだ。

 

だいぶ時間を食ってしまったので、急いでタクシー乗り場に行き、
田島さんと田中さん、そして椎葉さんが待つ事務所に急ぐ。

 

 

事務所に着いたのは7時過ぎ、
かなりの長い時間お待たせしてしまった。
本当に申し訳ない。

 

椎葉さんとは、
中国における現地法人の立て方について
真剣に相談に乗ってもらいたかった。

 

今、中国では外国資本(外資)が、外資だけの独自の現地法人(独資の現法)を
作ることは至難の技となっている。
中国のWTO加盟によって、表面上の開放政策は取られているが、
実際には、絶対に独資の現法は作れないようになっている。

 

約1時間であろうか、真剣に議論をした。
やっぱり結論は出ない。

 

時間も遅くなっていたので、食事をしながら話をするということになって
予約していただいていたレストランに向かう。
ちょっとうまい店であるそうだ。
・・・・・・
悪い予感がする。

 

 

レストランは、海鮮の店であった。
外で魚とか海老とかを選んで料理をしてもらうスタイル。
うまそうである。
まず、ビールで乾杯。

 

ビールを飲んで、まず、大きなロブスターのチーズ焼き。
ヒェ~っという感じで、うまい!
次に全長30cmぐらいはあろうかという化け物のようにでかい“シャコ”の
ガーリック揚げ、今まで未経験の味である。
私も、荻野君も、畠中君も、さっきまでドキドキであった頼さんも、
「うまい、うまい、」の連呼である。

 

 

悪い予感が的中した・・・

飲んで、うまいもの食い始めたら、
もう、仕事の話なんか、あっち向いてホイである。
結局、仕事の話はもうそっちのけで、めちゃくちゃ楽しく飲んで食ってしまった。
反省している。m(__)m

 

・・・・・
おまけに
珍しく二次会まで行ってしまった。
私は記憶に残っている限りにおいては、二次会にはほとんど行ったことがないが、
それが、なぜかこの日は妙に飲みたかったのだ。
日本においてきた難問が気に掛かって、
この日は、無性に飲みたいと思ったのかもしれない。

 

申し訳ないことに、田島さん、田中さん、椎葉さんたちにも着き合わせてしまった。
申し訳ない。と思ったが・・
田島さん椎葉さんのあの騒ぎっぷりは、申し訳なく思わなくてもいいみたいに
「遊ぶときは遊ぶもんですよ」と、
きっちりはしゃいでいた。
この人については、以前の話で、ポジティブシンキングの聖人のように書いてしまったが、
聖人の“聖”の字が間違っていたかもしれない、
多分、彼は火“星”人の類であろう。
とにかく遊ぶなら遊ぶと、気持ちいいと言うか、何と言うか。。。

 

 

飲み終わったのは、日付が変わって午前1時半。

 

やっとのことでホテルにチェックインしたのが、午前2時過ぎ。
寝付いたのは3時過ぎ、
次の日の朝は、ロビーに8時の集合である。
7時には起きなくては、
連日の飲みすぎで、睡眠4時間

 

あーしんどい。

朝、香港の足がすくむような細いビルが目の前にあった。

 

※3話で終わるつもりが、とうとう書き切れなかった。
何とか頑張って、明日には中国出張の話を終わらせなくては。

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2004年09月25日(土曜日)

1026.上海.車聖快洗隊

22日、朝一番の上海行きに、寝不足で飛行機に乗ったが、
寝ているわけには行かない。
アクアキーパーの施工証明兼リーフレットの原稿を意地になって書く。
上海に近づいて、下を見たら、
海岸線に近い所に巨大な円形の池が見えた。
人工物であることは間違いないが、いったいこれは何なのだろう。

 

 

上海には午前中に着いた。
空港まで迎えに来てくれていたタオル工場の陶さんに乗せてもらって、
早速、工場に行く。
色々とたくさんの打ち合わせがあるのだ。
あっという間に予定の時間が過ぎて、まだ話が終わらない。
昼の食事の時間を食いつぶしていく。

 

やっと話が終わったのは、予定を大きく回って午後2時。
昼食を取らずにそのまま縫製工場に向かう。

 

縫製工場では新しい洗車専用の「洗車着」を作っている。
洗車は整備でもなく、給油でもない独特の環境の中で独特の動きをするものだ。
ならば、洗車をするのに最も優れた「洗車着」なるものが
有ってもいいのではないかと考え、
もう一年ぐらいも前から試作を繰り返してきた。

 

最初はすぐ出来るかと思ったが、
そう簡単には出来ない。
新しいものを作っては快洗隊のスタッフに来てもらって、修正を加え、
またサンプルを作って、また着てみる。
そんなことを何度繰り返しただろうか、
縫製工場の社長もその内うんざりしてきたのか「そろそろいい加減にしてください」と
言われたことまである。
しかしだからと言っていい加減なものを作るわけにはいかない。
「そう言わずに頼むから作ってよ」となだめながらここまでやってきた。

 

今回、正式に量産物を注文したので、
10月の下旬には、皆さんにもご紹介できるはずだ。

 

工場の中

 

 

縫製工場を出たのが4時過ぎ。
上海市市街にある事務所まで1時間ぐらい掛かる。
次の約束は5時。(本当は4時であったのを途中で遅くしてもらった。)
また陶さんに送ってもらう。
本当に申し訳ないが、それが一番早いのでまたお願いしてしまった。

 

事務所に着いた。
約束していたのは、車聖の陳さん。
キーパーマニュアル、キーパーリーフレット、カタログの
中国語版の作り直しの打ち合わせだ。
最初の中国語版は、4月の上海ショーに合わせて
李さんの孤軍奮闘で作ったものだが、車のことについて李さんはまだ素人で、
車に関わるビジネスをやっている車聖さんたちから見ると、
言葉の使い方がおかしい箇所が随分あり、結局作り直すことになった。

 

陳さんはまだ来ていなかった。
チャンスである。
李さんに事務所にあるお菓子を出してきてもらって、
バリバリと食べ始める。
腹が減って、腹が減って、
とにかく口に入るものであったらなんでも良かった。

 

陳さんは10分後にやってきた。
やっとの思いで菓子腹になって落ち着いた私は、猛然と打ち合わせを終えた。

 

上海の快洗隊とを見たい。
午後7時までの営業と聞いていたので、何とかそれまでに行きたかった。
遅くなっても、きっと車聖の任社長もスタッフの人たちも待っていてはくれるだろうが、
疲れているスタッフをあまり待たせたくなかったのだ。

 

混んでいる道を乱暴に走るタクシーに乗って
店に着いたのは午後6時50分
閉店10分前であった。

 

夜の暗さに浮かび上がる上海の車聖快洗隊は、
不気味なくらいに美しかった。

 

なかなか良いではないか!

 

 

スタッフの人たちは、
私たちが到着すると、整列して迎えてくれた。
感激である。

 

 

早速、握手、握手。

 

フィールドの中に入ると、
天井からぶら下がるタペストリーがにぎやかだ。
うん?
タペストリーと思ったら、違う。
「ノボリ」を上手に加工して天井からぶら下げてあるのだ。
うまいものである。

 

 

こういう全天候型というか、
一つの大きなカマボコ型の建物の中にすっぽりと入ってしまっている快洗隊も、
なかなか存在感があっていいものだ。
自分で基本設計をやっておきながら、自分で感心してしまっている。

 

作業場全体わたって配置されている「待合室」は外から見ても感じがいいし、
中から見ても、どの席からも作業が良く見えて、
全部一等席である。
車聖の任社長もこの待合室はお気に入りのようで、みんなに詳しく説明してくれる。

 

 

中からの様子、作業が丸見えである。
これでは絶対に作業から手を抜けない。

 

 

やはり、気になるのが売り上げ。
1日の台数は?平均単価は?
洗車は何台出て、キーパーはどれぐらい出ている?
えっ、クリスタルキーパーがそんなに出ているの!
アクアKeePreの評判はどう?
矢継早に質問攻めにする。

 

最初は、どうしても知り合いがお付き合いで来てくれるそうで
あまり参考にはならないが、と言いつつもかなりの数字を教えてくれた。
特の私たちが訪問したこの日、一日で約5,000元の売り上げ。
オープンしてからの最高であったらしい。
日本円にして67,000円ぐらい。
物価がまだ非常に低い中国では、これはかなりすごい数字である。

 

何せ、手洗い洗車が15元/台、日本円にして200円ぐらいなのだ。
まったく日本の快洗隊方式の手洗い洗車で200円。
それでも、
街の洗車屋さんは、10元/台が当たり前で、
洗車が15元と言うと「高い!」と言って、怒り帰ってしまうお客様までいる。
キーパーが約1500円、これも手がけのワックス掛けの2倍程度の値段。
そんな低い単価での1日5,000元。日本円で約62,000円は、
十分に評価に値する数字である。

 

八万人体育館の駐車場で、
道路からの視認がまったくない立地に最初は非常に心配したが、
この分なら、すでに来店客の多くを占めている「口コミ客」で、まだまだ行けそうである。

 

ひとまず、ホッとした。
上海の快洗隊。
とりあえず順調に離陸した模様です。

 

 

見学の後、近くレストランで食事をした。

 

車聖の任社長も、とりあえずのいい出発が出来たことで、
大変喜んでくれていた。

 

そこで始まったのが、「乾杯」の嵐である。
52゜の強烈に強い白酒(マオタイ酒)で、何度も何度も乾杯!
中国での「乾杯」とは、ただの掛け声ではなくて、
乾杯の字を読んでごとく「杯を空ける(乾)」であって、
合計何回ぐらい「乾杯」とやっただろう。少なくとも20回は乾杯とやった。

 

もう、ベロンベロンである。
中国出張1日目にして、ベロンベロンである。

 

料理は絶品であった。
上海で9月10月と言えば「上海蟹」。
ねっとりとした甘い身が絶品を通り越して、口の中が溶けそうであった。
高価な上海蟹を、
なんと、オス・メスと2匹もおごってくれたのである。

 

絶品の上海蟹と、
強烈な白酒の乾杯で、出張初日とはとても思えないほど盛り上がって、
ベロンベロンのグデングデンで、1日目が終わったのでした。

 

 

※余談であるが、
車聖快洗隊のマネージャー鮑さんと、サブマネージャ格の張さんが
頭の毛を黄色く染めていた。
話によると、「中根さんの真似をした」という。
中根って、髪の毛、染めていたっけ?
何でも、「中根さんが・・・・」って言えば済んでしまうような、変な風潮あるようです。
また、それだけ、彼らが中根を慕っているのかもしれない。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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