谷 好通コラム

2005年06月10日(金曜日)

1188.やってみる事の意味

昨日は、福井に行ってきた。
福井市内に大切な仕事があったことと、
福井の越前海岸に、
「タカスサーキット」という全長約1.5kmのサーキットが出来て、
そこへ、ちょっとだけ走りに福井まで行ったのだ。

 

誘ったのは、H.オサムこと畠中君と、
アクアキーパー関係等の仕事をお願いしているデザイン事務所「プロデュース」の今井さん。
今井さんはレースの経験どころか、サーキットに足を運ぶこと自体が初体験。
本当はグリットの吉田君も誘ったのだが、
仕事の追い込み時期ということで、一緒には来れなかったのは残念。

 

持って行った車は、
私の通勤者「ハナクソ号(?8795)」のインテグラ・タイプR。
まったくのノーマル車で、サーキット用には何の改造もしていない。
それでも十分にサーキットを走ることが出来るのは、この車がそういう車であるということだ。

 

私と畠中君は、Aライセンスを持っているので、
サーキットライセンスを取るには、わずか10分の講習があっただけ。
今井さんは、かなり時間を掛けて、
かつ、かなりのお金を払ってのライセンス取りとなるので、
とりあえず今日は体験走行だけにして、
本当のコースライセンスを取るのは、その結果を見てからとした。

 

タカスサーキットは、直線も350mぐらいあって、
4速まで入るところも2箇所あり、各コーナー手前ではそのほとんどが3速まで入る。
シフトのアップダウンが結構忙しいコース。
今まで、たまに行っていた愛知県に唯一の幸田サーキットでは、
全コースほぼ2速ホールド時状態で、3速まで上がるのが1箇所だけの
細かいコースで、かえって欲求不満になることもあったが、
このタカスサーキットでは、そんなことはなく、結構気持ちのいいコースであった。

 

持って行った車では、畠中君が1分10秒台。私が1分11秒台。
いつものごとく1秒遅れで私の負けである。

 

このサーキットのインストラクター兼責任者をやっている方
(失礼、また名前を忘れてしまった)が、
去年まで全日本GT選手権の現役レーサーであり、
今年のスーパー耐久では、田中選手のチームでコンビを組んでいる「松永選手」の、
昔からの親友であるという。

 

そう言えば、以前、松永選手に会ったとき
タカスサーキットのオープニングに長島正興選手(長島茂の息子)などと共に、
エキジビジョンに出たと言っていた。
タカスサーキットに松永選手の友達がいたとは。

 

そうと分ったからには、
レースの話に花が咲いた。
そして、一緒に行った今井さんとは、地元の人通しということで、
また話に花が咲いていた。

 

その今井さんに、
何とかレースの面白さを知ってもらおうと、
まず、インストラクターの人の乗るペースカーに同情体験してもらう。

 

ところが、今井さん、
途中で気分が悪くなってしまったという。
普通の人には経験のない“G”のかかった走行は、慣れていない人には、
決して快適なものではなかったようだ。
しかし、「思っていたよりすごい運転であった。面白い。」という言葉が救いである。

 

そして、
今度は、自分で運転しての体験走行をすると言う。

 

今井さんは、デザイン事務所と同時に、
「ボクササイズ」というフィットネスクラブを主宰、経営しており、
本人もボクシングのプロテストを受けようとしたぐらいの(受けたのだっけ?)
バリバリのスポーツマンなのだ。

 

助手席に乗せてもらってのレース走行の体験では納得いかないのは当然。
今度は自分でタイプRを運転してコースに出て行った。
インストラクターの乗ったペースカーに先導してもらう。

 

普通、ライセンスを持っていない人への体験走行は、
安全第一で、ゆっくりとコースを回るものだが、
すっかり仲がよくなった松永さんの親友のこのインストラクターさん、
「容赦なく、やってください。」
との私たちの言葉どおり、
コースを出るなり、
普通のレース走行と変わらないぐらいのペースで、ぐいぐいと引っ張り始めた。
「おい、おい、大丈夫かよ。」と、真剣に心配になるほどのペースである。

 

今井さんの必死に着いて行っている。
ただ、何年ぶりかのミッションに戸惑っているのか、
2速から3速に入れる時に、どうしても隣の5速に入れてしまい、
思ったように加速できていないのは残念であった。

 

それでも、何周目かのストレートで、
2速→3速→4速とスムーズにシフトアップが出来た。
チェッカーが出る前の最後の周であった。
それにしても、さすがスポーツマン、
最初から、こちらがハラハラするようなペースで走れたのは見事であった。
たいしたものである。

 

ピットに帰ってきた今井さん。
ヘルメットを脱ぐなり、「気っ持ちよかった~~~」と一声。
と、同時に、“ずぶっ”とレースにハマった音がした。

 

いつか、そのうちに、
私と、今井さんと、誰かで、どこかの耐久レースに出ていることは間違いない。
そして、あっという間に、
スポーツマンであり軽量の今井さんは、
私より速く走るようになって、
「あのコーナーは、もうちょっと早めにブレーキングした方がいいですよ。」
なんて、言うようになるのであろう。

 

やっぱり、自分で走ってこそ、はじめて面白さが解るというものだ。
なんでもそうだが、自分でやってみなければ解らない。

 

仕事のついでに、ちょっとした休暇。
久しぶりに元気の素を仕入れた私は、
体は疲れているものの、
その夕方、しっかりと仕事をして、
福井から名古屋への約200kmの帰り道を、ハナクソ号を運転し、帰ったのでした。

 

 

そして、本日は、
四国の高松である。

 

ちょっとゆっくり目に名古屋駅を出て、岡山経由で「高松」
高松では、やはり大切な仕事があって、
営業一部の若き鈴置部長と、我が占い師・酒部部長と一緒であった。
大切な仕事を進めたあと、
天雲石油さんの「快洗隊・中森大橋店」に行った。
この店は、快洗隊のFCを募集し始めた頃、
四国で最初にFCになっていただいた店で、今でも非常に優秀な成績を上げている。

 

FCになった頃、
社長の天雲さんが、何度も何度も快洗隊・刈谷店に来られて、
その車の導線とか、細部に渡って研究をしていかれたものだ。
そして出来上がったのが、この店。
こだわりの曲線の大きな屋根と、洗車を優先した導線。

 

 

お客様の待ち時間を癒す漫画の量は半端な量ではない。

 

 

北神戸店での「予約制」の成功を聞いて、
すぐに実行に移したのだそうだ。すぐに。

 

 

社長の天雲さんは、
品質の高い良い洗車とコーティングを、ひたすら継続してきた。

 

「継続こそ力なり」の手本のように、
毎年、着実に実績を上げ、今では毎月200万円の大台を越してきている。
それほど大きな店ではない。
ガソリンなどの燃料を一基だけの計量器で80klから100kl販売しながら、
毎月200万以上の洗車と、メンテナンス収益と、プロパンを販売しながら、
堅実な経営を続けているのは、
これからのSSの一つの在り方として、立派にモデルとなるべき存在である。

 

 

天雲社長の右腕、実質的な快洗隊Mgとも言える二宮さん

 

 

四国からの帰りは、
まだ陽があるうちであった。
四国大橋を渡るとき、下を通る船がおもちゃのように小さく見える。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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