谷 好通コラム

2005年11月13日(日曜日)

1285.もうすぐ完成です

快洗隊鳴海店でものすごく魅力的なドライブスルー手洗い洗車を実現するために
据付工事中の大型超スピードハンドフリー洗車機。
あともうちょっとで完成です。

 

11月13日現在の様子。

 

鳴海店の入り口のあたりから、工事中のドライブスルー洗車エリアを臨む。

 

 

中では、据付工事の追い込みに掛かっている。

 

カメラを向けてもなかなかこっちを見てくれない「Mr.ラリー」
アメリカ・ディモインから派遣され、日本スタッフを教えながら、
自らも作業の中心となって働く。

 

 

日本側のエンジニア「内田さん」
明るい人柄でムードメーカーとなって、
しかも、すばらしいスピードで作業を進め、
これから先の据え付け作業の中心になってくれます。
ラリーたちが引き上げたあとも、騒音タイムリミットの夜8時まで仕事を続けてくれています。

 

 

ラリーと内田さんの間に入り、的確に通訳を務めてくれる「Mr.トニー」
実に辛抱強く、頭が下がります。

 

 

アイ・タックからの助っ人。その1、開発部森部長。
機械のプロでも何でもないが、工事に一緒に参加することで、
この新しい機械を理解しようと懸命です。

 

 

同じく開発部の増田君。
一日も休まず作業に参加しています。

 

 

ラリーと、内田さん。
今日も遅くまで最後の追い込みです。

 

 

まだ、中は見せられません。
もう、ちょっとです。

 

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2005年11月13日(日曜日)

1284.富士山に登ろう!

快洗隊・鳴海店に大きな機械を据えつけている。
今まであった門型の手洗い用の洗車機を撤去して、
アメリカから大形の超スピード手洗い機(ハンド・フリー)を導入することになったのだ。

 

機械はアメリカ・ディモインのRyko社のものだ。
その機械についての繊細は、
工事が完成してキチンと稼動するようになってから報告をするが、
その据え付け工事は想像以上に時間と手間がかかっている。

 

当初、3日間ぐらいで工事が終わると思っていたが、
8日に名古屋港から機械が大型トラック2台で搬入されたあと、
8.9.10.11日と工事が続いて、
12日(土)をお休みにして、
13(日)、14日、ひょっとしたら15日まで掛かるかもしれない。

 

アメリカのRyko社からは、
機械据え付けのエンジニア「Mr.ラリー」が7日に来日し、
日本側のエンジニア・内田さんとの共同作業で工事を進めると同時に、
ロスからやってきてもらったトニーさんの通訳で
内田さんに工事のノウハウを伝えている。

 

12日(土)は、
内田さんにどうしても他にはずせない自分の仕事があり、
また、ラリーも休暇が一日欲しいということで工事を休みとした。
だから、申し訳ないが内田さんには、
ご自分の仕事を挟んで休みなしでぶっ通しの仕事となる。

 

この土曜の休暇に、
ラリーとトニーをどこかに連れて行ってあげようと色々考えて、
「富士山」に行く事にした。

 

天気予報では、朝まで雨だがその晴れると出ている。

 

富士山にはいつも雲が纏わりついていて、なかなかその姿を見ることが出来ない。
単独峰として忽然と存在する巨大な富士山は、
周囲の気流を大きく乱し、自身の周りに雲を発生させるのだ。
新幹線で東京に向かう時、静岡まで行ってそれまですっかり晴れていても、
富士山だけが雲の中にすっぽりと入っていることが多い。

 

その姿を部分的にでも見ることが出来るのは、
あるいはモヤ越しにでも見ることが出来るのが、5回に1度?
モヤもなく、クリアな状態で富士山の優雅な姿全体を見ることが出来るのは、
20回に1度あるかどうかだ。
私自身、多分、何百回となく名古屋から東京へ向かう新幹線から富士山を望んだが、
澄んだ空気の中で富士山全体を見たのは数えるほどしかない。

 

そんな富士山であるが
12日の天気予報は「雨のち晴れ」であり、
「ひょっとしたら朝の内の雨にガスが落とされて、
昼から、すばらしい富士山が見えるかもしれない。」と思った。

 

朝9時、ゆっくりとした時間にラリーとトニーを名古屋駅前のホテルでピックアップ。
一路、東名高速を富士に向かった。

 

浜名湖のS.A.で小休憩をした後、静岡を過ぎて、
清水市を通る頃、最初の富士山が見えた。
部分的に雲が掛かっているが、
クリアにその姿が見える。
う~ん、これはいいかもしれない。

 

やがて、富士川のS.A.に到着。
ここは富士山が最もキレイに見えるスポットの一つだ。

 

 

ここで、昼食。
ラリーはとんかつ定食、トニーは天丼、私はミックスフライ定食。
揃ってハイカロリーのランチを、
富士山が見える展望レストランで食べる。
ラリーがチラチラとしきりに富士山を見ながらとんかつを食べる。
富士山がかなり気に入ったようだ。

 

 

またしばらく東名を進んで御殿場ICで降りる。
ここから20分くらい、ある会社の研修所に寄って、
我が社のインストラクターが研修を行なっているのを慰労する。
インストラクターは酒部部長と、今年半ばまで上海で活躍していたあの「李さん」。
半年振りに会った李さんはとても元気そうであった。
よかった。

 

さぁ、これからどうしようか。
「富士山の周辺には車の博物館がたくさんある。それを見に行くか、
あるいは富士スピードウェーも近い。
それとも、富士山に途中まで車で登るかい?」
そうラリーに聞いたら、
即座に、「富士山に登ってみたい。」と答えた。

 

「よしっ!登ろう。富士山に登ろう!」

 

研修所から、富士山の5合目まで登る「富士スバルライン」に向かう。
その間も、ラリーは、
車の窓から、だんだん近くなって大きく見える富士山をしきりに見ている。

 

「富士スバルライン」の入り口に着き、
そこから、一方的な上り道を登り始める。かなりのハイペースである。
一合目、二合目、三合目、
すでに2,000mを越している。

 

四合目の展望台で車を止め一休み。
2,300mからの富士山の頂上は、
すぐ近くに見えるが、そこまでには、まだ1,400m以上の高さがあるのだ。

 

 

スバルラインの終点、五合目は2,500m。
温度は7゜Cと出ていた。寒い!
この高さで空気が薄いのか、駐車場から広場まで少し登っただけで息が弾む。
(息が弾んだのは私だけであったが。)
五合目の売店に入り、軽食を取った。
食堂に差し込む光が強く、かえって中が暗く見える。

 

ラリーがコーラとカツサンド、トニーがおしるこ、私が甘酒。
頼んだ物が全部出るのに30分以上。
ちょっとムッと来るが、ここは2,500mの天上である。
そんなことは小さいことなのだ。

 

 

それにしても、遅かった割りには、
甘酒も、トニーが食べたおしるこも美味しかった。
ラリーは、日本に対するお世辞なのか、何を食べても美味しいと言ってくれる。
でも、姿が悪いそのカツサンドも、すごく美味しそうに見えた。
これも2,500mの御利益か。

 

 

売店の屋上で記念写真。

 

 

五合目から見た富士山山頂。
ここからまだ1,200mも上にあるのだ。すごい!

 

 

五合目から下界を望む。
湖が見える。

 

 

五合目の寒さに震え上がりながら、
スバルラインを下山し、富士山を一周して、富士インターからまた東名高速。
一心に走りきって、積算約600km。
ホテルに帰りついたのは夜8時半過ぎ。
なかなか大変だったのである。

 

ホテルに帰って、トニーが焼肉を奢ってくれた。
この日の最後。
焼肉を多分、20人前は食べたのであった。

 

 

アメリカのナイスガイ、ラリーの来日以来の、たった一日だけの休暇でした。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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