谷 好通コラム

2006年01月16日(月曜日)

1327.書くと10倍になる

畠中君が、快洗隊日記に連載で記事を書き始めたらしい。
1話・・・、2話・・・、と始まって、
昨日まで連続で4話アップされていた。

 

三日坊主ということもあるので、
4話まで行ったら、本格的に書き始めたと思おうと考えていた。
何話と数字でカウントしてあるのだから、
当然、話を重ねるごとに数字が上がっていくのだろう。
と、
いらぬプレッシャーをかけてはいけないので、しばらくそっとしておく。
しかし楽しみである。

 

もう一つ嬉しいこと、
?快洗隊の各店舗から、
12月年末の反省と改善策が次々と送られてきているのだ。
マネージャーだけでなく、チーフなどの中堅クラスからも続々と届く。
みんなかなりの力作で、
中には驚くほどの内容の濃さで、
新しい視点からの、今まで気が付かなかったような嬉しい指摘もあった。
現場で実際にお客様と接していることの強さを、まざまざと感じさせる内容である。

 

これを整理してまとめ上げ、
具体的な改善行動を起こし、
熱いうちに今年の年末のための施策を作り上げてしまえばいい。
今年の年末に、忙しさゆえの不手際で
がっかりさしたり、怒ってしまったりしたお客様を激減させられるだろうし、
もっと多くのお客様に、
快洗隊のきれいさに仕上がったお車でお正月を過ごしていただける。

 

そして、その結果の必然として、
いまだかつて無いほどの実績が上がってくるのだろう。

 

それに、みんなからの文章で
それぞれが問題意識を持って仕事をしていることがよく解り、
こんなに嬉しいことはなかった。

 

「書く」ことの威力を改めて感じる。

 

私はみんなに「書く」事をしきりに勧めている。
「書く」と、頭の中にあったことが整理整頓されて明確になってくるし、
論理的な構造を持った形で、頭の中にインプットされる。

 

話す言葉とか、考えるとか、その場限りで消えてしまう手段での思考は、
論理的な組み上げが難しく、
話の中に矛盾があっても気が付かない場合が多い。
頭の中にあるものを引き出して、
文字にして書きとめ、固定してみると、
その中に内包されている矛盾と間違いに気が付くことがよくある。
人間の脳みそは、
考えただけでは論理的な思考の組み立てることをあまり得意としていない。
(私だけかな?)

 

頭の中だけで考えたり、話をして得られるのは、
どちらかというと「ひらめき」「インスピレーション」の類だろう。
私は文章をたくさん書くが、
書いている時にひらめきを得ることはあまりない。
ひらめきは、
ボぉーっと、漠然と考えを巡られている時に、
あるいは誰かと話をしている時に、
突然、今までバラバラであったいくつかの要素が、パッパッパッと結びついて、
新しいアイディアを思いついたり、新しい考え方とか見方が“ひらめく”。

 

無かったものが突然に姿を現し、
つまり、新しい形を持ったものを作り上げる。
それを「思い付き」と言ったり、あるいは「ひらめき」と言ったりする。

 

そのひらめきで考え方が変わって、
その朝までみんなに言っていた事と正反対の事を、夕方に言い出したりして、
朝令暮改となり、みんなを右往左往させるのである。

 

それに対して、書くことは
今ある頭の中のことを整理しながら、
その要素の一つ一つに裏づけ(理由)を加え、
たくさんの要素を順序どおりに並べ、論理的に正しい意味を作り上げていく。

 

そうする事によって、
物事を論理的に正しい形で理解し、
そのことについて具体的にどうすればいいのか、
具体的な形がシルエットとして浮かび上がり、実際の行動に結びついていく。

 

対して、思い付きとか、ひらめきは突然出てきて、
それが実現するものなのかどうかは全く分からない。
思い付いた時は、それが名案であり、
素晴らしいアイディアだとワクワクするのだが、
少し時間が経って落ち着くと、周りの現実が見えてきて
急に色褪せて感じたりすることがある。
「夢から醒めて現実に戻る」という現象だ。

 

ところが、その“ひらめき”を感じた時に、すぐ文章にして書き出してしまうと、
意外とそれが現実的なものであることがある。
ひらめきによるアイディアとは、
今までバラバラで結びついていなかった要素が、
突然結びつき合って出てくるのであって、決して非現実的なものではないことが多い。
しかし、その結びつきが今までは無かったことなので、
ひらめいた時になぜそれが結びついたのか、時間が経つと忘れてしまうのだ。

 

そこを、ひらめいた時にその日のうちに書き留めて、
文章という形にしてしまうと、
その結びつきが、その理由と共に頭の中に固定されて、現実的なものになる。

 

実現力とは、この事に似ている。
物事を実現するためには、実現するための計画と準備が必要であり、
実現に向けて実行する中で、
状況の分析と反省、そして修正と改善が必要であり、
その過程において
頭の中だけで色々と考えるのだけでは無理であって、
一つの形、
つまり文字にすることによって状況を整理し、
適切に判断、また、その解決・改善を文字という固定した形にして、
みんなに提示し、協力を求める事によって、
実現のための全体の方向を修正することが必須となってくる。

 

ひらめきとアイディアは、物事を実現するための始まりであり、
文字という固定された形を作ることが、実現のための方法であり、
むしろ、実現力のそのものなのであると言える。

 

快洗隊の諸君からの充実した文章と、
畠中君の、多分、毎日続くであろう考え方の文章での固定が、
これからの快洗隊の実現力の飛躍的な向上につながることを、私は断言できる。

 

物事とは、
思っていたり、頭の中で考えたり、喋っていたりするだけよりも、
“書く”と、その実現の確率が10倍になるのです。

 

 

昨日、一旦東京から名古屋に帰って、
朝早く名古屋⇒札幌行きの飛行機に乗った。
今は、その札幌での仕事を終えて、東京に飛ぶ飛行機の中。
(ややこしい話です。)

 

このところの大雪で、札幌は雪にうずまっていた。

 

千歳空港に降りる直前

 

 

今日はこのバン車に乗ってずっと移動です。
バンとはいえ、もちろん4輪駆動車。

 

 

道の両側は雪の山です。

 

 

メインの用事を済ませた後、札幌トレーニングセンターの物件を見に行く。
午後5時、日暮れとの競争である。

 

 

やっとすべての仕事を終えて、一路千歳空港へ。

 

 

今晩は羽田空港の中のホテルに一泊である。
こんな時、空港の中のホテルはすごく便利で、楽ちんですね。

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2006年01月16日(月曜日)

1326.国民コントロール

北京から酒部君と池本さんは無事帰って来たのであろうか、
インストラクター日記に、池本さんが「社長に面白おかしく書かれる前に」と、
北京でのことを自分で書いていた。
ところがどっこい、私の方が早かった。
しかし、私と池本さんが別々に書いた話の中で、
事実関係が微妙に違った。

 

私の話は、酒部くんからの電話の話から想像をふくらまして書いたものだから、
当事者である池本さんが書いた話の方が正確であることは間違いない。
それにしても、
酒部君の電話での話しと池本さんの書いたことでは、
やはり微妙に違うのだ。
北京空港で別々になってしまった酒部君と池本さんが、
偶然再会した時、酒部くんは「二人で大喜びした。」と言っていたが、
池本さんの話では、
「一昔前なら、5.6発殴ってやるところであった。」と書いてあった。

 

同じ事象でも立場が違うと、
こんなにも違った事になるといういい見本である。

 

池本さんを置いていってしまった酒部君は、再会は「大喜び」であり、
酒部君に置いて行かれてしまった池本さんにとっては、
再会は喜びながらも「昔なら殴ってやるところであった。」だったのであろう。

 

池本さんが書いた話を読んだとき、それがおかしくって面白かった。
元々仲の良い二人のことである。
「ごめん、ごめん」で済んだのだろうが、
それにしても、面白かった。

 

かくも人の気持ちとは難しいもので、
人が人の気持ちをコントロールしようと思たって、
そんなことはそう簡単に出来る物ではないのだ。
同じ事を同じ場面であったとしても、立場が違うと、感じ方がまるっきり違う。

 

今日は東京で仕事。
上海からの客と東京で話し合いをしたからだ。明日、月曜日は札幌である。
翌日の火曜日はまた東京なので、
明日は羽田の空港内のホテルで泊まるつもりだ。
お正月の最初からちょっと飛ばしすぎである。
疲れがたまり、ストレスがたまってくると、タバコが美味くなってくる。

 

 

最近、新幹線に乗って思うこと、
それは喫・煙・車両がガラガラになってきたことだ。

“のぞみ”全16両のうち、喫煙車両はわずか4両しかないはず。
なのに、残りの12両の禁煙車両にはそれなりに乗客が乗っているのに、
たった4両の喫煙車両の方がはるかにガラガラなのだ。
「健康促進法」なる訳の分からぬ法律が施行されて以来、喫煙者が激減しているようだ。

 

かつて、私がタバコを吸い始めた頃、
タバコを吸ってはいけない所は世の中に皆無であった。

 

日本国中、いかなる路上もタバコは吸い放題であったし、
どの家庭でも、お父さんは、家の中でタバコを吸うのが当たり前であった。
お母さんでも、くわえタバコで炊事をすることは別におかしい風景ではなかった。
仕事場でも、
タバコを吸ってはいけないのは危険物を扱うガソリンスタンドぐらいであったし、
タクシーの運転手が運転しながらタパコを吸っているのも当たり前であった。
電車やバスの運転手がどうであったかは忘れてしまったが、
たしか、バスの運転席に灰皿があったような気がする。

 

日本国中どこの道路上でも、タバコは吸い放題。
食事をする店でタバコを禁止する店は皆無であったし、
喫茶店でタバコを吸わないのはヘンであった。
映画館でもタバコは自由で、
いつのことからか「映像状態を良くする為にタバコは出来るだけ遠慮願います。」と、
場内アナウンスが言い、いつの間にか禁煙になったのはついこの間のことである。

 

電車の中でタバコを吸ってはいけない事になったのは、
一体いつのころであろう。
若い人には信じられないかもしれないが、
ちょっと昔までは、新幹線はもちろんのこと、在来線でもタバコは自由であった。
通勤電車でもOK、
しかし、あまりにも混んでくると、
「車内が大変混雑してきましたので、
タバコは危険ですので御遠慮いただけます様お願いします。」
と、車内放送がかかったものだ。

 

それがどうだ。
今では、
新幹線のわずか4分の1しかない「喫煙車両」が「禁煙車両」よりも空いているのだ。
世の中変わってしまったものだ。

 

 

人の心はそう簡単にコントロールできるものではない。
なのに、あっというまに日本を禁煙天国にしてしまったあの「健康促進法」には、
一体どんな国民コントロールの術があったのか。
興味深い。

 

どちらにしても日曜日の新幹線は空いている。
しかし、禁煙の5号車と、喫煙の4号車ではこんなに乗客数が違うのだ。
※禁煙の5号車

 

 

※喫煙の4号車

 

 

※混雑している時は、禁煙車から満席になっていく。

 

 

来年からは喫煙車が無くなるという話を聞いた。
いよいよタバコ吸いにとっての暗黒時代が深刻になる。

 

タバコ吸いとして闘いきるべきか、
面倒だからいっそのこと禁煙してしまうか、
それが問題だ。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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