谷 好通コラム

2001年08月27日(月曜日)

207話 テツ清水・生沢徹

また新幹線の中
毎度のごとくMINEサーキットに行ってきた
が、今日は乗らなかった
レースがあって、それにエントリーまでしてあったのだが
今日は結局乗らなかった

 

昨日、親父の49日の法要で、それが終わったあと
かなりアルコールが入ったまま、夜遅く下関まで入った
翌朝早く起きて、すぐにレースというのは
いくらなんでも
いくら私が馬鹿でも、無謀だと思ったのだ
悪すぎるコンディションでレースに出ても、手伝ってくれる人たちに迷惑だ
そう思って、今回はエントリーをキャンセルすることにした

 

だから今回は、「見るだけ」

 

去年の途中から「テツ清水」というレーサーを、サポートしている
現在50歳
彼が、まだ高校生の頃(私は49歳、だから私も高校生の頃)
日本のオートスポーツが創世記の頃だった
「生沢徹(テツ)」という若いレースドライバーがいた
いつも
ライバルよりも、少しだけ非力な車を駆って
あっと驚くような走りを見せてくれた、そして強かった
人気ナンバーワンのドライバーであった
一つのメーカー専属にはならない一匹狼的なところも、人気の理由であった
(その頃のレース界の事については、またぜひ書きたい)

 

わたしは、その「生沢徹(テツ)」が大好きであった
その頃レースに夢中になっていた数少ない若い子達の
半数以上がそうであったように

 

清水さんも大ファンであったそうだ、
ファンというより「心酔」の粋であったようだ
挙句の果てに、「自分の一生はこれだ」と、この頃決めてしまったと、いう

 

 

だから、その生沢徹にあやかって
レースでは、自分のことを「テツ清水」と名乗り続けているそうだ

 

それからの生活は、すべてレース中心
その30余年のあらましは
コラム集の「テツ清水の、トコトン走しっちゃるけんね」を見てやってください

 

テツ清水というのは、エントリーネーム
本名は別にある「清水忠行」
しかし、いつも「清水さん」か「テツさん」と呼んでいるので
忘れてしまっていた

 

清水さんは、才能が飛び抜けてはいなかった
だから
何千人、何万人に一人のプロ・レースドライバーには、なれなかった
残念ながら、結局はなれなかった
そして
アマチュアレーサーとして30年以上も走ってきた

 

レースというのはお金がかかる
いくらノーマルクラスといっても、レースカーはレースカー
かなりの改造がしてあって、普通の車とは全く違う
安い中古車を買ってきて、レースカーに仕立て上げるのだが
それでも100万円以上はかかる
(私のキーパーレビンは、レースカーの中古だったので、全部で60万円だったが)

 

ランニングコストも馬鹿にならない
練習走行料が、25分1本で3,500円
ガソリン代が1本走ると2,000円ぐらい
あとタイヤとか消耗品までを考えると、1日で2.3万円は覚悟しなければならない
それを月に1.2度やって
その上で
年に何度かのレースに出ようとすると
年間100万円以上はかかる

 

トップを狙い
ステップアップをしてプロドライバーを目指す場合は
その何倍かのお金をかけてくる
たいていの場合は“借金”
借金をして、上を目指す
しかし、そう簡単には、金を稼げるプロドライバーになれるわけではない
資金の行き詰まりで、挫折するのが普通
ほとんどの人は、借金だけを残して
“夢”半ばで、挫折していく

 

これはモータースポーツ世界自体のあり方にも問題があると思うのだが
そのことについては、またの機会に

 

ほぼ100%近い人が、モータースポーツから去っていく中で
テツ清水は、50歳になった今も、走り続けている
なぜ30年以上も走り続けていられるのか
何が彼をそこまで駆り立てているのか
彼にとって生沢徹はなんだったんだろうか

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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