谷 好通コラム

2004年04月11日(日曜日)

931話 ことばの難しさ

今日は、「へ」「に」「を」「は」「が」などの助詞の話。

 

?名古屋(から)東京(へ)行く人。
ところが、「名古屋が東京の行く人。」と間違えると、まったく意味が分からない。
?名古屋(へ)東京(から)行く人。
?名古屋(の)人(が)、東京(に)来る。
?名古屋(に)、人(が)東京(から)来る。
つまり、
(から)(へ)(の)(が)(に)(が)(ら)、これらの助詞が変わると、
文章の意味が変わってくる。
特に?と?では、助詞が変わるだけで、まったく反対の意味になる。

 

しかし、
今日(の)天気(は)晴れである。
今日(は)天気(が)晴れている。・・・ちょっとおかしいかな?
助詞が変わっても、意味がほとんど変わらない場合もある。

 

「私はあなた“が”好きだから結婚したい。」
プロポーズである!
「私はあなた“でも”好きだから結婚したい。」
どういう意味?
これは間違えると、えらいことになる。

 

助詞は、日本語で文章を作る時の大事な要素であって、
その使い方を間違えると、文章の意味がまったく変わってしまう。

 

英語も、to. by. from.など助詞を持っている。

 

ところが、中国語には助詞が無いようなのだ。
表意語である漢字が並んでいるだけで、私には助詞に当たる物が無いように見える。
たぶん、漢字の並べ順が助詞の役割をしているのか。
私は中国がまったく出来ないので、分からない。
それだから、なのかどうか、
中国人が日本語を話す時、助詞を間違って使う場合が多い。

 

文頭の例で言えば
?名古屋(から)東京(へ)行く人。
これが、助詞を間違えて、
?名古屋(へ)東京(から)行く人。
となれば、まったく反対の意味になってしまう。

 

あるいは、
「?名古屋(に)、人(が)東京(から)来る。」
この話を、助詞無しで話すと
「名古屋、人、東京来る」となり
「?名古屋(の)人(が)、東京(に)来る。」という意味に取れる。

 

あるいは、
助詞全部を「が」にしてしまうと、
「名古屋が、人が、東京来る」
ここまで来ると、もうさっぱり意味が分からない。

 

しかし、
助詞がうまく使えなくても、日常の会話ならば、それなりに通じてしまうのだ。
たとえば
「谷さん、昼ごはん、食べに行こう。」
(谷さん、昼ごはん[を]食べに行こう)

 

「私、飛行場、行く」
(私[が]飛行場“へ”行く)

「あの人、ウソ、言っている。」
(あの人[は]ウソ[を]言っている。)

 

「向こう、道、タクシー、待っています。」
(向こう[の]道[に]タクシー[が]待っている。)

 

「今日、昼、電話、下さい。」
(今日[の]昼[に]電話[を]下さい。)
どうですか、
日常の会話ならば、助詞無しでも、何とか通じてしまうでしょ。

 

しかし、これがビジネスの世界での話し合いの場では、
「へ」「に」「を」「は」「が」などの助詞が、非常に重要な意味を持っていて、
それが、無かったり、適当に使われると、
話の内容が変化してしまったり、解からなくなったりして、
ビジネスの話し合いにはまったく通用しないのである。

 

この問題は深刻であって、今の悩みの種でもある。

 

ちょっと視点を変えて、

 

助詞をいい加減に使う。あるいは、使わない風潮は、
もっと一般的なことであることを考えたい。

 

これって、今の女子高校生が使っている会話にも似ている。
「サッチン、今日、学校終わったら、マック、行くけど、サッチン、行く?」
(「サッチン、今日、学校[が]終わったら、マック[へ]行くけど、サッチン[も]行く?」)
イエイエ、この助詞なしの会話は、中国の人の下手な日本語訳とか
いつも言葉の乱れの代表選手のように言われている現代女子高校生だけでなく、
普通の人の会話の中でも、深刻に進行しているのです。

 

しかし、対面あるいは電話などでの“会話”では、
「へ」「に」「を」「は」「が」などの助詞は、ほとんど使わなくても、
それなりに通じてしまうので、別に不自由ではない。
特に、友達同士とか“ツレ同士”の関係のように、
ルーズでラフな会話をしてもいいような関係の場合、それが特に顕著だ。

 

そして、助詞無しの会話が、ここ何年かの内に多くなって来たのは、
“携帯”が、圧倒的多数に普及して、
結果として、ラフな会話が以前より日常的に増えたことが、
その大きな理由なのかもしれない。

 

会話はまだ良い。
しかし、“文章”にすると、助詞が無いとおかしい事が分かる。
文書にすると、助詞無しでは、さっぱり意味が通じなくなってしまうのです。
助詞無しでも会話では通じるが、文書ではまったく通用しない。
「今日、昼、電話、下さい。」では、これが短い連絡文章だとしても、稚拙過ぎる。
「今日の昼に、電話を下さい。」が、文書としては最低限であろう。

 

ITが進んでパソコンが普及し、Eメールが多く使われるようになってきて、
みんな文章を書く機会が多くなり、
これはとてもいい傾向だと思っていた。
ところが、
「Iモード」なる“携帯”でのEメールが、パソコンをはるかに上回る勢いで普及して、
文章に「助詞が有るとか無いとか」の、そんなレベルではなくて、
一挙に信号のような言葉になってしまった。

 

特に若い子を中心に、私などのオッサンにはとても判読不能の
暗号まがいの“メール”を書いている。

 

また、若い子から、私達の年代の者までがよく読んでいる“漫画”の中では、
叫び声ばかりが氾濫していて、もはや日本語と言って良いものかどうかのレベルだ。
漫画を否定しているのではない。
私だって、20年ぐらい前まで漫画をよく読んだ。
でも、漫画の中に、叫び声ばかりが溢れるようになって来てから、
読んでいて頭が痛くなるような気がして、読めなくなった。

 

 

言語は、「聞く」「話す」「読む」「書く」から成っている。

「聞く」「話す」の分野では、連れ同士のラフな会話が多くなり、
「読む」「書く」の分野では、文書ではなくて、
何千年前の記号による象形文字文化のレベルにまで退化しつつある。

 

そういう意味では、最近、日本語は急速に衰弱している。

 

このところみんな、
助詞が必要な普通の文章を書いたり、読んだりする機会が
激減しているのではないだろうか。(ちょっとオーバーかな?)

 

そんな状況の中で、ものすごく困った事がある。
ビジネスの中では!
言語の4要素「聞く」「話す」「読む」「書く」、
そのすべてにおいて、
「へ」「に」「を」「は」「が」などの助詞が、極めて正確に使われなくてはならないのだ。

 

本人は一生懸命に、敬語を思いっきり使ってお客様と話していても、
「へ」「に」「を」「は」「が」などの助詞が、まったくうまく使えないので、
相手とのコミュニケーションがうまく行かない場合がある。

 

仕事の中では、助詞が正確に使われないと通じない話ばかりなのだ。

 

「私たちが今回発表予定の○×という商品の商品説明を、
出来れば、私が◎月●日にお伺いして、△■様にさせて頂きたいと思うのですが、
△■様のご都合はいかがでしょうか?」
※ありふれた、商品説明のためのアポイント取りの電話、あるいはメールである。

 

「◎月●日、私、そちらに行きますんで、
新しい○×の説明、△■様させてもらいたいんです。ご都合どうでしょうか?」
※よくあるパターンである。
特に早口で言われると、何を言っているのかさっぱり解からない。
こんな例は、いくらでもある。

 

もっともっと複雑で、微妙な話になると、いよいよ絶望的に解からなくなってくる。

 

会話とか文章の内容を大きく決定する要素である助詞を、
うまく使えるようになるには、
きちんとした文章の載っている本とか新聞を「読む」か、
自分自身の手で、きちんとした文章を「書く」ことしかない。

 

いい加減な言葉と、象形文字が氾濫し、
「へ」「に」「を」「は」「が」などの助詞が、衰退しつつある現代、
正確で力強いビジネスを進めていくためにも、
特に、きちんとした文章を「書く」ことが、
最も早い、最も効果的な手段であり、訓練方法である。

 

キチンとした文章を書く事が出来なければ、
キチンとした話をさせてもらうことも出来ない。

 

特に、私たちアイ・タック技研の仕事は、
私たちが開発した数多くのノウハウ、技術を“伝える”ことが中心である。

 

 

まだまだ、日本語をきちんと書けないスタッフも少なくない。
きちんとした文章を書けない人間が、
きちんとした正確な事を、話せる訳が無い。。
私自身を含めて、大きな自省をしなければならない。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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