谷 好通コラム

2007年12月28日(金曜日)

1809.快洗隊、ただいま苦戦中

年末もいよいよとなってきて、
全国から営業、インストラクターもそれぞれ終結して臨戦態勢に入っている。
出荷事務所、経理管理の事務員さんまで総出の臨戦態勢。
今年の週回りは、28日から四日間の短期集中型であり、
その対策を前々から練ってきた。
が、
雨である。
何ともはやの”雨”である。
出鼻をくじかれた格好で、雨が降ってしまった。

 

何日か前からの天気予報で、
28日から全国的に雨が降るとは言っていたが、
「どっかのバカタレが訳の分からんことを言っとる」ぐらいの勢いで、
気にしないでいたのだが、
やっぱり降るものは、降るものだ。
クソッタレである。

 

昨年の12月と比べると、20日ぐらいまでは絶好調で、
快洗隊直営店14店全体で前年対比130%以上でぶっ飛ばしていた。
特に改装した刈谷店などは180%の実績で、恐ろしいまでの勢いであった。
しかし、年末の週回りの関係もあってか、
前年ならば24日ぐらいから始まっていた年末の混雑が、
今年はなかなか始まらず、
前年、すでに始まっていた年末モードの数字に押され、
26日27日も、28日からの雨予報でラッシュ警戒態勢も空振りに終わり、
前年の115%にまで落ちてきた。
その上で、この雨である。
各店の店長、チーフ、スタッフ、アルバイトさん、
そして応援の皆のがっかりの声が聞こえてきそうだ。

 

何年か前にもこんなことがあったが、
その時はラストの30日の夕方から降り始めて、31日大晦日が雨。
今回は29日の午後から雨は上がりそうだが31日最後まで曇りではっきりしないようだ。
バカッタレ共とバカにしていた天気予報によると、
九州では30日から31日は雪になるそうだ。
九州のたくさんのSSさんと快洗隊の人たちの顔を見に浮かぶ。

 

甚目寺店に行ったとき
今日は朝から5台で、6台目が先ほどキーパーを注文された。
たぶん今日は10万も行かないだろう。
皆はどうだろうかとあちこちに電話をかけたら、
純水ドライブスルーが好調であった鳴海店も似たようなもので、暇だと言う。
安城店はコーティングの予約が生きていてけっこう忙しそうだ。
たぶん知立店も同様だろう。
その中でも特に刈谷店と岡崎店が頑張っているようだ。
予約をもらっていたコーティングのお客様が
一件のキャンセルもなく来店され、
コーティング作業を受けていらっしゃると言うのだ。
刈谷店で40万以上、知立、安城店も30万狙いだと言っていた。
いずれにしても、雨が一日中降っている中での数字とは思えない。
この差は一体何なのだろう。
やはり、刈谷店と岡崎店はコーティングブースを前面に押し出し、
コーティングプロショップらしさを出しているので、キャンセルがないのだろうか。

 

雨が降ると、洗車ならばやろうとは思わないが、
コーティングならば、
洗うこととは違い、別のことなので雨が降っていてもやる気になるのだろうか。
「コーティング」とかは
美容で言えば「肌の手入れ」だから、
雨が降っているかどうかはあまり影響なく、
「洗車」は美容で言えば「洗顔」だから、
雨が降ると「やってもしょうがない」となるのだろうか。
コーティングを予約されたお客様は雨が降ってもキャンセルをして来ないが、
「洗車」は雨が降ったらまず来ない。
雨の日の洗車対策を長い間考えてきたが、
答えはひょっとすると、「コーティング」を「予約」してもらうことなのかもしれない。

 

お客様の心理はなかなか図りがたいものがあるが、
大ラッシュになるはずの28日に雨が降ったとき、
洗車を前面に押し出している店と、
コーティングを主体にしている店との差が、
そして予約が定着している店と、そうでない店の差が
はっきりと出て、面白い対比が見られたことは勉強になった。

 

(ここから本社に帰って来てから書いた)
ちなみに、本日、雨の28日の14店舗合計が約270万。
刈谷店の40万と岡崎店の25万、安城店の29万、知立が20万、
そして、板金収入が大きかった札幌店の50万が光っている。

 

本日までの総合計で約4,700万。
残念ながら7,000万の大台はすでに望むべくもないが、
予算の6,500万には、
あと三日間の超短期決戦が雨にたたられなければ、まだ、まだ希望はある。

 

 

 

応援部隊が会社の寮(中央トレセンの2階)に帰って来て、
早速、飲み会が始まる。

 

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2007年12月28日(金曜日)

1808.私の心の中の悪魔?

心の中にドロドロしたものがあった時、
それを文字にして書いていくと、それを読んだ時にその存在に自分で気が付く。
自分勝手なものであったり、
自分の中のネガティブな部分、
たとえばヒガミであったり、ねたみ、
憎しみであったり、
理性的とはとても言えないドロドロとした欲望であったりして
そういうものが発端となって出てくる悪しき感情、
心の中の悪魔の存在が
文字にして見ると、客観的になって自分でもよく解る。
だから恥ずかしいと思うし、
イカンなと思い、
それがたとえ長い文章であっても、ばっさりと消すことがある。

 

 

だったら
最初から差しさわりのない事だけを選んで書けば良さそうなものだ。
本音なんかを書くから、
「書いてはいけないこと、人を傷付けそうなことまで書いてしまって
文字にして読み返すことによって自分が客観的になっていて、
間違いに気が付き、ばっさりと消す。」なんて無駄なことをすることになる。
最初から無難なことだけを人ごとのように書いていれば、
そんな無駄なことをせずに済むかもしれない。

 

最初から、評論家然としたり、
人ごとばかりを書いたり、カッコいいと思われるような事ばかりを書いたりしていれば
無難かもしれないし、その方がいいのかもしれないが、

 

長くは続かないし、つまらない。

 

カッコつけたことばかり書こうと思っても長くは続かない。
本当の自分を隠し続けては長くは書けない。
どこかでつじつまが合わなくなるし、ウソがばれる。

 

 

変な話で恐縮だが、
お化粧をしっかりしている女性が、
結婚しても、旦那さんに決して化粧をとった素顔を見せないという人がいるそうだ。
夜まで、だそうだ。
すっピンにそこまで自信がないのか、
すっピンが嫌いなだんなさんなのか、
素顔は本当の自分ではないと思っているのか、よく解らないが、
きっと長くは続かないし、心のどこかでいつも不安だろうし
そんな化粧をしていること自体楽しくないだろう。

 

ましてや心の化粧をし続けて、
決して心の素顔を見せない人は、
自分が何なのかすら解らなくなってしまうのでないか。

 

素顔を見せなくてはならない。
本当の自分を愛して欲しいならば、素顔を見せなくてはならない。
嘘を言ったり、芝居をしたままで生き続けても、そんな人生には意味がないし、
楽しくないし、つまらない。
だから、
書くとするならばいつも自分が思ったまま、感じたまま、考えたまま、
そのままを書いて、
その中に自分の醜い部分を見つけたら、
それを認めた上で、そんな自分を変えればいいと思う。

 

嘘をつき続けるのは大変だ。
常に自分を偽り続ける緊張感を持って生きていくのは、
本当につらいし大変だろう。
精神的に、脳細胞的に、自分を破壊してしまいかねない危険すらある。
それを思うと、
自分自身を変えることの方がよっぽど楽なはずだ。
自分の考えたこと、思ったことをそのまま書いて、
客観的に見て、
「これはイカンな。」と言いながら書いたものを消し、
書き直して、ついでに自分も変えればいい。
その方がよっぽど楽だし、楽しいはずだ。

 

無理をするのは良くない。
「無理」とは「理が無い」という意味で、いいことは何もない。
お化粧を取るのが怖いように
本当の自分の姿を出すのが怖いのならば、
本当の自分が嫌いならば、
それよりもうんと楽しくて楽ちんな、素の自分を出すようにしたほうがいい。
芝居ではない。
本当の自分をさらけ出し、素の心を出し、変身をすることだ。
それとも死ぬか?せっかくこの世に出て来た幸運をそんなつまらないことで捨てるか?
自分を隠したまま、芝居をしたまま、生の幸運を捨てるか?
自分のそのままを出すだけでいいのに、それが怖くて、その幸運までを捨てるか?

 

本当の自分をさらけ出した時に、
自分自身が嫌いで、自信が無かったはずなのに、
意外にも、「かわいいね。」「うれしいよ。」って言われるはずだ。
絶対に、100%の確率でそう言われるはずだ。

 

が、もし、万が一、
「お前の素顔なんか見たくない。とっとと化粧をして来い。」なんて言う奴がいたら、
そんな奴とは、一刻も早く別れたほうがいい。
そいつはとっくに別れているべき非人間的大馬鹿野郎だったのだ。
その馬鹿野郎は、人間を人としてを愛していたのではなく、
肉体が欲しかっただけであったり、お金が欲しかっただけであり、
一緒に連れて歩くペットが欲しかっただけでしかなかったのだ。
つまり、その馬鹿野郎こそ“が”人間ではなかったのだ。
それが解っただけでもラッキーである。
とっとと別れるべきことが解ったことで、人生の貴重な時間を無駄にせずに済んだ。

 

誰でも、自分の心の中に弱い部分があるように、
誰でも自分の心の中に悪魔を持っている。
それを隠すことはない。誰でも持っているのだから隠すことはない。
素の自分を何の警戒心もなく出して、
自分の中に、相手を傷付けたり、ひがんだり、自分勝手な心を見つけたら、
それを恥じればいいし、イカンと思えばいい。
「反省だけならサルでも出来る」と言うが、
サルは反省のカッコはできるが、本当の意味の反省は出来ない。
自らを省み、イカンと思う心、反省は人間だけが出来る特技であって、
それが出来るから、自らを変えていく能力を人間だけが持っているのだ。

 

自らを変えるには、
これではイカンなと思い、自らの力で自らを変えるか、
違う姿に化けるかである。

 

化けるほうが簡単で良さそうだが、化け続けることは絶対出来ないもので、
必ず化けの皮がはがれて、狸のしっぽが出ることになる。
だからもっと一生懸命に化け続けるのだが、
これは大変疲れることで、悪いことに、
化け続けると自らの姿を見失って、
とうとう自分が壊れてしまうのが関の山となる。

 

そんな馬鹿馬鹿しいことなどせず、素の自分をポロンと出してしまい、
「可愛いねっ」って言われたほうがうんと楽だし、賢いことだ。

 

そのまんま生きよう。
しかし、私の心の中にいる悪魔はそう簡単には消えない。
素の自分を出して、イカンな~と思いながら自分が変わって行っているつもりでも、
私はいまだにバリバリ現役の「凡人」であるし、
人を傷付けたり、ねたんだり、ひがんだり、憎んだりも度々だ。
そう簡単に自分を変えることなど出来はしない。
いつまで経っても葛藤であるし、反省の連続でもある。

 

しかし、自分を飾ったり、化けたりはしないだけ楽ちんである。
いいカッコをしようと思わないだけ、楽である。
無理しないほうがいい、
無理して良いお父さんであったり、良いお母さんであったり、
リッチに見えたり、無理して今流行のセレブに見えたいと思う必要もない。
素のままが良い。
「自分がどのように人から見えるか」なんて、考える必要はまったくない。
カッコよく見えたいと思う気持ちがあったとするならば、
それは、自分が嫌いだからだのではないか。素の自分が嫌いだからなのではないか。

 

清潔であることと、化けることとは似て非なるものである。
清潔でありたい。
化けているのはとてもつらいし自分がどこかへ行ってしまう。
素の自分のまま、清潔でいられたら、それが、一番いい。

 

 

今日は、午後4時過ぎまで事務所で仕事をしゃかりきになってやり、
夕方6時くらいの新幹線に乗って、福山までやってきた。
快洗隊・新涯店のみんなと会うためだ。
今回はそれだけ。出張としては非効率ではあるが、これはどうしても来たかった。
名古屋を出てくる時に、東海店の杉浦君に電話をした。
「今日はどうだった? 最近の東海店はすごいね~。
今から新涯に行って来るよ。」
「えっ、新涯店ですか? じゃあ今日は飲むんですね。いいですねー。」
「あー、あっ、そういえば東海店のメンバーとは飲み会やってなかったっけ。」
「えー、まだです。楽しみにしてますよ。」

 

年末もあと四日間。
ここ何ヶ月か、ずっと快洗隊の面々と飲んで回ったが、
まだ東海店が残っていた。
東海店は本社から10分ほどしか離れていない。
一番近いところが残っていたのは、不思議だ。

 

新涯店のみんなと飲んだ。
私はカメラのメディアを忘れていったので、
アルバイトさんの村上君の携帯カメラでのワンショット。
「洗う、磨く、掃除する。」の清潔戦士たちである。

 

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