2016年02月23日(火曜日)
2.23.・・らしく見えることよりも、
たとえば、
お金持ち”らしく見える”人がいるとして、
でもその人は、”らしく見える”だけで、
むしろ、そうでもない人だとしたら、
それどころか、
らしく見えるための小道具や、演出にお金が余分に要って、
本来持っているお金の水準以下の生活しかできていないとしたら、
それはむしろ滑稽で情けない。
しかし、
それでも、らしく見られる生活とはどういうものか。
やったことが無いから解からないが、
多くの人が実際の自分より
上に見られようとするので、悪くはないのだろう。
・・・に見えるように・・。は、
日常生活の中にしっかりと根付いています。
実際より足が長く見えようとするし、
利口そうに見えようとし、
お化粧で目が大きく見えようとしたりする。
人は、
“どうあるか”というより前に、
“どう見えるか”の方に、力を入れる傾向があります。
”何をするか”よりも、
”何をしているように見えるか”が、気になります。
実際がどうであろうが、
どう見えるかが肝心であり、
見えているものが錯覚であっても、
それが本物よりも良ければそれでいいのでしょうか。
しかし、
“らしく見える”ことに、何の意味があるのか。
実際にそうではないのに、そう見えることに何の意味があるのでしょうか。
ひょっとしたら、
・・らしく見えないとしても、
実際にそうであれば、
らしく見えることはむしろ必要ではなく、
何も失うものはなく、むしろ豊かであるのかもしれません。