2015年08月18日(火曜日)
8.18.その無神経さ、どう違うのか。
以前のニュースですが、
中国の都会で、二歳の女の子が二台の車にはねられて、
血まみれになっているのに、
十数人の通行人が見て見ぬふりをして通り過ぎたそうです。
ゴミ収集の人が見かねて道路の縁に寄せたのですが、
母親が見つけるまで誰も病院に連れて行かず、
少女はほとんど脳死状態で、助かる見込みはないとありました。
こんな残酷な話が本当にあるのだろうかと思いますが、
本当のことのようです。
この事件以前に、別の交通事故で倒れていた人を助けた通行人が、
その助け方が法律的に違反していた。と、告訴されたことがあって、
それからこうなったと報じていました。
しかし、理由はどうあれ。
目の前に血まみれの二歳の女の子が倒れていて、助けずにいられるものでしょうか。
人の心が少しでもあれば、
少しでも倒れている子の気持ちになれば
見捨てるようなことは
とてもできるものではありません。
しかし、広い意味で、
同じような事を
私達もしているのではないかと思ったのです。
共に働く仲間たちが、
働く環境が悪くて、つらい思いをして働いていても、
或いは、お客様の待っている環境が悪くて不愉快な思いをしておられても、
それを見ても、
何とかしなくては、とも思わず、
漫然と見過ごしてしまうことはよくあります。
自分が、その悪環境を改善できる立場にいても、
気が付かず、
あるいは知っていても、
見過ごし、平然としている場合があります。
この無神経ぶりは、
中国の都会で、血まみれの女の子を見て見ぬふりをした中国人と
程度の差こそ大きくとも、その意味においては変わらないような気がしたのです。
平和が続き、人の痛みや気持ちが分らなくなっていることがあります。
我が身を省みる必要がありそうです。
セミナーを受けた後、新鮮な感性で
何軒かの店舗を周るうちに色々と考えさせられました。