2015年02月13日(金曜日)
2.13.「死ぬまで現役で馬車馬の様に、働いて下さい。」
昨日、東証で上場のセレモニーをやりました。
威厳があり、感動的で、素晴らしいセレモニーで、
みんな、大変、感動させてもらいました。
この会社は、七年前、もちろんアイ・タック技研㈱の頃、
一度、IPO(新規上場)に挑戦したことがありました。
その時は、税基準から会計基準への移行で、
退職金の引き当てや諸々の引き当てで、
税基準では黒字であっても、
IPOに必要な「会計基準での黒字」を計上できず、1期だけ赤字になり、
IPOを断念しました。
この時のIPOの動機は、
事業において上場は名誉であり、”勝ちたい”意欲の延長でした。
だから、IPO断念の後も、
体勢を立て直し、再びIPOに挑戦するために、
ずっと”会計基準での決算”を続け、いつでもIPOに入れるようにしていました。
しかし、約2年前に始めた今回のIPO再挑戦の動機は、
私の”引退したい”、あるいは、”引退せねば”でした。
60歳を近くにして、
当然のごとく、体の不調がいろいろ出て、
「これは、自分の体は明日何かあって死んだとしても、変ではないな。
これはいつ死んでもいいような準備をしておかなくては。
せっかくここまで作ったKeePerの仕組みと価値感が潰れてしまう。
若い子たちを放り出してしまうようなことはしたくない。」と思いました。
そして誰かに、会社を引き継いでもらう仕組みも考え、
その一つとして、株式上場を考えたのです。
「創業者企業」であるこの会社は、
たとえ法人であっても、
従業員が100名を越えても、
その実体は、個人企業と同じです。
会社の利益は、個人の利益に収束するように出来ているからです。
自分があるべきと考えたこの会社の価値観と、
KeePerの仕組みを実現していくためには、
ひらかれた、社会の一部としての法人のあるべき姿にしなければいけません。
それを「パブリックな会社」というそうです。
その手段は、あらゆる意味で”株式の上場”に帰結します。
コーポレートガバナンスは、上場すれば当たり前の必須要件です。
これが創業者以降の、公の器としての会社の在り方を決めてくれます。
そんなことを思って、
自分が引退しても大丈夫な体制作りを目指して
計画を造って、それを実行に移し、
たくさんの人の力によって、
たくさんの幸運も重なって、
株式上場の体制が、ここに至ったわけです。
上場のセレモニーは、
私は、クタクタになりました。
普通の体力と肢体を持っていれば、
普通に大丈夫なプログラムで、
感動の瞬間がちりばめられた素晴らしい内容だったのですが、
立っているのがすごく苦手な私は、足が痛い方に気持ちがいってしまって、
どうも、感動の波長に乗り遅れがちでした。
仕方がありません。
正直言って、疲れました。
「自分がいつ引退してもいいようにするため」のIPOは、
準備を進めていく間に、何か違うなとは思っていました。
いちばん違和感を持っていたのは、
本当に引退した場合の「仕事のない生活、時間」です。
そんな暇な時間と生活を自分が望んでいるわけではありません。
好きな時に、
好きな所に行って、好きなことをやって、
くつろいだ悠々自適の時間なんて大嫌いです。
私は暇な時間がいちばん嫌いで、いちばん苦手です。
だから、私が社長を引退して会長職についても、
この事業の一番の”肝心”である”商品”の開発に没頭するのだと言ってきました。
しかし、商品開発だけで、
自分の頭と心が欲しているものが充実できるはずがなく、
そんなことがずっと違和感になっていたのです。
しかし、解かってきました。
株式市場に上場するということが。
上場によって、人・物・金のすべてにおいて、
異次元の大きさで得られるということが、
何を意味しているのか。
少なくとも、自分が引退することが得られることではありません。
そんな私の違和感とイライラを見越したような言葉をいただきました。
ある大きな企業の社長からメールをいただいたのです。
「上場おめでとうございます。
私もそうですが、引退など考えずに、
死ぬまで現役で馬車馬の様に、働いて下さい。」
私は、この言葉を見て、泣けてきました。
「死ぬまで馬車馬の様に働いて下さい。」は、最高です。
泣けてきました。
この続きは、また明日書きます。
上場して何をすべきかを、今更ながら分かってきました。