2014年09月09日(火曜日)
9.08.解かり切ったことを議論する必要はありません
逆説的に言うと
解かり切ったことを議論する必要はありません。
だから、議論などせずに実行するのみです。
でも、その結果、
上手く行かなかったとしても、
それは多分、何か不可抗力が働いて、たまたま上手く行かなかっただけで、
誰が、
どんな風にやっても、
きっと上手く行かなかったのです。
だから、
やり方は、解かり切った事なので、
これからも、議論なんてやっぱり必要ではありません。
誰かに相談するなんてまっぴらで、
解かり切った事を、淡々とこなしていくだけです。
そう思っている「もう解かってしまった人」がよくいます。
人はその経験の中で、
何らかの成功を、何度かすると
その成功した事柄については、
そのやり方を解かったこととして、習得してしまい、
そのやり方については、
他人と議論などをする余地のない、解かり切ったこととして、
凝り固まり、垢のように身に着けてしまうもののようです。
しかし、
その経験とは、あくまでも、
その経験におけるシチュエーションがあったために、
たまたま成功しただけであって、
むしろ異例のことであったとしても、
成功は成功であって、
その成功が何にでも通用する成功であると思い込み、
たとえ、次に違うシチュエーションでの不成功を経験することがあっても、
その不成功は、たまたまシチュエーションの方が異例であって、
自らが身に着けた成功へのやり方は間違っていなかったとして、
せっかくの不成功を経験しても、解かり切ったことが修正されることはない。
つまり学習する事は出来なかったことになる。
人は経験の中で、
ちっぽけな成功を重ねることによって、
学習能力を失っていく場合がある。
それは、議論をしなくなるという現象で現れてくる。
もっと進むと、
報連相すらしなくなる。
だって、解かりきっていることなのだから、
議論なんてもちろん、
報告、相談、連絡なんて、無駄なことをする必要はないのだから。
拡大し発展する仕事を進める時、
実は、このもう解かった人との戦いでもあるのです。