2013年05月26日(日曜日)
5.26.われら、さとっていない族たち
最近の若者には「さとり族」という者がいて、
「がんばったって、何がどうだってんだよ。かったるいだけじゃん。」
なんて、すでに世の中と人生をさとって、
刹那的になっている若者たちのことを言うらしい。
「ゆとり教育」の産物のひとつだというが、
しかし、この手の無気力人間「しらけた若者」は、
私達が若い頃の大昔から、ずっといた。
でも、それをあえて「さとり族」と別名で呼ぶからには、
私が知っているレベルのさとり振りではないのかもしれない。
私が想像する無気力振りとは異次元のすごさなのかもしれない。
「頑張ったってたかがしれてるじゃん」とか
「人の役に立って、何が面白いの。しょうがないじゃん。」
そういう開き直ったような感覚と態度は、
特に力のない若者にとっては、カッコいいように見える。
人の役に立って、
人に喜んでもらって、
それを自らの喜びに感じられるような感性と、価値観は、
自分の存在を喜んでくれている親とか、身近な人の存在がなくしては、
育ちにくいものなのだろうと思う。
自らの存在を存在そのものとして愛されていることを知っている人は、
どんなことも頑張れるし、頑張って人の幸せを作り出すことによって、
また自分の幸せを作り上げることが出来ることを知っている。
だから、じたばたと、ずっと、いつまでも、頑張るのです。
人生はかったるくなんかない。
“悟り”は、そう簡単に開けるのではない。
私達は、まだまだ、さとっていない族なのです。
ゴスペルグループM・A・K・E・T ライブ「君は愛されるために生まれてきた」
自然もみな、人間も含めてすべて、愛されるために生まれてきたのですね。