2013年05月20日(月曜日)
5.20.チューリップの木
チューリップのような花が咲く木があるそうです。
それもかなり大きな木だそうです。
でも、それを「チューリップの木」と言ってしまうと、どうなのでしょうか。
単に「チューリップの木」と言われて、
「チューリップの花に似ている花が咲く木」と理解する人がいるでしょうか。
何を思い浮かべるでしょうか。
私は写真を見てからこの木のことを聞いたので、
すぐに理解できましたが、
写真を見ずに聞いたら、いくら説明されても理解できなかったかもしれません。
特に微妙なのは、相手が傷つくかもしれない言葉を、
誤解されないように話す、あるいは書くことです。
日本維新の会の橋下氏が、やってはいけない失言をしました。
たぶん、橋下氏の政治生命の何十パーセントかがこれで消えました。
ひょっとしたらダメかもしれません。
橋下氏の毒舌は、政敵などの相手を侮辱し、罵倒しきって、
一定の人には痛快であったことによりました。
その相手とはいつも強い者であり、権力者であり、金持ちでした。
だから社会的に弱い圧倒的多数の人たちから、支持されたのでしょう。
でも、
今度の場合はいけません。
戦時中で、支配されている側の国の、
しかも抵抗が出来ないであろう若き女性が、
どのような過程があったとしても、陵辱された事実を、
肯定的に受け取れる言葉を発してしまったのは、
絶体絶命の間違いでした。
強い者を口汚く罵倒しても誰も文句を言いませんが、
弱い者の被害を肯定してしまったのは、誰も味方をしてくれません。
彼がどういう意味をもってあのような言葉を発したのか、
じっくり聞けば、たぶん、あ~なるほど、と思える意味があるのでしょう。
きっと。
でも言葉は独り歩きするので、もう後戻りは出来ません。
圧倒的多数の人が、その言葉を悪い意味で受け取れば、それが事実になります。
私だって、
言わなきゃ良かった。
何でこんな言葉を発したのだろうか。
何であんな言葉を書いたのだろうか。なんてことはしょっちゅうです。
「そういうつもりで言った言葉ではない。・・・・・と言う意味で・・・」と、
言い訳したくなる事なんて、年がら年中あります。
だからといって、
橋下氏の味方だというわけでも、
彼を支持しているけでもありません。
彼の政治的姿勢は、好き嫌いで言えば嫌いな方です。
でも、
「ばかな言い方をしてしまったなぁ~、まいったなぁ」の気持ちだけは、
よく解かります。本当に良く解かります。
チューリップの木
チューリップの木と聞いて、
誰がこんなにでっかい木を思い浮かべるでしょう。