2012年02月01日(水曜日)
2965.「聞く」が当然、「聞かぬ」は不誠実の証
前の話で「分からないこと」を
あたかも「分かっているかのよう言う」ことが、
いかに恐ろしい結果を招くのかということを書いた。
しかし“たとえ”を戦国時代の戦(いくさ)の話で書いたので、
現代生活の中では関係のないことのように思われてしまうかもしれない。
もっと普通のこととして考えてみよう。
「“聞く”は一時の恥、“聞かぬ”は一生の恥」という言葉があるが、
これはあくまでも自分視点の言葉であって、相手にとってはちょっと違うと思う。
たとえば、
誰かと話し合いをしている時、
特に相手が広告業界の人であったりすると、
話の中に「カタカナ言葉」が頻繁に出てくる。
「ビジュアルが・・」「アイデンティティを・・」「・・をコミットして・・」
とかとか、
たしかに英語の単語のほうが正しく表現できる場合もある。
逆に、日本語では「もったいない」とか「恥ずかしい」などという言葉は
英語には該当する言葉がないのと同じようなもので、
だから、業界の人がカタカナ言葉を多用することを揶揄するものではない。
そのほうが話し易いのではあれば、それはそれでいい。
しかし、
そんなカタカナ言葉を使うことに慣れていない一般人の典型である私達には、
理解できない言葉が時々入る。
そんな場合には、
必ず「すいません、今の○○○という言葉はどういう意味ですか。」と聞く。
すると相手は「ああすいません、△▼×□という意味で使いました。」と、
必ずていねいに教えてくれる。
そんな時相手は、決してこちらを馬鹿にしたような言い方はしない。
これで、コミュニケーションが不明部分なく続けられるのだから、
むしろ喜んで教えてくれる。
こちら側の人間も「ああ、なるほど」と納得している。
多分、そのカタカナ言葉はその業界の人しかあまり使わない言葉なので、
私を含め一般人であるこちら側の人たちも分からなかった人が多いのは当たり前だ。
この場合「聞くは一時の恥」であったろうか。
聞いて「恥」をかいたのであろうか。
聞いたことによって、相手は私をバカにしただろうか。
会議に出席している他の人は「そんな言葉も知らないのか」とバカにしただろうか。
バカにされて私は恥をかいたのだろうか。
そんなことは絶対に無い。
私はその会議を実のあるものにするために、
知らなかったそのカタカナ言葉を「知らないので聞いた。」だけであって、
知らないまま、分からないまま会議を進めるとお互いのためにならないから、
聞いたのであって、
お互いが求めている会議のテーマの結論をより良いものにしたい気持ちの結果であり、
お互いのためを思っているという証であると思う。
きっと相手もみんなもそう思ってくれるはずだ。
知らない言葉を
「知らないと思われるのが嫌」
あるいは「恥ずかしい」と思う“自分の都合”で、聞かなかったら、
「聞かず」そのまま会議を続けたら、
せっかくみんなが集まった会議が、
お互いに理解できない部分の溝が埋まらなくなってしまうかもしれない。
それはお互いにとって望むことではない。
知らないことを、知らないので「聞く」のは、
自分のためだけではなく、自分を含めた「みんなのため」に他ならない。
「聞く」はお互いのため、みんなのため。
みんなのためを思うがゆえの誠実とも言える。
「聞くは一時の恥」ではなく「聞くは誠実の証」なのだと思う。
「聞くが当然。」なのです。
では「聞かぬは一生の恥」は、どうだろうか。
会議の中で、
相手が喋った業界カタカナ言葉の意味が分からなかったが、
聞くと恥ずかしいし、かっこ悪いので、
聞かずに、そのうち話の流れで分かるかもしれないと思って、
そのまま話を聞いていったが、分からない部分は分からない部分のままであった。
たぶん、こちら側の私を含めた一般人であるみんなも、分からなかったかもしれない。
議論していても何か歯車が合わないのは、そのせいかもしれない。
そう思っても、いまさら聞くわけにも行かず、
その会議はモヤモヤが残ったまま、なんとなく終わってしまった。
相手も、自分が喋ったカタカナ言葉で「分からないかな?」と思った部分もあったが、
誰も「わからない」「知らない」と言わないので、
「まっいいか」とそのまま話してしまったが、
なかなか議論が噛み合わないところがあったので、
「ひょっとして私の言った○○○の意味が分からなかったのですか?」とも言えず、
困ったなと思うが、
結局そのまま議論が煮え切らないまま終わってしまった。
そしてそのカタカナ言葉を発した人は、
「分からないのなら、分からないと言ってくれればいいのに、・・会議が台無しだ」
と、聞かなかった私のことを、
自分が知らないことを知らないと言えない、
会議に集まったみんなのことを考えない不誠実な人と感じてしまうだろう。
「聞かぬは一生の恥」であり「不誠実の証、迷惑の元」なのでもある。
“違うたとえ”で言うと、
Aという会社が持っている「ノウハウ」について
AのスタッフWが、その取引先Zから聞かれた。
しかしWは会社Aのスタッフではあるが、
経験がなくそのノウハウについてあまり知らない。
しかし取引先Zは、Wが会社Aに所属しているスタッフなのだから、
当然、そのノウハウについて知っているだろうと思って、
そのノウハウに関わることを聞いたのだ。
そのスタッフAは、本当は知らないのだけれど、
取引先Zに、あなたなら当然知っているだろうという口調で聞かれてので、
「知りません」「分かりません」と言えず、
あたかも知っているかのように、
そのノウハウの部分について、自分の想像で話をしてしまった。
しかも、そのこと自体が恥ずかしいこととは知っているので、
会社Aのそのノウハウに詳しい人間Nにも相談していない。
取引先は、その会社AのスタッフWが、
その会社Aのノウハウについて、話をしたのだから、
当然、そのWが喋った話が、その会社Aが持っているノウハウだと信じてしまう。
取引先Zは、そのWの話に基づいて、大きな投資をして店を造ろうと計画した。
しかし会社Aのノウハウについてよく知っているスタッフNが、
たまたま取引先Zの計画を知って、
その計画の中に大きな間違いがいくつかあることに気がついて、
「このまま造ってしまうとダメだと思いますよ。
私達が持っている経験とノウハウでは、ここはこう変えるべきだと思います。」と
取引先Zに伝えた。
すると取引先Zは怒って言った。
「なに言ってんだ。あんたの会社のスタッフが言ったとおりに計画して、
ここまで進めてきたんだ。もう変更は出来ない。どうすればいいんだ。」
こんな事はそんなにある事ではないが、あり得る事でもある。
「知らないこと」を、
「恥ずかしい」「情けない」などという自分の都合で、
知っているかのように、適当に話してしまったばかりに、
取引先には損害を負わせ、
自分の会社には「信用を失う」という大きな損害を与えた。
「知らないこと」を知らないこととして「聞けば」良かったのに
「聞くが当然、聞かぬは不誠実と信用失墜の源、迷惑の元」
12月、雪の東北・青森で、
キーパー選手権の東北・北海道ブロック、
上位10位まで6店舗、
20位までにキーパープロショップ登録の全店舗である8店舗を
「冬だから、ぜひ、コーティングを」で、入賞させた
青森県弘前市の「株式会社弘善商会さん」に、その健闘の証を「聞きに行く」。
青森は半端ではない雪だった。