2012年01月29日(日曜日)
2963.私の個人としての意見ですが、
ワイドショーや政治討論会などで
評論家や学者が、
現政権、政策について批判を強めている。
彼らはいつも、新しい政権や首相が生まれた当初はこぞって期待を言うが、
具体的な政策が実施され出すと揃って批判を浴びせ、
「政治が悪い」
「首相は無能だ。このままでとんでもないことになる」の集中砲火を浴びせる。
その言い口は批判というより誹謗中傷、悪口にさえ聞こえる。
それがオバちゃんたちが井戸端会議で人の悪口を楽しむのと似ているのは、
その時間にテレビを見ている視聴者がその類の人たちが多いからなのか。
始末が悪いのは、
司会者、キャスターまでが、
一般視聴者の代表のように「政治が悪いから私達庶民が苦しむ。」と
自分たちまでが被害者であるかのように、一般庶民を煽り立てることだ。
テレビは視聴率が命。
視聴者に受ける、つまり視聴率を高めるに有効な
被害者意識が強く悪口好きな層に受ける評論家、学者を揃えるから、
ああなるのだろうか。
新しい首相が生まれてほんの数ヵ月後には、
テレビという最も刺激的であり、最も影響力を持つメディアが、
新聞、雑誌などあらゆるメディアと共に
評論家、学者さん達の言葉で批判の集中砲火を浴びせ、袋叩きにする。
ここ十年くらい、こんな決まったパターンが続き、
新任の首相たちは支持率を短い月日しか維持できず、
それを理由に1年程度しか持たなかった首相が何人続いただろうか。
これは国際的に見ても極めて稀なケースであって、
実に恥ずかしい構造が日本にあるのではないだろうか。
少なくとも日本の首相は、
日本の国民一人一人が間接的であれ選んだ代表である。
その代表をマスコミが評論家や学者、反対勢力、ワイドショー司会者などの口で
こぞって、集中砲火を浴びせ、
「政治のせいで、みんなが不幸になる。損をさせられる。」と国民の被害意識を煽って、
袋叩きにして引きずり下ろすのは恥ずかしいことだ。
日本は、非常に優れた面をいっぱい持った国であり、
多くは人のことを思いやることが出来る紳士的な国民である。
宿命的貧民層をほとんど持たない豊かな国であり、
日本ほど平等な成功機会が存在する国は少ないだろう。
少なくとも恥ずべき国でもなければ、国民性でもない。
なのに、国の最高責任者が毎年変わるような今の状況はあまりにも異常だと思う。
「みんな被害者だ」と扇動するやり方は、
昔から、多くの民衆の支持を受けるための手法であった。
第二次大戦前のドイツにおいてナチスの
「我々高貴なゲルマン民族が、けがれたユダヤ民族のせいで、貧しくさせられている。」
あるいは、戦前の日本においては、
「我々神の子達である大和民族が、鬼畜米英に犯される。」
と、共通して
「我々は、被害者だ。」と民衆を煽っている。
「我々は被害者だ。」という扇動は、
人間の理性を失わせるだけの恐ろしいほどの威力を持っているようだ。
「我々は被害者だ。」と煽るのは、
視聴率は稼げるかもしれないが、
雑誌や新聞は売れるかもしれないが、
日本全体の名誉と利益を大きく損ねる恥ずべき行為ではないだろうか。
国民が選んだ代表を取り囲んで追い込むような中傷袋叩きは、
国の名誉と利益を損ねる行為として、言論の良識として止めるべきだろう。
それを防止するために、
たとえば政治討論を行なう場合は、
政権側であり政治の実行役である与党側とそれを支持する評論家、学者と
対立する野党側と批判する評論家などの人数をいつも同じにすべきだと思う。
これはすごく大切なことだと思うのです。
少数の政府側の人間と、
複数の野党の人と批判を業としている種類の批判家大勢を、
アンバランスな数で討論させれば、
政府が国民の過半数の人に選ばれた代表ではなく、少数派であるように錯覚する。
討論であり、議論であるのだから、相対する人数の上で同じにすべきと思う。
これだけでずいぶん違うのではないだろうか。
またワイドショーなどでの司会者が自ら被害者的な発言をするのは、
大衆を不当に扇動する効果があるので、これは厳に自粛すべきだろうと思う。
われわれ日本国ほど、
自国の政治の指導者に愛着を持たない国、
自らの代表だという認識と、
名誉ある存在と感じていない国は無いのでないだろうか。
外国で、その国の大統領や首相を馬鹿にしたような言葉を発したら、
「君が馬鹿にした大統領(首相)は、我々が選んだ大統領だ。
外国人の君が、我々の大統領を馬鹿にするのは、我々を馬鹿にしたことと同じだ。」と、
猛反発されるだろう。
私はそういうことを言ったことがないので分からないが、
アメリカでも、韓国でも、ドイツでも、どこの国でも
自分の国の“首長”を馬鹿にされて黙っている人はいないと思う。
いっそのこと、
日本の首相は、直接選挙で決めたらどうだろうか。
しかし、その場合は首相ではなく大統領と呼ぶべきなのかもしれないが。
日本は三権分権として、
司法、行政、立法と完全に独立しているはずだ。
司法、
つまり裁判所の最高権威である最高裁判所判事を、
国民は罷免?(選任?)という直接選択の道がある。
立法は、議会での多数決によってその役割が成されていくので、
その議決に参加する議員を、国民が直接選挙で選択できる。
しかし行政は、立法に参加する議員の数で過半数を制する政党が選んだ長が
首相として選任されるので、国民は間接的にしか選択できない。
だから、「我々が選んだ首長」という意識が薄く、
今のような状況を助長しているのではないだろうか。
それに、立法のために選出した議員の数で行政の最高責任者を選出するので、
立法と行政の分権が実質的になされていない。
都府県の知事、市の市長、町の町長、村の村長のように、
行政の長は、国民の選挙で選んでこそ行政の独立性が果たされるのではないか。
そして任期中の退任は、国民全体での罷免選挙でしか出来ないこととする。
もう一つ、政党に所属して選出された議員は、
その政党を離れた時点で議員の職も自動的に辞職するべきにしたらどうだろうか。
党内のゴタゴタで国家の首長が退任しなければならないような今の状況は、
国としての信用と、名誉と利益を失うことであり、
その地域において政党の代表として選出された議員は、
政党を変わったり、離党して新しい政党を造ることは、国民に対する約束違反だから
議員そのものを辞めるべきだろうと思う。
ブログで決して書くまいと決めてきた政治のことを書きたくなったのは、
去年9月2日に首相になったばかりの
外国から見れば日本の代表である野田首相を、
わずか4ヶ月でまたぞろ袋叩きにし始め、引きずり降ろさんとする
迎合的かつ扇動的な批判ばかりのマスコミの姿勢に強い危険を感じたから。
特に一定のワイドショーの司会者が
いつも被害的言動を発するのには本当に危険を感じる。