2011年08月16日(火曜日)
2848.不便に気が付き、考えたこと
当たり前にいる人がいなくなると
その人がいないと不便な事だらけになることに気がつく。
あって当たり前のことは、
あることの便利さや、ありがたさを忘れがちになるが、
一時的にしても、ちょっとしたことでも、
それがなくなると、そのありがたさ、便利さを思い知るものだ。
現代の私達の生活はあまりにも便利に出来すぎている。
その便利さのおかげでどれだけ快適かつ安楽な生活をしているのか、つい忘れがちだ。
たとえば、世の中からPCや携帯がなくなったら、
どれだけ不便だろうか。
しかし、ほんの十五年位前までPCも携帯も一般的ではなかった。
十五年前、
それで誰も不便だとも何とも思わなかった。
誰も携帯電話があったらいいなとも、欲しいとも思っていなかった。
あったらいいなとか、欲しいとか、
欲求もニーズまったく誰も持っていなかったのに、
市場に供給され、与えられたら、
みんな、なくてはならないものと感じるようになったことは、
考えようによってはすごいことだと思う。
五十年ほど前、
自動車は一般庶民とは縁のないものであり、
庶民の足は、人の足が基本であり、あるいはせいぜい自転車であり、
ちょっとした遠出はバスか電車か、うんと長距離は汽車であった。
しかし、それで誰も不便とは思わなかったし、
自分だけのための自動車があったらいいなとも、欲しいとも思っていなかった。
しかし、それでも、それが庶民の手が届くような値段で供給され始めると、
誰もが欲しいと思い、そしてそれを手に入れると手放せなくなった。
有名な小林製薬のキャッチフレーズに「あったらいいな」というコピーがあるが、
人間生活の文化にまでなるようなヒット商品とは、
多くの人が『あったらいいな』と思ってから造られるものではなく、
それまでは、
誰も『あったらいいな』とも思っていなかったのに、
その商品を造って、それを市場に出したら
みんながそれを欲しいと思うようになる、そんな商品なのではないだろうか。
今、私はちょっとした不便を感じていて、ふと、そんなことを考えついた。