2011年07月12日(火曜日)
2824.あくまでも1/2の確率としての三年間
このところ、
苦しい出来事が社員の中で立て続けに起きている。
肉親との悲しい別れ、苦しい別れ、病魔との闘い、
社員とはいえ他人の自分には何も出来ない歯がゆさをひしひしと感じる。
それでも、店舗には多くのお客様が来られ、
また、たくさんの事案が否応なく進み、
事の進行を滞らせることは絶対に許されない。
この仕事に携わる従業員さんが
200人を越してくると、
誰もがすべてにおいて、
いつもハッピーと言うわけには行かないのは当然だ。
待ったなしで事はいつも進むものなのだから、
たくさんの事を頭の中に無理やりねじ込んで、強い意思を進めるべきなのだろう。
今日出来ることを今日やっているだけでは、
残された少ない時間で、
自らがやり遂げたいところまでを完遂はできない。
時間はただの一秒も止まってくれないのだから。
自らがやり遂げたいところを三年後に設定してみた。
何の根拠も無いが、とりあえず、
思いつくままに三年を設定してみた。
その三年の時間が私に保証されているわけではないが、
確率的には一瞬一瞬が
どこまでも1/2の確率なのだから、
三年という時間も1/2の確率で間違いなく有る。それで十分だ。
三年間をどう使うのか。
三年後に私がいない事を前提に
一枚の紙に書き始めたら、
あまりにも多くの、せねばならない事に比べて、
時間があまりにも少ないことに呆然とする。
オーバーに言えば、人生があまりにも一瞬の出来事であると、痛みを感じた。