2011年06月09日(木曜日)
2803.私は「夢は持っていないよ」と言った。
(この話は昨日6月8日に書いたものです。)
きのう広島から飛行機で東京に飛んで、
午前中、65歳の若さで亡くなったある会社の社長の「お別れの会」に出た。
お葬式は数え切れないほど参列したが、お別れの会は初めてであった。
一流ホテルのホールに、
遺影が真っ白な花に囲まれて飾ってあり、
大勢の参列者が順番に白い菊の花を献花する。
献花会場の出口にはご遺族が並んで立ち、参列の皆様とのご挨拶をして、
大ホールには参列者に食事が立食パーティーの形で振舞われ、
参列者は故人の生前の思い出を語り合い、故人のご人徳をしのぶ。
私は初めてこのような会に参列し、
宗教的な儀式としてのお葬式とは違った意味での感動を得た。
「私もこんな会で送ってくれたらいいなぁ」と。
午後からはキーパーラボの店長会議に途中から出席。
この会議では「聴き」に徹していようと思っていたのだが、
やっぱり、いつものようにみんなの話に割って入って、またしゃべった。
そして、夜は、
せっかくラボのみんなが集まっているのだからと思い、
久しぶりだからとも思い、
あるいは新東京本部に初の女性スタッフが入社して、
その歓迎会もしなくてはと思い、また「飲んだ」。
十人も出席者がいればいいかなと思っていたのだが、
結局、途中から営業スタッフも合流して総勢25名の毎度の大騒ぎの飲み会となった。
午前中にお別れの会に出てしんみりしたのに、
その日の夜は大勢で飲み会とは不謹慎とは思うが、
それはそれとして、みんなで飲んだ。
こういう会は、やっぱり大好きで、
私はこれのために仕事をしているのかな。と思うくらい大好きだ。
そして今日は、
キーパーラボ運営本部の関東地域担当責任者「竹内大輔副部長」と、
関東のキーパーラボ直営店全8店舗を巡回した。
その時のこと、車で移動中に竹内君が不意に私に聞いた。
「社長の夢は何ですか?」
私はこう答えた。
「夢は持っていないよ。べつに夢はない。」
こう答えた私に、
竹内君は、
「えっ、社長は夢を持っていないんですか?」
つづけて竹内君は
「私には夢があります。仲間がもっとたくさんに増えて、
みんながやりがいを持って仕事が出来て、それが世の中のためになればいい。
そういう夢を持っています。」
「それはきっと、君の『志(こころざし)』だよ。
『夢』って、子供の頃なら『僕はパイロットになりたい』とか、
『私は看護婦さんになりたい』とか、
大人になったら『いつか独立して会社を持ちたい。』とか、
『幸せな家庭を持ちたい』とか、
『自分がどうなりたい』というのが『夢』なんじゃないだろうか。
だとしたら、私は今が最高であって、十分に幸せだと思っている。
だから『夢は持っていない』と言ったんだ。
だけど、
『夢』と言う言葉は、もっと広い意味を持っていて、
『志』と言ったことまで『夢』に含まれるなら、
私はずっと君と同じ夢を持っていると言えるかもしれないね。」
狭い意味で「夢」とは
自分が幸せになることだとすれば、
私はもう十分幸せであり、
自分の幸せを望むことが「夢」だとするならば、
私はこれ以上の「夢」を持っていないと言うことになる。
だとした上で
私自身が一番幸せを感じている時は、
変な話だが「みんなと飲んでいる時」だと思う。
みんなが楽しくしている時に、自分もその中にいて、騒いでいる時が、
たぶん私は、一番幸せだと感じているのだと思う。
何でそう思うのか、理由は無いが、そう感じていることはたしかだ。
だとするならば、私の夢は「みんなと飲んでいたい。」になるのか。
なんか情けない品の無い話とも思うが、
自分の過ごして来た時間を思い返して、
何が一番楽しかった、幸せと感じたかと思い返すと
「みんなで飲んで騒いでいたときが一番楽しかったかなぁ」と行き着いてしまうのだ。
そう思うと私の一生は、
ただの「のんだくれの一生」いうことになるのかな?
まっ、それも、いいかっ。