2010年12月10日(金曜日)
2675.「開」「閉」のボタンのあるエレベーター
メラビアン?の法則とか何とかいう法則があって、
人は会った瞬間の第一印象で、
その人に対するイメージ、あるいは評価のほぼ80%?までが決まる。
というようなことを「接客研修」で習った。
(名前も数字も確かではないが)
しかし私は今まで何百人、ひょっとしたら千人を越える人を面接してきて、
多くの人を採用してきたが、第一印象とほぼ同じ人はむしろ少なく、
実際に仕事を一緒に始めると
「アーこういう人だったんだ、この人は。意外だったなぁ。」と思うことが多い。
これは私自身の観察力が足りないせいなのかもしれないし、
あるいは面接という特別な状況の中で、
先方が緊張しているせいもあるのかもしれない。
しかし、会った瞬間に自分と同じ波長を感じる人がいて、
そういう人の場合は、その後も会った時の印象がそのまま変わらない場合が多い。
多分自分の感性に似た人は理解しやすくて、
逆に自分の感性とは似ていない人のことは理解しにくいからなのかもしれない。
いずれにしても、
その人の人生を左右してしまうかもしれない大切な面接を、
自分が持っている固有の感性で大きく左右される第一印象で判断することは良くない。
第一印象で相手のイメージと評価を80%まで決めてしまうのは間違いで、
そうならないように自身を戒めるべきだと思っている。
その上で、昨日も今日もとてもいい出会いがあったように思う。
昼、本社のエレベーターに乗った時、
思い出したことがある。
日本のエレベーターにも、中国や韓国のエレベーターにも、
必ず「開」「閉」のボタンがある。
エレベーターに乗った時、扉を長く開けていたい時は「開」のボタンを押し続け、
早く扉を閉めたい時は「閉」のボタンを押してとっとと閉める。
だから「開」「閉」のボタンがついているのは当然だと思っていたが、
ドイツのエレベーターにはこのボタンが無い。
ドイツでは、エレベーターの扉の開閉は自動に任せて、
長く開けていたい時は、
扉に手を当てて開けていればいい、
たとえ急いでいても、
せっかちに「閉」ボタンまで押して閉める必要などない。
あわてて「閉」ボタンを押して、
後から乗ってくる人に気づかずに挟んでしまったら危険。
人に扉を閉める自由まで与える必要などない、機械に任せたほうがいい。
ということらしい。
合理的といえば合理的な考え方だ。
私の感覚からすると「開」「閉」ボタンが無いのはやはり物足りない。
後から乗ってくる人がいても、強引に扉を閉めてしまう非常識な人もいるが、
多くの人は常識を持っている人なので、そんな人の「閉」の自由まで奪うことはない。
と、私の価値観ではそう思う。
私と畠中君がレースに出ている「ゴルフGTIカップシリーズ」では、
「ゴルフⅤ(ファイブ)」と「ゴルフⅥ(シックス)」が混走しているが、
私は「ゴルフⅤ」に乗っている。
ゴルフⅤにもゴルフⅥにも「横滑り防止装置(ESP)」が付いているが、
これはESCボタンによって任意に解除することが出来る。
しかし、ゴルフⅥ(シックス)にはESPに加えて、
ESPとは違う制御方法で、
さらに強力に横滑りせずカーブをきちんと曲がれるにように
「XDS」という制御装置が、タイヤが滑りそうになると勝手にブレーキをかける。
この装置は、人間の任意で解除することは出来ない。
レースでは、サーキットでコーナーを曲がる時、
わざと後ろのタイヤを滑らせて車の向きを強制的に変えたり、
高速コーナーでは130kmぐらいのスピードで、
微妙にタイヤが滑りだす寸前の不安定な状態で走っていることがある。
後輪のタイヤは「滑ってしまう」のではなくドライバーの意志で「滑らせている」ので、
この勝手にブレーキをかけてくる装置XDSがものすごく邪魔なのだ。
しかしゴルフⅥ(シックス)のほうが馬力を少し上げてあるので、
XDSが介入して来ない程度にコントロールしながら走ればゴルフⅥの方が速い。
私はこれがいやで、多少遅くとも
ゴルフⅤ(ファイブ)で気持ちよくタイヤを滑らせながらレースを闘う方を選んだ。
ドイツ車はどんどん人間を信用しない方向で安全に進化しているようだ。
車を自分の思ったよう自由に操って運転したい者には、
これは進化ではなく、車として「退化」しているとしか思えない。
しかし考えてみれば、車とはあらゆる人が乗る道具なので、
誰が乗っても、車が勝手に(自動的に)滑らないように制御することは
車が「安全」になっていくための正常な進化なのであろう。
しかし私は「つまらない」と思う。
まるで「開」「閉」ボタンの付いていないエレベーターのようだ。
しかし、これは私の価値観、感性の方がおかしいのだろう。とは思う。
同じ物事についてでも、
その人の見方や、持っている価値観、感性によって、
その物事についての見方や、良し悪し、好き嫌い、正否が、まるで正反対になる。
それを自覚していないと、ただの自分勝手になることもあるだろう。
自省しなければならない。
今朝、空気が透き通っていたのか、
はるか遠く離れている「御嶽山」が、はっきりと見えた。
大昔の名古屋からは、こんな御嶽山が天気さえよければ見えたのだろうか。
うらやましい。