2010年09月28日(火曜日)
2620.幸せになる方法、兼高かおるの場合
「兼高かおる」とは、
私の年代ならば必ず知っている人で、
「兼高かおる、世界の旅」という三十年以上続いたテレビの超長寿番組の主人公だ。
世界中を旅して、日本に世界の国の生の姿を紹介し、
戦後の日本国民が持っていた世界観を一変させた貢献者である。
私は何年か前に世界一周をやったことがある。
日本⇒ロス⇒ニューヨーク⇒アムステルダム⇒ミュンヘン⇒日本
周った国は三カ国だけなので世界一周というよりも
地球一周と言ったほうががいいかもしれない。
正味、仕事一色の地球一周。
しかし結果的には、ほとんど仕事の成果はなかったので、
観光旅行ではなかったが、体験旅行のようなものであった。
約一週間かけての旅は、半端ではない疲労であった。
それでもジェット機が当たり前になっている現代で、
私達はのんびりと一週間もかけて、飛行機にも40時間ほど乗っただけだった。
「兼高かおる、世界の旅」の初期のころはまだプロペラ機しかない時代で、
兼高かおるは「73時間9分35秒」という
プロペラ機による世界早回りの記録を持っているのだそうだ。
生半可な体力と気力ではない。
しかしそれは単なる一つのエピソードであって、
「兼高かおる、世界の旅」は、
世界中の国の、あらゆる街を訪問し、
カメラ以外の仕事を兼高かおるが一人でこなしたとあった。
それが過酷な仕事であったことは容易に想像できる。
いや、想像を絶するほどの過酷ぶりであったのかもしれない。
町の人と本音で話し、その地の生の生活を取材して日本の人たちに紹介した。
日本国中のほとんどすべての人がまったく知らなかった本当の世界を紹介して、
世界中に住んでいる人間達が、
私達日本に住んでいる人間と同じ人間であることを、私達に教えてくれた
これはものすごく大きな意味を持っていて、
第二次世界大戦の時、大本営が言っていた「鬼畜米英」のような非人間は
世界中のどこにもおらず、
世界のどの国に行っても、
そこにいるのは「同じ人間」であることを教えてくれたのだ。
この事こそが、世界に平和をもたらすべき事実の根底なのだから、
彼女が日本の国民にもたらした貢献は計り知れないものがある。
また「ケネディ大統領」に会い、民間人として初めてインタビューをするなど
世界中の要人と会って、親善大使のような役割を果たし、
世界に日本人を知ってもらう貢献も果たした。
その兼高かおるが今81歳になって、本を出版していた。
その中に
「人生。最初の三分の一は、あとで世の中の役に立つようなことを学び、
次の三分の一は、世のため、人のために尽くす。
残りの三分の一は、自分の好きなように使う。
きっちり三分の一ずつとは行かないまでも、
私は人生をこのような三分割で考えています。
このうちどれが欠けても、この世に送り込まれた理由、価値がないと」
兼高かおるは31歳の時に「世界の旅」をはじめ、62歳で番組は終わった。
それから81歳になる現在まで世界の旅の資料をまとめ続けているとあった。
私はこの人を幸せな人だと思った。
人生の最初の三分の一は、次の三分の一のための準備であり、
人生の中核である次の三分の一で、世のため人のために尽くした。
それは壮絶な時間の連続で、
スリリングであり、エキサイティングな時間であったろう。
肉体的に精神的につらい時間でもあり、休みは無く、自分のための遊びはなかった。
しかし、つらい時間の間には、それをふっ飛ばすくらいの充実感と達成感があって、
総体からすれば中身の充実した楽しい時間であったはずだ。
仕事はすさまじいくらいの忍耐と気力を要したはずだが、
つかの間の休みは「無」の充実があったはずだし、
人が喜び感謝してくれる仕事は、自分のためだけの遊びよりうんと楽しかったはずだ。
つらいことの連続であったはずだが、
人の何十倍も何百倍も楽しかった時間であったはずだ。
自分に与えられた使命を果たした満足感も、人の何十倍も得たはずだ。
彼女が62歳で「兼高かおる、世界の旅」が番組として終わったのは、
いろいろな理由があっただろうが、
先の彼女の言葉にあったように「最期の三分の一は自分のための時間」かもしれない。
人のため、世のために尽くしきった三分の一の後の自分のための三分の一は、
人の何十倍もの体験を資料としてまとめる楽しみであり、
それまでに得た膨大な人たちとの縁に囲まれ、
多くの人達からの感謝の気持ちと愛情に囲まれて、これ以上の幸せはないだろう。
81歳になってなお、世界の人との交流は続き、
その交流がまた、人のため、世のためになっていることは当然だ。
幸せとはこういうことなのではないだろうか。
人生の三分の一でしっかり人のため、世のために働ける能力を身につけ、
働けるうちは自分のすべての能力、気力、体力を発揮して働ききる。
仕事とは、自分以外の人のためになることをするから
自分以外の人から報酬を得ることであって、
仕事自体が、本質的に、人のため、世のためになることではずであって、
人のため、世のために働くこととは、
あらゆる仕事において、それが実現されていることになる。
人のため、世のために働くこととは、
必ずしも慈善的なことではなく、ほぼすべての仕事そのものの本質である。
「兼高かおる」の場合は、非常に高い能力を持ち、人並みはずれた旺盛な好奇心と、
強固な意志と、強い使命感を持っていて、
なによりも強い「運」に恵まれ、それをつかみ取る勇気を持っていたので
それが非常に高い次元で実現したということであって、
それは何も特別なことでも、特殊なことでもないと思う。
私達のような凡人でも、
いつも謙虚に学ぶ姿勢を持ち、
いつでも自分を否定できる柔軟性を持てば、
自分の持っている力に見合った学習が出来、
自分が得られる最大に近い能力を得ることが出来るだろう。
そして自分の人生の中核となる三分の一は、その能力を十分に発揮して、
思う存分、仕事をすればいい。
ほぼすべての仕事は本質的に人のため、世のためになるのだから。
精一杯働くことだ。
それが自分に合った仕事なのかなどと、
どうでもいいことをグチュグチュといつまでも考えるのは、
それは自分のためだけでしかない。
自分のためだけになることとはそれは遊びであって仕事ではない。
遊んで報酬を得られることなどあり得ない。
自分の今ある仕事とは、縁があってその仕事があるのだから、
そして、それは人のため、世のためになっているから報酬が得られているのだから、
縁あった仕事を精一杯すればいいと思う。
精一杯仕事することによって、
結果として人のため、家族のため、
仲間のため、会社のため、世のためになるはずだ。
その結果、たくさんの人に喜ばれ、愛され、
たくさんの人から感謝され、たくさんの人から必要とされ、
世の中から必要とされるのではないか。
それはひょっとしたら、ものすごく幸せなことではないだろうか。
仕事を精一杯することが、
私には、幸せがやってくるもっとも簡単な方法だと思える。
人生の三分の一は、全速力で仕事をしたい。
思いっきり仕事をしたい。
最後の三分の一は、そこに至ってから考えればいいと思っている。
中核である仕事の三分の一の結果が、自動的にどんな三分の一になるか決まるだろう。
それでいいのではないか。