谷 好通コラム

2010年05月24日(月曜日)

2509.予選2分20秒なのに決勝2分12秒3

話は一昨日、金曜日、練習日にまでさかのぼる。
お天気は晴れて、涼しい空気が肌に気持ちいい日であった。

 

練習は午前と午後に30分ずつの2本。
午前中の1本は予定通り私がゴルフ6(シックス)、畠中君がゴルフ5(ファイブ)。
COXのいわく、ここ岡山のコースでは
ゴルフ6はゴルフ5よりも0.8秒速くなっているはずだという。

 

富士スピードウェーでのテストでは1.5秒速かったそうだ。
富士に比べて岡山はストレートがそれほど長くないので0.8秒なのだろうだ。

 

とにかくコースに出る。

 

ゴルフ6は安定している。
スピードを出してコーナーに突っ込んでも車全体が不安定にならず、
でも、速いという実感は無い。
それよりも、比較的きついコーナーに3速で入っても、
DSG(ツインクラッチのギヤ)が、勝手に2速まで落ちるのには閉口した。
(原因はあとで分かったが簡単であった。)

 

それでも3周目ぐらいに1分58秒台が出て、
このままアップしていけば57秒、56秒台には入れるかもしれないと思ったのに、
周回を重ねてもペースはまったく上がらない。
かえって落ちていく。
へんだなぁと思って走っていたら、「P(ピットに入れ)」のサインが出た。

 

COXの吉永さんがピットで待ち構えていて、
「ブレーキがパッパと介入するのが分かる?」と聞かれるが、
私にはそれがなんだか分からなかった。
と同時に、ブレーキから派手な煙が上がるが、
レース走行をすればそうなることをスーパー耐久の場面でよく見ていたので、
大して気にならなかった。

 

そのままピットアウトしコースに戻るが、
タイムはさっぱり上がらないどころか下がる一方だ。
2分を大きくオーバーすることがたびたびで、
ベストは最初のころの1分58秒台、ちょっと焦った。
それと同時に、
畠中君はゴルフ5で、56秒台をコンスタントに出している。
ストレートではゴルフ5よりゴルフ6の方が明らかに速い。
これは私も実感した。
速いはずのゴルフ6に乗って、5の畠中君より2秒も遅いのでは話にならない。

 

練習タイムが終わり、ピットに戻ってから
畠中君に№25ゴルフ6を譲ることをあっさりと決め、
私は№26ゴルフ5に乗ることにした。

 

午後からの練習2本目。
私は№26ゴルフ5、畠中君が№25ゴルフ6。

 

コースに出てびっくりした。
ゴルフ6に乗っていた時はあんなに安定していたのに、
午後から乗ったゴルフ5は、まるで軽快であり、
コーナーでちょっと無茶をしてやると、じゃじゃ馬のように暴れまわる。
それをコントロールするのが実に楽しい。
コーナーを回るたびに後ろタイヤを微妙に滑らせ楽しい。
こりゃ、いいタイムが出たかなと思ったら、
何のことはないやっぱり1分38秒台。

 

一方畠中君は、№25ゴルフ6に乗り換えてもやっぱり1分36秒台。
いったいどうなっているのか。

 

よく分からないままその日の練習を終えた。

 

終わってから、いろんな人に意見を聞かせてもらって、
たくさんの事が分かった。
ここでそれを全部書いていくとたくさんの話になるのでやめるが、
要は、新しいゴルフ6は、元々が安全志向の強い車になっていて、
ESP(横滑り防止装置)をスイッチでカットしても、
コーナーで内側のタイヤが空転したりして左右のタイヤの回転数に差が出ると、
左右別々にブレーキが自動的に働いて、
タイヤの回転数を合わせようとする
XDSという装置のプログラムが働いてしまうのだそうだ。

 

だから、ゴルフ5に乗っていた時のように、
コーナーで後タイヤを少し滑らせ、
車体をスライドさせながらのコーナーリングをすると、
ブレーキがパッパと自動的に(勝手に)働いて、車を安定させようとするのだ。
つまり、クルマが微妙に減速し、
加速に入っても、まだブレーキがパッパと効いて、鈍い加速になってしまう。
だから、妙に安定した車であり、ストレートが速いのに全然タイムが上がらない。

 

ゴルフ6は、決して滑らせてはいけないクルマなのだ。
滑らせるとしたらコーナー手前でえいやっと車の向きを変えてしまい、
XDSが介入する前にクルマの滑りをやめてしまって、
コーナーの中ではしっかりとグリップ走行に徹する。
もう一つ、
決して縁石には乗らないこと。
凸凹の縁石に乗ると、左右のタイヤの回転差が出来てしまい、
自動的(勝手に)ブレーキが介入してくるのだそうだ。
一本目の練習の途中でビットインした時、ブレーキから煙が出たのは、
あちらこちらで自動的に(勝手に)ブレーキを使っていて、
ブレーキの温度が上がりすぎていたからなのだろう。

 

ゴルフ6は、ずいぶんややこしい車になっていた。

 

後タイヤを滑らせても自動的にブレーキが介入しないじゃじゃ馬ゴルフ5の方がいい。
パワーが大きいのでうまく乗ればタイムが上がるはずのゴルフ6は
私にはまだ無理だ。

 

明日の予選と決勝には、私は喜んでゴルフ5に乗ることにした。

 

 

 

翌朝、つまり昨日の日曜日。
決勝当日。

 

朝起きたら外では雨がしっかりと降っていた。
降雨確率100%と言っていた天気予報そのままである。

 

予選は朝9時半からである。
雨はしっかり降っていてコースのあちらこちらで水溜りが出来、
コースを横切る「川」がうっすらと出来ている。
雨のサーキットは久しぶりである。

 

予選は15分間。
フロントガラスに撥水コートを塗り、
内側には曇り止めを塗って、コースインする。
新品タイヤに加えて路面がしっかり濡れているので、
最初の2周は、タイヤの温度を上げることと、
コースの水溜りの位置を確認することに集中する。

 

タイムアタックは3周目から。
それでも徐々にスピードアップして行かないと、
下手にスピンしたら決勝前に車を壊してしまう事になる。
慎重にスピードアップ。
路面の水は多く、
ブレーキはあまり効きそうになく、
ハンドルを切れば滑り、
アクセルを開くと荷重がフロントから抜けるのでハイドロプレーニングになるのか、
激しく横滑りする。

 

それでもだいたい感覚がつかめてきて4周目には真剣にタイムアタック。
と、不意に前のフロントウィンドガラスの内側が曇った。
あっという間に前が見えなくなったので、あわててフロンドデフォッガーを入れた。
曇りを取るにはそれしか方法は無いのだ。
この周回のタイムアタックは失敗。

 

約半周、曇りが取れるのを待って、次の周にもっと真剣にタイムアタックする。
もう予選のための時間はほとんどないはずだ。
もちろんフロントデフォッガーのスイッチは切った。

 

タイムは2分20秒。
雨の日のタイムは、こんなタイムで良かったのかなと思いながらも、
ストレートの途中で、またウィンドが曇ってきた。
もう一度フロントデフォッガーを入れて、でもすぐに切って、再びタイムアタック。
それでやっと2分19秒台。

 

その時、コントロールタワーでチェッカーが振られているのに気が付いた。
するとベストは2分19秒台かと思いながらコースを戻りながら、
周りにクルマが一台もいないことに違和感を覚えた。
「ひょっとしたら一周回りすぎたかな?」
そう思ったが、仕方が無い。

 

案の定、ピットの裏に行く通路で係員が待っていて、
「聞きたい事があるので、コントロールタワーの三階に来てください。」と言う。
「やっちまったな。。」

 

ピットに車を戻してから、コントロールタワーに行くと、
「ダブルチェッカーです。(一周回りすぎ)」と宣告される。
しかし、雨が降って見通しが悪くウィンドが曇っていたということで、
口頭注意と指導で済ましてくれた。ラッキーである。

 

ほっとしてピットに戻ると、
今度は本当のショックが待っていた。
本当のチェッカーを受けた周回のタイム2分20秒は、
9台中の「ビリ」であることがタイム表で分かったのだ。
「え~~~俺っドベなの、」
しばらく、ショックで口も利きたくなかった。
「やっぱり、去年でやめとけばよかったのかな。予選でドベなんて・・」

 

しかし、
しばらくして気が付いたのは、
フロントデフォッガーのスイッチを切っても、
自動的にエアコンがAUTOになって、
エアコン自体は切れていなかったことだ。
つまり私は、
エアコンを回しながら間抜けな予選のタイムアタックをしたのだった。
エアコンONでどれくらいのタイムロスになるのか分からないが、
そりゃドベになるのは当たり前である。

 

正式予選タイムははエアコンON走行で2分20秒。

 

 

本当に間抜けである。
こうなったら、決勝では一番後ろからのスタートだが、
「絶対に、前の車を何台でも抜いてやる。絶対に抜くぞ。」
と強く思った。

 

体がぶるぶると震えた。

 

畠中君はなんとポールポジション。
ゴルフ6での最高タイムを叩き出していた。
2分12秒2。
正確に言うと、ゴルフ5の勅使河原選手が2分11秒を出していたが、
レースの規定によって、ゴルフ6が前のグループとなってスタートし、
ゴルフ5はすべて後のグループになってスタートすることになっている。
だから、実質的に畠中君、一番前、ポールポジションとなった。

 

 

決勝まで2時間余。
畠中君と、この雨の中の走り方について色々と話したが、
結論はABSを信じる。こと。
詳しくはここでは書けないが、これは名案であった。

 

決勝までの時間、応援に来てくれた人たちがいっぱいピットを訪ねてくれ、
みんなと冗談を言いながら話をした。
それでも、
時折、緊張と興奮が走って体が何度も震えた。
こんなに緊張して「絶対抜く」と思いつめたのは初めてのことだ。

 

スタート前に曇り止めの「クリンビュー」を一本まるまる使って、
ガラスの内側をベタベタにした。
フロントデフォッガーは絶対に使ってはいけないのだ、

 

 

決勝は、セーフティーカー(SC)先導のフォーメーションラップに加えて、
タイヤを暖めるため、もう一周余分にSCが先導するスタートになった。

 

9台の隊列でコースを2周回る間、
「絶対に抜く。1周目の1コーナーが最初の勝負だ。絶対に抜くぞ。」
そんなことばかりを考える。

 

2周目、セーフティーカーがピットロードに入り、
先頭、ポールの畠中君が一挙に加速する。
「最初から全開で行きます。」と言っていた通りだ。
私も前を行く車にピタッと着けながらアクセル全開状態。
しかしストレート奥のコントロールラインを越えるまで前の車を抜いてはいけない。
コントロールラインは雨の日ならもうブレーキを踏まなければならない地点だ。
ライン手前で前の車が先にブレーキを踏んだので、
私も前の車を追い抜かない程度にブレーキを踏むが、
コントロールラインを過ぎた瞬間、すっとブレーキを戻して一挙に前に出る。
水煙で、前はほぼ見えない。
横の景色をちらっと見て、
それからフルブレーキである。
止まれるかな?と、一瞬不安がよぎったが、
雨の日には禁物であるはずのドッカンブレーキ一発でABSが効き、
見事に1コーナー手前で減速して、
スムーズにハンドルも入った。
1コーナーから2コーナーに抜け、一台を抜くことが出来た。

 

これで一台だ。

 

次のターゲットは20mくらい前にいる。
それでも、エアコンの入っていない車はよく加速してくれ、
一周回る間にほとんど直後に着けることが出来た。

 

ストレートに入って真後ろに着き、
前の車との距離が2~3mくらいに縮むまで迫って、
ストレートの中間過ぎ地点で、すっと横に出る。
スリップストリームから抜けた私の車は、
瞬く間に前の車に並ぶ。
ストレートから1コーナーへのブレーキング我慢くらべでは、私は負けない。
相変わらず水煙で前は見えないが、
コース脇にあるコーナーまでの距離標識を目安に、フルブレーキング。
今度こそ突っ込みすぎて減速し切れないかと思ったが、
ゴルフのABSはたいしたものである。
難なく1コーナーを抜けることが出来た。もちろん、2台目は後ろにいる。
これで2台抜いた。

 

このスタート直後の区間タイムは私がトップであったと場内アナウンスが言ったそうだ。
ビリからスタートした私がトップタイムとは、
みんなも驚いたそうだが、私も後から聞いて驚いた。

 

二周目に入ってすぐに2台を抜き、
次のターゲットは80mくらい先を行くゴルフ6の一台。
その前にはゴルフ5予選トップの勅使河原さんの車も見える。
こうなったら、何でも抜こうと思って前の車を追い、徐々に距離を縮めた。
それから5周くらい回ったところで30mくらいにまで近づいたが、
そこから前のゴルフ6のスピードが上がってきたのか、なかなか近づかない。

 

後で知ったのだが、前のゴルフ6に乗る萩原選手は、練習日当日にドイツから帰国して
羽田から飛び夕方の一本練習しただけで、
予選、決勝に臨んだのだそうだ。
だから決勝の走行中にタイムが上がってきて、
ベストタイムは9周目であったそうだ。

 

あと1,2周で10周のレースが終わり、チェッカーが振られるころ、
ここで私は前の車を抜くのをあきらめた。

 

前を走る畠中君はどうしたのだろう。
後ろからはその姿はまったく見えない。

 

チェッカーが振られたのは、それからすぐであった。
私はゴルフ5のクラスで2位。
前を行く畠中君はスタート直後からトップを走り、最後まで譲ることなく、
トップでゴールを果たした。

 

レース中の私のベストタイムは、2分12秒3。
予選タイム2分20秒から8秒ものタイムアップは、
予選のエアコンON走行のせいである。

 

ゴルフ5クラストップの勅使河原選手のベストが2分12秒0。
0.3秒遅かったが、ほぼ対等に走れたと思う。

 

レーストップの畠中君のベストタイムは2分11秒0。
私はまたもや畠中君に1秒3だけ遅かった。
いつもこうだ。

 

 

でも・・・・
とても面白かった。

 

 

優勝した畠中君の№25ゴルフⅥ。

 

 

初めて私と畠中君は別々に表彰式に出た。
今までのGTIカップレースでは、
私は彼と組んだ耐久レースでしか入賞していない。
だから、今回が初めての別々に一緒の表彰式なのである。

 

 

岡山からの帰り。
夜、新名神から東名阪に抜ける亀山ジャンクションを通り過ぎてすぐ、
道路に土と小石が散らばっていて危ないなと思ったら、
次の日、その部分が土砂崩れになって、
私たちが通過直後に全面通行止めになった事を知った。

 

私たちは、この日、ラッキーのカタマリであったのかもしれない。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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