2009年10月08日(木曜日)
2324.古典「ラーメンと洗車」第一編
七、八年位前までの話だが、
全国のあちらこちらに行った時に
「まずいラーメン屋・うまいラーメン屋」という話をした。
最近はこの話をまったくしなくなったので、
自分自身忘れてしまっていたが、ある機会があってこの話を思い出した。
古典(古いだけという意味)として
今一度思い出しながら書いてみたい。
[その1.まずいラーメン屋]
ある町にラーメン屋が出来た。
若い店主はラーメン屋に勤めていた人だが、
特に修行を積んだわけでもなく、
うまいラーメンを造れるわけではない。
自分で食べても「まぁ、普通だな。」でも「こんなもんで十分さ。」と本人は思っている。
ラーメン屋に勤めていた頃から彼は思っていた。
「ラーメンなんて大した違いはない。
普通の材料で、普通に作れば「ラーメン」だ。
そんな事より“宣伝”の方が大事で、
いかに演出して、いかにお客を集めるか。
そのほうがビジネスとしてはるかに大事であって、
お客を集めれば行列が出来るし、行列を見れば誰だって、うまいと思うだろう。
そんなもんさ、ラーメン屋なんて。」
そんな彼がラーメン屋を造った。
借金をし、大金持ちを夢見て作った店だ。
まず看板。それも何百万円もかけて大看板を作る。
「究極のスープ。極上の麺。日本一うまい!▽▲▼ラーメン」
一流のデザイナーに頼んで、
いかにも美味しいラーメンと思わせる最高の看板である。
新聞折込みチラシにも「日本一うまい▽▲▼ラーメン」とうまさを強調した。
さすが宣伝の効果があって、集客に成功。
すぐにこの店は「行列の出来るラーメン屋」になった。
特に大看板の「究極のスープ。極上の麺。日本一うまい!▼▽▲ラーメン」は効いた様だ。
しかし▼▽▲ラーメンに押しかけたお客さん様子は、少し違った。
元々、ラーメン造りにたいした腕を持っているわけでもなく、
仕事が速いわけでもなく、
ラーメンは硬すぎたり軟らかすぎたり、
スープは濃かったり薄かったり、
具が雑に切ってあったり、
チャーシューも肉屋で買ってきたそのまま。
また、お客さばきに慣れているわけでもないので、
ラーメンを造る順番を間違えたり、メニューを間違えたり、
言葉遣いが乱暴だったり、
それより、なによりもラーメンが美味くない。まずい。
お客さんはがっかりした様子だ。
当然、行列も出来ているのでずいぶん待たされてから、やっと食べたラーメン。
看板どおりなら待った甲斐があるはずと期待して食べたラーメンだ。
それが、まずい。
「ずいぶん待たされて、こんなまずいラーメン食って、損した。何が日本一だ、」
お客さんはみんなそんな顔をしている。
しかし、てんやわんやの店主はまったく気がつかない。
人はだまされた事、損した事は、悪口として人に言いたくなる。
誇大な宣伝と看板を見て行列を作り、
まずいラーメンを食べてがっかりした大量のお客さんは、
大量の「あの▼▽▲ラーメンは、やめたほうがいい。ひどい店だ。」と悪い口コミとなった。
実際に食べて、騙されたと思ったお客さんが話す事なので、
その話には信憑性があり、▼▽▲ラーメンの悪い評判はあっという間に広がった。
ラーメン屋は地域に根ざした商売である。
一度食べてひどい目に会ったお客さんは二度とその▼▽▲ラーメンに行かない。
悪い評判を聞いた地元の人も、もちろん行かない。
ものの一ヶ月もしないうちに行列もなくなり、
看板を見てひっかかってくる客さんがまばらに入ってくるだけで、
店には閑古鳥が鳴くようになった。
客が減った▽▲▼ラーメンは、
あせって、続けて何回も新聞折込みチラシを打つが、
その店はまずいラーメンを出す店である事を知らない人だけが、
一瞬の行列を作るが、
それもすぐに途切れる。客が来ない。
暇な日が続き、いかにも流行っていないラーメン屋に成り下がった。
そうすると、「日本一」の看板もしらじらしく、
通りがかりのお客もひっかかってこない。
暇になればなるほど、その暇な様子が逆宣伝になるのだ。
宣伝広告費もかなり使い、借りたお金も底をついてきた。
支払いが滞るようになって、倒産までは時間の問題。
店を閉めたのは、開店後一年足らずの後であった。
まずいラーメン屋の主人には、大きな借金と後悔が残っただけだった。
それでも、自分の店がなぜつぶれたのか、まったく理解出来ずじまいであった。
[その2.うまいラーメン屋]
ある町に地味だが仕事熱心な若者がラーメン屋に勤めていた。
彼は口下手だが、うまいラーメンを造ることに関しては絶対に妥協しない。
そんな彼に、師匠が
「お前もそろそろ一人前の腕になった。暖簾(のれん)分けしてやるから独立しなさい。」
うまいラーメンを造ることしか能がない若者は、
自分の造るラーメンに少しは自信を持ってきた頃だったので、
「自分の店を持って、自分のラーメンをたくさんの人に食べてもらいたい。」
と、師匠の勧めをありがたく受けて、独立する事になった。
店は地味である。
看板もたいしたものではない。
自分が造っているラーメンには自信があるが、
自分はまだまだ未熟であって、もっとうまいラーメンを造れるように
これからも、もっと腕を上げなくてはと思っていたので、
自分の店を、とても「ラーメンがうまい店」とは書けなかった。
その店のラーメンは間違いなくうまかった。
たまたま入った少ないお客さんは
「うまい、この店は憶えて置いて、また来よう。」と思った。
それから、そのお客さんは何度となくそのラーメン屋に行き、
そのたびに「うまい」と思った。
店は目立たないし、看板もないし、宣伝をしているわけではないので、
新しく入ってくるお客さんは少ない。
それでも「うまい、また来よう。」と思う人が多かったので、
徐々に常連客が増え、少しずつお客さんが増えてきた。
人は損をさせられた店の悪口も言うが、
思わぬところで「美味い」という得をした自慢話も大好きだ。
人の言う「ウマイ話」は危ないが、「美味い話」はみんな大好き。
この手の口コミも広まるのは早い。
その内、テレビのグルメ番組から取材の申し込みもあって話題になり、
行列の出来る店になった。
ここまでになるのに何年かかったか。
開店して初めの頃はお客様も少なくて、自信を失くしそうだったが、
「うまいラーメン」を造ることしか考えなかった若者は、
自分のこのラーメンでお客さんが呼べなかったら、自分が悪いのだから仕方ない。
と、気を取り直して、うまいラーメン造りに集中したのだった。
だから繁盛店になるまで時間はかかった。
しかしうまいラーメンは評判で、
長時間を待ってでも食べたいお客さんで、長い行列が絶えなかった。
若い店主はそんな行列を作っているお客さんに
「本当に申し訳ない。」と思いながらも、
だからこそ「うまいラーメンを食べていただかなかったら、もっと申し訳ない。」と、
どんなに忙しくても手を抜かず、急がず、
一人一つのお客さんに残らず丹精をこめて、
うまいラーメンを食べていただく事だけを考えた。
十年経ってもそのラーメン屋は繁盛を続け、変わらなかった。
変わったのは、店で一緒に働いていた若い衆が、何人か腕を上げ、
うまいラーメンを造ることの大切さを学んで、暖簾分けを受け、
新しい店が何軒か出来て、
十年前よりももっとたくさんの人が、
うまいラーメンを食べられるようになっていた事。
二つのラーメン屋。
あなたなら、どちらのラーメン屋に食べに行きますか?
「日本一うまい!」と書いてあるが、うまいとは思えないラーメンを出す店。
何とも書いてないが、食べた人が「うまい。」と言っているラーメン屋。
簡単ですね。
私たちは、うまいラーメンを食べたいですからね。
つづきはまた明日。
今日は東京トレセンでキーパーPROSHOP研修会。(日付が変わってしまったので昨日)
ギッシリ満席のプロショップの皆さんは熱心であった。
びっくりするくらい熱心であった。
大きな台風が近づいているので、
研修が終わって早々に新幹線に乗り帰る。
今日もまた駅弁である。
研修会が始まって、最近は駅弁が私の主食になりつつある。
東京駅での駅弁は「深川めし」が定番。
何の派手さもないが、これがうまい。
もう15年も前から、東京で弁当を買う二回に一回はこの「深川めし」を買っている。
おいしい穴子焼きとハゼの佃煮、
生姜の香りがするアサリの薄い佃煮がごはんに乗り、
すごく美味しいべったら漬けと、
小ナスのカラシ漬け。
一番好きな甘辛く煮たアゲの刻み。
豪華でもなければ、どぎつい主張もないし、それほど有名でもない。
15年前から850円。しかし、あきないのだ。
うまそうでしょう。
本当にうまいんですよ。
いつか、何かのテレビ番組で、
この「深川めし」が日本で一番売れている駅弁だと言っていた。
「へぇ~~~~」と思ったのと同時に、
「たしかに、そうだろうな~」とも思った。