2009年07月21日(火曜日)
2263.機会はいつか必ず消えてしまうもの
今、与えられている機会が
いつまでもあると思えるのは錯覚で、
今、当たり前のようにある機会も、いつかは必ず消える。
私は、大切な機会を失ってしまった。
三十数年前の昔、私が社会に出て働き始めた頃、
大変大きな恩をもらったオバサンがいて、
このオバサンのおかげで、今、色々な意味でみんながいるのかもしれない。
その人が関東の府中に引っ越して、
住んでいる場所は、
毎年お正月に送られてくる年賀状で分かっているので、
一度ゆっくりとお会いして、心からお礼を言わなくてはいけないと思い続けていた。
何かのついでがあれば行こう、
いつか、いつかと、毎年の年賀状を見る時だけそう思うが、
また、忘れてしまい、
ずっと行かずじまいで今に至った。
そのオバサンの訃報が昼過ぎに突然入った。
急いで新幹線に乗って東京に向かった。
沖縄出身のオバサンとは、血のつながりはなく、
最初の縁は私の友達のお母さんであるだけであったが、
私の困った時期の肝心な時に、
私を何度か助けてくれた。
自分を犠牲にして助けてくれたこともあった。
お礼を言うだけでは、とても返せるような恩ではないが、
必ず一度は、会ってお礼を言うべきであったのに、
それをせずして、先にオバサンが逝ってしまったのは私の不覚以外の何物でもない。
月に三度か四度、必ず東京に行く今の私の生活からすれば、
ほんのちょっとだけ時間を作って、
あるいはもう一泊だけしてオバサンを訪ねれば良かったのに。
そうすればどんなに喜んでくれたら知れないのに。
いつかいつかで先送りが重なって、
とうとう、その機会を失ってしまった。
情けない。
我ながら情けない。
やれる機会があっても、
いつでもやれるからと言って「いつかやる」は、
「やらない」のと同じ意味だ。
そんな事を仕事でいつも言っている自分が、大切な機会を無くしてしまった。
消えてしまわない機会はないのだ。
機会喪失はビジネスの上での話ではない。
私たちの人生そのものの上でのことなのだ。
お通夜に出て、92歳で亡くなったオバサンの遺影は、
近くから見るとやはり年齢を感じさせたが、
お通夜の席の後列から見ると、三十数年前の面影そのままであった。
私を叱り、励ましてくれ、助けてくれた、あのオバサンそのままであった。