2009年05月10日(日曜日)
2203.もっと強い動機が必要だ、93.5kg→92.0kg
今日はゴールデンウィークの最終日。
毎年、ゴールデンウィークの終盤は拍子抜けするほど来店客が少なく、
今年も大した期待を持っていたわけではないが、
中盤に雨が続いたため、昨日、今日の土日はほのかな期待を持っていた。
午前中、まず鳴海店に行ったら、平日にちょっとブラスぐらいだと言う。
知多半島道路に入る料金所でびっくり、
料金所の手前から渋滞が始まっているではないか。
本線の流れが滞っていて、料金所の手前まで車が溢れている。
35年以上も知多半島道路を使っているが、
こんなに込んでいるのは初めて見た。
土日は一般の高速道路が
ETCでどこまで行っても1,000円になっていて、渋滞がひどくて大変だ。
割引の無い「知多半島道路」ならそれほど込んでいないと思ったのか、
もう連休も最後なので、数十キロしかない知多半島ぐらいの近場で済まそうと思ったのか。
普段5分しかかからない大高→大府が、20分近くかかった。
で、結局、今日は鳴海店に行っただけで、
快洗隊巡りはやめてしまった。
膝の痛みが一向に良くならず、これは持久戦と覚悟はしたが、
鳴海店でほんの少し立っていただけでかなり負担を感じ、これは自重すべきと思った。
車を運転するのもあまり楽ではなく、
加えて、道路が込んでいてこれはイカンな。と思ったのだ。
それよりも体重を減らす努力をすべきだ。
93.5kgから92.0kg、
測定誤差、腹が減っているかどうか、
トイレに行く前か後かの差でしかないが、
わずか一週間だが、とりあえず一日2,000kcal.に節制している。
問題は酒を飲んだ時に、節制のスイッチがパチンと音を立てて切れ、
自動的に食欲の開放スイッチが入ることだ。
ここだけ何とかすれば、みるみるうちに体重は減少するはずだ。
なんちゃって
それが出来ればとうにやっているわけで、出来ないから今の惨状がある。
何かをやろうとするには、動機が必要である。
その動機が、「やれっ!と、言われたから」という「命令に対する服従」では非常に弱い。
「やった」としても、それは「仕方なくやる」ことが多く、
「やらなくてもいい・やれない理由」があれば、まず「やらない」
その動機が、
「やらないと困るから」とか「やらないとひどい目に会う」の「必要性」でも、
やらないと困ったり、ひどい目に会う強さの程度と、
「やりたくない。」「やるのがしんどい。」の強さの度合いで、
「やりたくない。」と度合いが、
「やらないとひどい目に会う。」の度合いりも大きければ「やらない。」
「タバコをやめないと肺ガンにかかる確率が高い」程度の必要性ならば、
禁煙の動機になりにくいが、
「このままタバコを吸い続けると、死ぬよ。」と言われれば、
十分に禁煙の動機になるが。
動機が、「やらなくてはいけない。」「やるべきだ。」という使命感でも、
使命感で自分を動かすだけの意志の強さ、
あるいは価値観を持っている人ならば、「やろう。」となるが、
使命感だけで自分を動かせる人は、あまり多くはない。
しかしそれを啓発する事はできる。それを啓発された人、出来た人は幸せになれる。
もっとも強力な動機は、「やりたい。」である。
「やりたくない」要因が少々交じっていようと、
「やりたい」が強ければ「やる。」だろうし、
「やれない理由」も、「やりたい」が強ければ「克服すべきこと」でしかなく、
「やらない」理由にはならない。
「やりたい。」のだ。
ただし、
動機が「命令に対する服従」であっても、
その人が「服従」にプラスの価値観を持っていれば、
「服従したい。」となって、「やりたい」の強い動機になる。
加えて、
「使命感」も、その使命を果たすことに強い価値観を持っていたり、
目標に達する喜びを知っている人は、
「使命・目標」を果たしたい。「やりたい。」という強い動機になる。
そして、それを啓発する事はできる。それを啓発された人は幸せになれる。
問題は、その人が何を「やりたい。」のか、ということになる。
たとえば、
「家族と平和で幸せに暮らしたい。」から、
いやな仕事でも我慢してやるのか。
そんな事は当たり前のことのように思えるが、
私は、それでは本当にいい仕事は出来ないと思う。
働くお父さんが我慢してお金を稼いでも、
お父さんは我慢しているのだから幸せではないだろうから、
家族の中心でもある一人が幸せではないのなら、家族が幸せだとは言えない。
一人の犠牲者の上に成り立った幸せでは、
家族全体が幸せとは言えないのではないか。
働くお父さんも、その仕事に「やり甲斐」を持って、「使命感」を持って、
その仕事を「やりたい。」と思ってやれば、
きっとその仕事も質が高いものになるだろう。
「やりたい。」と使命感と目標を持ってやる仕事はきっと質の高い仕事であるから、
きっとその報酬も高いものになって、より家族を幸せに出来るのかもしれない。
会社というものは、
その存在と仕事に社会的な使命を持っていなければ、絶対に成長できない。
会社が社会的な使命を持っていなければ、
そこで働く人の仕事に社会的な意義、使命、目標が発生する事も難しい。
会社が成長できなければ、そこで働く人の報酬が増える事もない。
逆に、
会社が、社会的な存在意義と持ち、社会的な使命を持った仕事を進めていれば、
社会がその会社を必要とするので発展する可能性が高い。
そこで働く人も使命感と目標を持って「やりたい」という強い動機が啓発されれば、
質の高い仕事が効率よくなされるので、
仕事が生み出す付加価値>それを生み出す費用となり、
付加価値(粗利益)>経費=黒字経営が実現され、会社は成長する。
この事によって、
「家族みんなの幸せ」「みんなの幸せ」が実現される。
とするならば、会社が目指すべきものは
社員の「家族みんなの幸せ」が目的であるとも言い換えられる。
決して、
経営者の私利私欲や物欲を満たすための会社では実現できないことだから。
私の「体重を減らさなければ」の動機が、
「膝が痛いから仕方なく」では、成功する確率は低いだろう。
私はもっと仕事をする必要があり、
その仕事に強い使命感を持っているから
「体重を減らさなくてはならない。」と自分を啓発しなければならないのだろうが、
はたして「食欲」を越えられるだろうか。
「体重を減らしたい。」「やりたい。」というもっと強い動機を持つとしたら何だろう。
「食べたい」「飲みたい」の動機を超えなくてはならない。
が、私の「食べたい。」「飲みたい。」の動機は半端な強さではないので、
今の私のデブがある。悩ましいところだ。(^^♪
先日、「気持ち悪い」のブーイングが思ったより出なかった「擬態する毛虫」が、
「成虫」になった。
これがまた見事な「枯葉に擬態する蛾」であったのだ。
うっとり、ホレボレする。