谷 好通コラム

2008年08月30日(土曜日)

2005.悪は甘く心地良いぞ。

映画「スターウォーズ」を見たのはもう20年位前になるのか。
よく憶えていないが、強く記憶に残っているシーンと台詞がある。
若き主人公に、悪の権化に下った主人公の父親が言う台詞。
「息子よ、悪の世界に身をゆだねないか。悪の世界は甘く心地いいぞ。」

 

悪の世界とは何か。
「自分の満足、幸せ、利益のために、他人に不幸と損を与えること」
こう集約できるのではないか。
怨恨の殺人は、
「自分の恨みを晴らすという満足のために、相手の存在を抹殺すること。」
金目当ての殺人は、
「金という自分の利益の為に、他人の幸福も夢も生活もすべてを含めて抹殺すること。」
結婚詐欺は
「自分の利益と性的満足の為に、相手に心の傷という不幸と損を与える事。」
侵略戦争は、
「自国の利益や支配欲を満足させる為に、他国の利益と主権を奪おうとするもの。」
収賄、贈賄は、
「自分の利益の為に、国民や会社などに損害を与える事。」
行列の割り込みは、
「自分の待ち時間という損を減らす為に、他人の待ち時間を延ばし、損を与える事。」
飲酒運転の事故は、
「酒を飲む満足と車に乗らない不便という損を減らす為に、他人に損と不幸を与える事。」

 

侵略戦争と行列の割り込みを同列に書き並べるのは極端かもしれないが、
根っこの構造はまったく一緒だろう。
このような悪の構造には、
「自分が得る利益の大きさに比べて、他人に与える不幸と損が大きい事。」
という共通の方程式がある。
つまり「奪う」ということである。

 

対して、正当な事、あるいは善と言われていることはどうかと言うと、
お年寄りに席を譲るとは、
「自分が座っている楽ちんという利益を、立っている苦痛が大きいお年寄りに与える事。」
お客様に喜んでもらうこととは、
「自分の体と技術と神経を使って、お客様に満足や喜びという得を与える事。」
信号を守ることとは、
「自分が信号を守って時間をロスしても、相手が先に行くという得を与える事。」
犯罪を捕らえる事
「他人に損や不幸を与える人の行動を制し、世間に不幸を与えないという得を与える事。」
などなど、
悪に比べて正当なことは当たり前なのであまりにも多く、
返ってたくさん出てこないが、共通して言えることは、
正当なことでは「等価の原理」で、
相手に与えた分だけしか自分に戻ってこない。
あるいは「席を譲る」など慈善的な行為では
相手に与えた分、自分は損をすることもある。
しかし、その人は感謝をもらうというかけがえのない得をした。

 

しかし、もっと大切なことに
正当な事を行っても、相手が「奪う人」つまり悪の人であった場合、
与えても奪われるだけで「等価の原理」が壊れ、自分が「損」をすることがある事だ。

 

「正当なこと(あるいは善)」と「悪」とどちらが得なのだろうか。

 

「悪」は、相手の痛みとか不幸、損を気にしなければ、
相手が被る「損」よりも自分の「益」は少ないが、少なくとも自分は得をする。
相手に与える不幸や傷みよりも、「満足度」は少ないが、少なくとも自分は得をする。
いずれにしても、自分は得をする。
「息子よ、悪の世界に身をゆだねないか。悪の世界は甘く心地いいぞ。」
となるわけだ。

 

対して正しいこと、当たり前のこと、あるいは善は、
自分が相手に与えるものと、自分が得るものが基本的に等価であり、
与える相手が「奪う人」つまり悪の人であった場合は、
相手に与えただけで、自分には何も返って来ず、むしろ奪われた心の傷だけが残る。
つまり損をする場合も大いにある。

 

「善人ぶったって、自分が損をするだけ。」
「相手に与える事なんて損をするだけで、何の得にもなりゃしない。」
「取れるものは取るだけ取って、あとはほっとくのが一番得さ。」
ということになるか。

 

しかし、相手からしたらどうだろうか。
自分から奪うだけ奪っていった人と、これからも関係を持つだろうか。
自分を騙した店から、今後も物を買うだろうか。
自分の心を傷付けた人と関わりを持ち続けようとするだろうか。
少なくとも、出来るだけ奪う人とは関わりを持ちたくないだろう。

 

「奪う人」は、奪った分だけは得をするが、
奪われた人からの信用はなくなり、
その人とだけでなくその周りの人からも縁がなくなって、世間が狭くなる。
あるいは、訴えられて、
その人は世間から隔離されることになる。(刑務所行きだ)
あるいは、騙した店からはお客様がいなくなって、そんな店は潰れる。

 

奪うとは、奪った時だけ、奪った分だけは得をするが、
奪ったあとは世間が狭くなり、奪って分以上に大きな損失を受ける。

 

対して、正当なこと、当たり前のこと、あるいは善は、
奪う人との関わりさえ避ければ、
与えた分だけの等価で利益とか感謝とかの見返りがあり、
与えたものが、与えられた人にとっては与えた人以上の価値を感じるならば、
等価の見返りは、与えた人の期待以上の大きさであることもある。
もちろん相手との関係は続く。
関係が続くので、そんな縁がどんどん増え、
世間が広くなり、たくさんの縁の中で得るものは増え続ける。

 

与えるとは、与えたものの価値の分しか見返りがないし、
奪う人に会えば間違いなく損をするが、
大方の場合、与えたものの価値だけの見返りはある。
そして、その縁は続き、縁がふくらみ、多くなって、大きな得をする。

 

「息子よ、悪の世界に身をゆだねないか。悪の世界は甘く心地いいぞ。」は、
長続きはしないのである。

 

悪とは、
「自分の満足、幸せ、利益のために、他人に不幸と損を与えること」
とするならば、それは殺人とか詐欺とか、そんなハッキリとした事だけではなく、
自分勝手であったり、ルールを破ったり、
相手の気持ちを考えず一人よがりに怒鳴ったり、
そんなちょっとしたことまで、みんな同類項であって、
根っこの部分は変わらず、
長く大きな目で見れば、大きな損をすることになる。

 

子供の手を引いて平気で信号無視をするお母さんは、
ほんのちょっとの時間を得する代わりに
子供に大きな損をさせることを教えていることと同じになる。

 

しかし、
偉そうにものが分かったような事を書き綴ってきた当の私は、
凡人中の凡人なので、
目先の得を追って、大きな損をするなどしょっちゅうである。
特に、怒鳴ったりするのは、怒鳴った時は理不尽なるも発散にはなるが、
怒鳴られた人の心に傷を負わせたことに気が着いても、
そのミゾを埋めることは難しく、あとで深い後悔になることがある。

 

私も、常識人としての脳みそでは分かっていても、
けち臭い自分がちゃんとあって、
悪「自分の満足、幸せ、利益のために、他人に不幸と損を与えること」
に、自らすすんで溺れることもある。
知らずの内に、私は
「息子よ、悪の世界に身をゆだねないか。悪の世界は甘く心地いいぞ。」
を、言っていないだろうか。振り返らなくてはならない。

 

 

今日は朝から東京に出かけ、
今は名古屋に帰る新幹線の中。
朝、新幹線の中から富士山がかろうじて見えた。

 

 

板橋店の工事が進み、
鉄骨が建てあがっていた。
図面から想像していたよりも遥かにでかい鉄骨だ。
また、でかく造り過ぎたのかもしれない。
やっぱり1/200の図面は魔物である。
設計する時は、やっぱり1/100でなければイカンなー。

 

 

板橋店から松戸店に移動する時、
遠くに積乱雲が見えた。
「あの雲の下では激しい雨が降っているんだろうな。」
と話していたら、自分達の車が雨の中に入ってしまった。

 

 

松戸店でたくさんの話をして、
(写真を撮り忘れた)
板橋店の開店までのスケジュールを検討の上決めた。

 

そのあと五香店に行った時はこの日が暮れる。
日が短くなったことを実感するこのごろである。

 

 

五香店は意外にもお客様が何台も入っていて、
(天気が不安定だったので)
ダイヤモンドキーパーまで施工されていた。
長い雨が続いて、お客様の「すっきりしたい」の欲求が溜まっているようである。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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