谷 好通コラム

2008年08月17日(日曜日)

1996.そんな些細なことを・・

私にとっての北京オリンピックは、
開会式の時点でちょっとしらけてしまった。
次から次へと演じられる千人規模のマスゲームは、
その一糸乱れぬ完璧さゆえに、中国は共産主義の国家なのだということを
改めて思い出され、国家スタジアム、国家水泳センターなどの設備の名前にも、
それを強く感じさせられた。
また競技においての中国選手に対する熱狂的な応援と、
相手に対するブーイングは、
世界の人口の5分の1を占める中国人民の
民族的同一意識が強烈であり、怖く感じたのは私だけだろうか。

 

また、開会式で演出された巨大な足跡の花火が、
国家スタジアムの上で花火以外は、CGで作られたテレビ映像のトリックであったこと、
小さな子供が歌っていたのは「口パク」であったこと、
数十の少数民族の衣装を着ていた子供のほとんどが漢民族であったこと、
そんなことが、テレビのモーニングショーなどで「嘘」「トリック」であったと、
面白おかしく取り上げられていた。
しかし、開会式はショーなので、すべて演出の塊であり、
すべての映像は、本来、虚空の連続、バーチャルなのであって、
それを如何に本物に見せるかが今の演出となるのだから、
これらのことはその延長線上にあるのであって、
ある意味、当たり前のことだとは思う。
しかし恐ろしいのは、中国の町の人にそのことをインタビューすると、
「そんな些細なことを言う方がおかしい。」と口を揃えて答えていた場面だ。
彼らもあれが本物であったと思っていただろうに、
そうではなかったことを知っても、
自分たちの国家がやったことを平然と当たり前だと弁護してしまうことだ。
そう言わなくてはならないかのように。
とすると、中国ではプロパガンダが当たり前のように受け入れられている事になる。

 

今日、女子マラソンの映像を見ていて思った。
沿道の応援の人たちがほとんどの場所で何十メートルも離れたところから見ていたこと。
また数メートルの近さに見物客がいた場面もあったが、
あれは、明らかに選ばれた人たちであったのであろう。
人間の数が桁違いに多い中国において、それも中国選手が優勝候補にいて、
マラソンが花形競技であることを考えると、
間近に見える場所にあんなに少ない見物客であるはずがない。
あれは多分、見物客ではない。
選ばれた安全な応援する”係”の人たちなのではないか。

 

「そうではないこと」を「そうであるように見せる。」
「そうであること」を「そうではないように見せる。」
政治的なプロパガンダが中国においては日常として存在し、
それを、民衆が当たり前のように受け入れているとしたら、
あるいは、受け入れざるを得ない何かがあるとしたら、それは怖いと感じる。

 

たとえば「安全でないもの」を「安全である。」と言い切る姿勢を、
国家のエゴが、民族のエゴとして民衆に受け入れられる体質があるではないかと
かんぐったりもして、
北京オリンピック以後、
必ず経済的に大きなターニングポイントが来ると言われ続けていることと、
軍事費が驚異的に増えている現実がどこかで結びついた時、
何かとんでもないことが起きなければいいがと、余計な懸念をしてしまった。

 

 

快洗隊は今日もまた忙しかった。
午後から寄った鳴海店では
ダイヤモンドキーパーが二台とクリスタルが一台あり、
ブースにそのうちの二台がブースの中に仕上がっていた。
フィールドには次から次へとお客様の来店があり、
誰も手を動かしていない人はいない。

 

 

数日前から「ドライブスルー」が故障したままだ。
これをどうするか、決断しなければならない日は近いのかもしれない。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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