2008年08月16日(土曜日)
1994.働くお父さんの背中を見る
(書いているうちに日付が変わってしまった。
文中の「今日」とは15日のことです。)
警察官という職業は、いろいろな意味で過酷な職業だと思う。
東京駅や名古屋駅など主要な駅には必ず警察官のお立ち台があって、
そこで警備のための装備を身に着けて
じっと立っている警察官の姿を見る妻の気持ちを思うと
胸にぐっと来るものがある。あれは本当に大変だ。
この間は永田町の首相官邸の近くを通りがかった時、
やはり重装備で真夏の炎天下にじっと警備で立っている警察官を見て、
あれでよく熱射病にかからないものだと感心したりした。
いや、多分かなりの人が倒れているはずだが、公表されないだけだろう。
また、サミットの真っ最中、うっかり札幌に行ってしまった時、
全国から来た警察官が街中に隙間なく立っている光景を見て、
「何もないことが一番いい事であって、その為に立っている。」のは解っていても、
何もないのに、じっと何日も知らない町の街角で立ち続けることに、
どんな精神力を持てば、自らのモチベーションを維持できるのか不思議に思った。
生活のためか?
ならばもっといい働き口はあるだろう。
彼らは公務員なので生活は安定しているはずだが、
その労働条件は他のお役人さんとは雲泥の差のようで、
休みは有って無いようなものであり、
勤務・休日のローテーションが決まっていても、
いざ事件でも発生すれば、
何日も家に帰れないことは当たり前で、家族はじっと官舎で待つしかない。
それに対して代休があるわけでもないし、
残業だって有って無いようなもの。
つまり、残業は当たり前のように有って、残業手当は無いようなもの、のようだ。
しかも、勤務地は二年ごとに必ず変わり、
家族もそれに着いて行く。
そして住む官舎は、本人たちの意思とはまったく関係なく指定され、
上の子供がまだ小さくて、次の子供が生まれたすぐにでも、
エレベーターのない四階建ての四階に住まなければならないこともある。
世間の会社でそんなことをやったら、黙っている奥さんはいないだろう。
しかも引越しは官舎の住人の共同作業で、
何から何まで業者がやってくれる今時の引越し業者は使わない。
私の会社でもあり得ない事だ。
かといって、やっと自分の家を建てて、
ご主人は新しい勤務地が遠ければ単身赴任、
多少の遠さならば自宅からの通勤も辞さないと決心しても、
突然、僻地の駐在勤務を命じられ、“家族もろともの駐在所暮らし”を命じられ、
せっかく建てた自宅は新築のまま、即、留守の家になる。
転勤が当たり前の大会社の総合職でも、こんなことは絶対にないだろう。
客観的に見ると、これは反ESの典型のような仕業だ。
しかし、それでもそれを当然と割り切らなくてはならないようだ。
そういう職業なのだと。
それでもなおかつ、
彼らは「やりがいのある仕事です。」と言う。
同じ職業に着いている者同士の連帯感と、仲間意識、一体感もすごい。
家族だってそうだ。
看板の出ていない官舎で、ひっそりと亭主が帰って来るのを健気に待つのは、
どの家族も一緒で、家族同士の連帯感も出来るのだろう。
彼らのモチベーションは、義務感、使命感によるものなのか。
私には解らないが、彼らの強い意志は、
私などは持っていない種類の、何かを超越した強いものなのであろう。
私が昔、学生時代、学生運動をかじった頃、
警察官のことを「権力の手下」呼ばわりしたことがあったが、
そういうことではないようだ。
人間が作った、平和な生活のための、
みんなが幸せになるためという面を持っている「法律」を、
不完全な面があろうと、とりあえず、それを守る社会を支えるために
彼らはひとつの使命感を持って自らの職業として選び、家族を巻き込みながら、
全うしようとしているのかもしれない。
家族はそんなお父さんを尊敬し、支えているのかもしれない。
お父さんと遊ぶことが子供を良く育てるのではなく、
子供は、働くお父さんの背中を見て良く育つものだと思った。
ひょっとしたら、
この職業は家族の理解がないと勤められないので、
今後、幹部として育てたいと考えた人材にこそ、
こんな家族もろともの勤務があえて命じられるのかもしれない。
そんなことを考えた、富山での一日であった。
働くお父さんの背中を見る家族その一