2008年06月28日(土曜日)
1954.進むか止まるか迷う?
自分の考えを相手に伝えるためには、
あるいは、伝えるべきを伝えるためには、
あるいは、何かを交渉するためには、
相手に会うことから始まる。
相手に会うためには、
「何月何日、何時」「何処で」「誰と」会うかを約束することから始まる。
仕事言葉で言えば「アポイントメント」を取ること。
それなくしては何も始まらない。
しかし、アポイントさえ取れば、「会う」ことが決まったわけなので、
そのための準備をせざるを得ないし、
約束の時間に、約束の場所に行けばすべてが始まり、
否応なしに、伝えるべき事を伝えることになる。
その結果が満足いくものであるかどうかは別にしても、とにかく伝えることになる。
その人のスケジューリング能力もクソもない。
その時、自分が忙しいかどうかも関係ない。
暑いも寒いも、体調がいいも悪いも、雨も曇りも晴れも何も関係ない。
とにかく、「会う約束」をすれば、自動的にすべてが進むのだ。
これ以上簡単なことは何もない。
会う約束をすれば良いだけなのだ。たったそれだけなのだ。
それをしないでは、
大切なことを相手に伝えることも、
交渉することも、何も出来ない。
「会う約束」さえすれば、すべてが自動的に進むが、
「会う約束」もしなければ、何も進まない。まったく何も進まない。
たったそれだけのことだ。
進むべきは簡単なこと。
頑張って進めばいいのだ。
しかし、進もうとしない人と一緒に進むことは大変に困難なことで、
ふと消耗し、気が萎えることがある。
仕事をしていれば、失敗することもあるのは当たり前のことだ。
うまく行かないこともしょっちゅうだ。
しかし、そのことで会社に与える損失が発生したとしても、
その失敗をした人が、あるいはうまく行かなかった人が、
なぜ失敗したのか、
あるいは、なぜうまく行かなかったのかを
学習さえしてくれれば、
その失敗も、うまく行かなかったことによる損失も、
それによって学習した人に対する先行投資として十分に意味が出てくる。
その人の経験と学習によって能力が上がり、
同じことが起きても、次は失敗せず、うまく行く可能性か高くなり、
会社の力量も高くなったことになって、事業が前に進んだということになる。
しかし、失敗したことや、うまく行かなかったことに対して、
自己弁護や正当化あるいは他の要因に責任転嫁をして、
学習しようとしないならば、
あるいは、自分が失敗したことや、
うまく行かせられなかったことに気付きもしないこともあるが、
そんな場合でも、
今度また同じ立場に立ったら、
多分同じ失敗をするであろうし、うまく行かない可能性が高い。
その人が学習しようとしないことによって、
その損失は、ただ単に損失の意味でしかなくなる。
もちろん事業も前に進んだことにはならず、
その損失によってむしろ後退したことになる。
学習すること自体は難しくない。
終わったことを客観的に見直して、
「失敗の原因はあの時の自分のあの判断だ。あの時こうすれば良かったな。」
と自省すればいいだけ。
行為そのものは非常に単純なものだが、
しかし自分を否定する力が足りないと、つい、自己防衛のスタンスで考え、
学習する機会を逸してしまう。
つまり、前に進もうとしないことになる。
事業を積極果敢に前に進めようとする時、
進もうとしない人と一緒に前に進むことは、大変に困難であり、
へたをすると進むべき時点にたどり着く前に消耗して、
引き返すことか出来なくなる恐れも考慮しなくてはならない必要もある。
前に進むべきか、止まるべきか。
経営者として避けては通れない選択をせねばならない時もある。
しかし、人に前に進もうという意欲を与えることも、
実は、経営者の仕事であり、
多くの人が前に進もうとしない事態があったとしたら、
それは、とりもなおさず経営者のトップの意志であり責任である。
その意味で、自らにその力があるのかどうか、それが、
前に進むべきなのか、止まるべきなのかを選択する最も大きな要素なのであろう。
つまり、なおも自分に進むべき力があるか、
自分の中になおも進むべき理由があるのか、そこが問われているに違いない。
自省すべきである。
しかしまあ、そんなことをグチグチ考えているのも、
そんなに長くは続かず、
またいつものように前に進むことばかり考えて、
進もうか止まろうかなんて考えたことすら忘れてしまうのが、
本当は前に進める経営者でもある。あるいは、バカな男でもある。
今夜は40年も前の仲間たちと一緒に飲んだ。
こんなややこしいことが全くなかったころの仲間たちだ。
みんな歳を取って定年後の話でも盛り上がる。
ふと、自分もそんな歳になっていることに気が着かされ面白かった。