2008年02月03日(日曜日)
1838.魂の震えに共振するわが心
雪が降って、眼の前の世界が真っ白になると、
誰もがそれを美しいと思う。
なぜだろう?と考えても、何も答えが出てこない。
美しいと感動するのは、脳細胞の働きの結果ではないだろう。
自分の魂(たましい)が、何かを感じているから、美しいのだろう。
でなければ、涙なんかが出るはずがない。
人の何気ないしぐさ、とりわけ子供のしぐさに、
何ともいえず いとおしさを感じることがある。
私は何を感じているのだろうか。
自分の脳細胞が何かに反応しているのでないだろう。
私の魂が、そのしぐさにその子の魂を感じて、いとおしさを感じているのではないか。
でなければ、こんなに心が動くはずがない。
相変わらず「会いたい」を聴くと、涙が出てきてしまう。
人が人を想う心、
愛する人を想う心、
ましてや、その人が死んでいなくなってから想う心は、
会いたいと切なく想う心は、魂の震えなのだろう。
その魂の震えに、たぶん我が心が共振するのだろう。
だから、自分の意思とは関係なく涙が出てくるのではないか。
生き物と心を通じる人を見て、
人と心を通じあっている生き物を見て、
魂が人のものだけのものではないことを感じ、
我が心の中にある激しい闘争心、
男としての、オスとしての闘争心がなだめられるのは、
その闘争心とは裏腹に、
人の魂の震えに共振する我が心が、魂が、
自分が、人であること、生き物であること、生きていることの証なのか。
今日も日が沈む