2019年05月10日(金曜日)
5.10.次の人が会社を活性化して価値を大きくする方法
創業者とはゼロから何らかの価値を作りだすことが出来た人であり
独自性のかたまりのような人で、
何でも一人でやってしまう。
しかし、一人では出来ることが限られていて、たかが知れているので、
いっぱいの人と、話すか、書いて、
濃いコミュニケーションを持ちながら、
いっぱいの人に自分の考えや、やっている事を理解してもらって、
いっぱいの人の力を集めて、大きな仕事を成し遂げて行く。
発想力と、実現力に溢れ、
今までにない価値を創り上げて行くことが得意だ。
その発想力は歳を取るにつれて枯れて行くどころか、より花開き、
実現力も一向に枯れず、歳を経てむしろ磨きがかかったりするものだ。
総じて超ワンマン経営でここまで来た。
しかし、
その肉体は時とともに衰え、
頭だってすぐに疲れるようになって、
奔放な発想力と、実現力は次第にエネルギーが無くなって衰えてくる。
ある創業者は、肉体的な衰えに最新の科学を投じて、
その肉体の衰えに抵抗し、ある人は強じんな精神力で自分を鍛え上げて、
そのエネルギーを保とうとするが、
その差は70才で衰えてしまう人に対して、
どんな頑強な人でも85才、頑張って90才までだろう。
大きな時の流れの中では大した違いはない。
だから、どんな創業者でも次世代の人にその事業を承継するが、
その承継者は、いくら選ばれた人であっても、あるいは能力のある人でも、
創業者のゼロから何かの価値を生み出す奔放な発想や、
実現力を持っている事はない。
持っていれば、とっくに創業しているはずで、
創業者の事業を承継する立場には無いはずなのだ。
だから、事業を承継する人は、創業者のようにあろうとしても、
承継者には創業者が備えている奔放な発想も実現力も持っていないので、
超ワンマン経営をしようとすると、
創業者の真似事をしているだけの
ただのわがままで自分勝手な独裁者になるだけで、
奔放な発想も実現力も持っていないので
そこには濃密なコミュニケ―ションを持ちようもなく、
大義名分もなく、
ただ単に強くあって、自分勝手に勝とうとするだけで、
社会にとって「役に立たない集団」に成り下がって、
とうぜん、社会から必要とされないので、その集団は衰退し、
悪意のある者から食い物にされてボロボロになって、無くなっていく。
あるいは、
社会はそんなに非情なものではないので、
その事業をより成長させうる強力な集団に取り込まれて、
幸運にも、正常に成長していく場合もある。
そのケースは多い。
もう一つ、簡単でうまい方法がある。
承継者は、自分が普通の人であって、
創業者のような奔放な発想と実現力を備えていないことを良く自覚して、
組織を構成する人たちと一緒に考えて、相談しながら、
集団の能力と行動力を集めて経営を進める体制を作り出すことだ。
決して偉ぶらず、
驕らず、高ぶらず、
決して横暴にならず、
みんなと膨大な「相談」を重ねて、
物事を進めれば、たくさんの人がその行動の意味を共有しているので、
みんなが同じ方向性のベクトルをもって、乱れずに行動するので、
その力は、創業者が奔放な発想と言いながら、
言って見れば「思い付き」に近いレベルなので、
たくさんの人が真剣に話し合い、
相談して造り上げた大義よりも、むしろ多くの人の賛同を集めて、
より強力で正しい判断である場合が多い。
如何に創業者であっても、創業時には必要な奔放な発想と実現力は、
正しさにおいては、
多くの人の議論の結果に、明らかに劣る。
承継者は、たくさんの人、たとえば、その中には衰えた創業者も含んで、
大きく頻繁な「相談」の輪を造りだす役割だけでもいい。
大抵の創業者が苦手な、大きく頻繁な相談の輪を造りだせば、
創業者が果たしてきた役割よりも、
承継者は、より大きな役割を果たしたことになる。
そんな会社をいくつも見たことがある。
創業者が創り出したよりも、
はるかに活性化された大きな良い会社になっている。
そんな承継が成されると、
創業者はきっと嬉しく死んでいくことが出来るのだろう。