2007年08月13日(月曜日)
1704.文字で伝えること
今日は一日中、事務所で文字を書いていた。
使ったパワーポイントは、
文字を使って表現するだけでなく、
写真とか、図を使っていろいろな表現をすることが出来るが、
今日は文字だけを使って、自分の考えを表現してみた。
文字は、人が原始の時代に伝達手段として象形文字として生まれ、
本来、表意文字、文字の一つ一つが意味を表しているものであった。
漢字が今でもそうだ。
だから、私たち日本人が、まったく違う言葉と文法を持った中国に行っても、
日本語を漢字で書くと、中国の人にも大体の意味が通じる。
逆に、中国語で書かれた看板を“簡体文字”さえ読めれば、
中国語がまったく解らない私にもある程度理解できるのと同じだ。
“簡体文字”とは、漢字の字画数を極端に少なくした漢字の変形で、
ちょっとした法則さえ憶えてしまえば、私たちにもおおよそ読むことが出来る文字だ。
びっくりしたのは、日本語がまったく出来ない中国の人が、
なんと、私のこのコラムを中国で何人かが読んでくれていることを聞いたことだ。
素晴らしいことだとは思いませんか。
話す言葉が違っても、意味を表す文字がお互いの意思を伝えられるとしたら、
世界中を直接結ぶインターネットを通じて、
世界中の誰とでもコミュニケーションを持つことが出来ることになる。
これは凄いことで、表意文字が世界の共通文字になれば、
言葉が通じなくても、世界中の人が直接、自分の意思を通じ合えることになるのだ。
残念ながら、いまや世界の共通語になりつつある英語は、
表音文字で書かれ、言葉を理解できなければ何も解らない。
英語だけでなく、ロシア語も、インド語も、表音文字で書かれ、
かつては日本や中国と同じ漢字の文化を持った韓国でも、
世界で一番合理的と言われるハングル文字で書かれるようになっている。
いずれもその言葉を理解できなければ、意味を理解することは出来ない。
インターネットが世界中を直接結ぶことが分かっていれば、
たぶん、表意文字である漢字が世界の共通文字になっていたに違いない。
あるいは、遠い未来には漢字に代わる表意文字が作られ、
インターネットを通じて、地球全体の人が直接結ばれるようになるかもしれない。
だとすれば、たぶん、
その時世界で一番人口が多いであろう中国人が使う簡体文字が、
そのまま使われることになるかもしれない。
写真や映像は、たくさんのことを伝えることが出来るし、
言葉が通じなくても、伝わるものが多いが、
写真や映像はどのようにも細工が出来て、かえって信用できないこともある。
そんなことを考えながら、今日も数千文字を書いた。
遠い未来、いや、ひょっとしたら意外に近い将来、
世界の共通語になるかもしれない漢字をいっぱい使いながら。
別に意味はないが、いままでに載せそびれた、何枚かの物を言う写真を。
もちろん何の細工もしていない。
私の今日一日の仕事場、一日中、黙々と文字を打っていた。
先週の月曜日、レースの翌日、札幌で新しい出荷の責任者候補佐藤君と会う。
前の前の前のレース。6月の富士戦で藤尾先生とデッドヒート。
最後の周、?75が燃圧の低下で失速した隙にやっと抜けたシーン。
たぶん、3月か4月、みんなが研修で宿舎(俗称・快洗ホテル)に泊まったとき、
すしの出前を奮発してにわかの宴会。楽しかった。
6月、ピッチと一緒に沖縄での実験のついでに西表島に行って、
珊瑚の海を泳いだ。ピッチはスポーツマンであった。あるいは野生あった。
でっかい鬼カマスが。
泳ぎのうまい西岡さんと、向こうに浮いているのはトドではなく私である。
海の中から見た太陽は、美しい。