2007年05月03日(木曜日)
1628.居心地の良い場所
そこに居るだけで心地良いという場所がある。
居心地のいい場所。
私なら、さしずめ・・・
と、よくよく考えても出てこない。
ひょっとしたら会社の事務所かもしれないし、
家のコタツの中かもしれない。
いつもの所が一番リラックスできて居心地がいいかもしれない。
でも事務所は仕事が次から次へと入ってくるので気が休まる事はないし、
家だって、色々ある。
ひょっとしたら、
仕事の事もプライベートの事も何もかも忘れる
サーキットのパドックの中なのかもしれない。
でも、あの場所も聞きたくない事が聞こえてきたりすることもあるし、
リラックスしきる事はそんなにはない。
リラックスという観点ならば“布団”の中。
何も考えずに布団の暖かさを楽しみ、無意識の内にやってくる睡魔に身を任せる。
あの短い時間が一番リラックスしている時間だろう。
そう考えてくると、
リラックスできる場所と
「居て心地良い場所」では、
少し意味合いが違ってくる事に気が付く。
心地良さとは、
リラックスとは必ずしも一致する事ではなくて、
不安を感じないということなのかもしれない。
人間は、
自分の存在を確認できない状態が、
一番強く不安感を感じるのだあるそうだ。
そういう意味では、
“孤独”が人間にとって一番つらい事なのかもしれない。
人間は、自分の存在を自分一人の内に確認するにはあまりにも弱く、
他人との関わりの中で、
初めて、相対的存在としての自分を確認できるものだ。
自分の意識だけで自分を見つけることは、
暗闇の中で鏡を見ているようなもので、不安であることこの上ない。
自分が他人によって見られ、
愛されたり、羨ましがられたり、憎まれたり
自分を評価されることによって、人は自分を見つける。
人からの視線の中で、
自分がどう映っているかが自分の姿であり、
人によっては、それによって安心する。
最近の美容院は総ガラス張りで中がよく見えるどころか、
お客様が髪をカットしたり、セットしたり、洗髪するところまで丸見えだ。
女性は自分が化ける所を見られるのを恥ずかしがるものだと思っていたが、
今はそうでもないらしい。
それよりも、センスがよく、高級な、
すばらしいデザインのお店の中で、自分が大切にされている所を
“見られる”ことによって、
そして、高級そうな店と自分が一緒になっている姿を
“見られる”ことによって、自分のあるべき存在をヒシヒシと感じ、
ある人は悦に入り、ある人は安心しているのだろうと思う。
まさに居心地のいい場所。
居るだけで心地良くなる場所だ。
入れ物は、中にある物を引き立てる力がある。
例えば、10万円分の商品券が厚紙の箱に入っているのと、
木箱に入っているのでは、何となくありがたみが違う。
中に入っている商品券は、
それが厚紙の箱に入っていようと、木箱に入っていようと
きっちり10万円分の商品と引き換えることが出来る商品券であって、
1円たりともその価値は変わらないのに。
商品のパッケージが、
商品そのものの価値を上げることもあるが、
逆に高級な商品、高価格な商品は、
それにふさわしい入れ物に入っていて欲しいものだ。
せっかく、イイ物を買ったのに、
その入れ物が、古く、汚い印象を与えるようなものに入っていたら、
ガッカリするように、
店舗の建物にも同じような意味がある。
良い物を買うには、良い店で買いたい。
良い物を買うにふさわしい良い店で、
良い接客で、
良い品物を、良いパッケージで買いたい。
私たちの快洗隊も
そのことを真剣に考え、
9年前に中古のスタンドを改造して作った「刈谷店」の大改造を企画している。
ここで何をやるつもりなのか、
また新しいコンセプトを考えだしたのか、
はたまた、これが快洗隊の集大成となるのか、
ここが、車とそのオーナーの居心地の良い場所になることは間違いない。
(カラーデザインがされていないので、まだ真っ黒な色の店になっています。)
先日の各務原石油さん春岡通りSSの喫煙コーナー。
私にはとっても居心地の良い場所です。
昨日は金沢に行ってきた。
北陸高速道路で福井県に入ってちょっと行った所にある小杉SA。
ここから見る日本海はとてもきれいです。
いつもボーっとする場所から見える小さな森の大きな木。
何気なく居心地の良い場所です。
アメリカ・ロサンゼルスに赴任した森部長のアパート。
写真は、まだ部屋に引っ越したばかりの頃のもので、グチャグチャしているが、
もうあれから2週間になる。
今頃は、彼にとって居心地の良い場所になっているはずです。