2006年07月03日(月曜日)
1428.8年目の閉店宣言
今日は上海にいるはずなのに、なぜか日本にいる。
昨日の午前、一緒に行くはずであった3名と中部国際空港で待ち合わせたのだが、
空港で「今回は、私は行かない事にした。」と伝えた。
大勢で上海に行く事になったのは、
これまでの上海を担当していた酒部君が?快洗隊の代表に就任したので、
引継ぎのために、次を担当でしていく畠中君と河合君と一緒に上海に行く事にしていたのだ。
大勢で上海に行くのは、これが最初で最後になるだろう。
上海では、頼さんが所長としてビジネスを本格的に任せられるようになっていて、
過去のように中国全土を日本から行商に回っていくようなことは不要になっている。
私が上海行きをキャンセルしたのは、
歯に問題が発生したから。
約6年前に入れたインプラントの一つが腫れて、痛くなった。
(このコラム第一話にインプラントを入れたときの話がある。)
そんなことで?
と、思われるかもしれないが、私にとってはかなり重大な問題なのだ。
顎の骨にチタンのボルトを直接植えて作るインプラントは、
一本腫れると、その横のインプラントにまで症状が伝染して、
ひとかたまりのインプラントが全部ダメになってしまう心配がある。
こうなると、もう打つ手がなくなって、
最悪の顎つき入れ歯になってしまうわけだ。
これは、喋るのが仕事の私にとっては、致命的なダメージになる。
インプラントを入れる前にほんのちょっとだけ顎つきの部分入れ歯を入れたことがあるが、
あんなにつらい物だとは思わなかった。
喋っている最中に気分が極端に悪くなって、とても続けられない。
だから、私にとってインプラントは本当に救世主であったわけだ。
その一本が腫れたので、
一刻も早く処置をしてもらって、隣のインプラントに症状が移ることを防御しなければならない。
情けない話であるが、
そんな訳で、私は上海に行くことを中止し、
月曜日の朝一で、いつもの名人、堀田歯科に行くことを選択した。
急遽の予定変更は、決して誉められた物ではないが、
きちんと判断して、ある時は、やめる事も必要である。
今回の上海行きのメンバー、酒部、畠中、河合、鶴見、
我が社の最強スタッフにすべてを任せることは、むしろ良かったのかもしれない。
「やめる事」は、時に選択すべきこともある。
近くの居酒屋さんが
「雪降る中、店を開いてから8年5ヶ月、
大変お世話になりましたが、7月16日を持って閉店する事に致しました。・・・・・」
と張り紙を出していた。
住居付き店舗の長屋のような中にあった一軒の居酒屋、
夫婦二人だけで8年5ヶ月頑張ったのだけれど、
すぐ近くに今風のチェーンの飲み屋が出来、
そこが若い客でごった返しているのを見て、戦意を消失したのだろう。
やめる事を選択したらしい。
その居酒屋に入った事はないが、
何の変哲もない普通のこじんまりした居酒屋は、
企画され、若い客にウケル仕組みを持ったチェーン店にひとたまりもなかったようだ。
先日、アメリカに行った五日間、私は禁煙をした。
アメリカではタバコを吸える場所が極端に少なく、
その少ない機会にガツガツとタバコを吸うのが、みじめったらしく感じて、
「や~めた」とタバコをやめた。
アメリカにいる間、帰ってくる飛行機の中、
タバコを吸わないことは何も苦痛ではなかった。
「なんだ、タバコをやめる事なんて、こんな簡単なことか。」そう思った。
ところが、成田空港に到着して、東京に出るアクセスがうまくなく、
結局、名古屋に変えるだけで5時間もかかってしまった。
そのイライラで、
新幹線の中で、わざわざ喫煙車まで歩いて行って、
タバコを一本吸ってしまったのだ。
その一本のうまかったこと。
タバコをやめる事は別につらくなかった。
しかし、禁煙をやめる事は、非常に快感を伴った。
しかし、私がタバコをやめたことを喜んでくれていたトニーが、
またタバコを吸い始めたことを知ったら、どんなにガッカリするだろうかと考えると、
罪悪感、敗北感、自分に対する侮蔑感も大きい。
近くのコンビニエンスストアが店を閉めた。
駐車場が小さい古いタイプのコンビニで、
大変大きな駐車場を用意する最近のコンビニの流れに、
いつかはやめるだろうとは思っていたが、
最近、立て続けに大きな駐車場を持ったコンビニが近所にオープンして、
一挙に客数が減ったのかもしれない。
やめるべきしてやめたコンビニの跡地に何が出来るのだろうか、
(「洗車屋」でもやるか?)
時代の流れに乗ることなく、
いつまでも旧態依然のスタイルでダラダラ経営することは、
自分の首を絞めるだけであることは明白だ。
古い自分であることを「やめる事」も、いつかは必要になってくる。
ただ、「やめる時」に、必ず着いてくる敗北感とか、屈辱感を、
新しいエネルギーに変える力が自分の中にあるかどうかが問題だ。
上海に行くのをやめて、日本でこれを書いている自分に、
少しの自虐的感覚を持った自分を感じながら、
色々と考えた。